第一章:軋む目覚め

 ひやりとした硬さが背中に貼り付き、暗闇の底から意識がゆっくりと浮かび上がってくる。

「……ん……」とうめき、瞼を開けた瞬間、鼻を刺すのは埃とカビの混じった湿った匂い。見慣れない板張りの天井が視界を占め、どこからか差し込む青白い光が、ぼんやりと闇を切り取っていた。

 体を起こすと同時に、ガン――と鈍い脈打つ痛みが側頭部を走る。反射的に手を当てるが、血は出ていない。ただ、重い頭痛だけがじわりと残っていた。

 周囲には瓦礫や石膏の破片が散らばっている。見上げれば、二階の床が崩れ落ちたらしい大きな穴が天井にぽっかりと開き、その向こうにはさらに二階の天井が覗いていた。剥き出しの梁の隙間から、細い月光が降り注いでいる。

(……ここは……? なんで、こんな場所に……)

 霞がかった記憶が断片的に蘇る。

 ――そうだ。私たちは「調査」に来た。三人で、この場所に……。その瞬間、時間が巻き戻されるように過去が開いた。

 物心ついた頃から、私たちは三人で過ごすのが当たり前だった。

 私――佐々木優は計画を立てて引っ張る役。冷静で博識な如月凛。明るくてちょっと怖がりな小林陽菜。

 中二の夏、陽菜が偶然手に入れたオカルト雑誌が、小さな変化をもたらした。怖がりだった陽菜が目を輝かせて語る心霊現象や都市伝説。凛も静かに耳を傾け、私は二人が楽しそうにしているだけで満たされていた。

 高校に入った春、陽菜が唐突に言い出した。

「ねえ優、オカルト調査の同好会作ろうよ!」

「学校が認めるわけないでしょ」凛が即ツッコミを入れる。

 私は笑いながら、ふと思いついた案を口にした。

「じゃあ『郷土文化研究会』にすればいい。地域の伝承や歴史を研究するって名目なら通るでしょ」

 二人は顔を見合わせ、「それ天才!」と声を揃えた。こうして私たちの秘密の拠点――『郷土文化研究会』が生まれた。放課後の部室は、怖い話や噂で盛り上がる私たちだけの聖域になった。

 やがて話題の中心になったのは、この街で最も有名な心霊スポット――『迷宮屋敷』。惨殺事件の詳細や建物の由来まで調べ尽くしたが、遠くから眺めるだけで、中に入ろうとは思わなかった。

 変化が訪れたのは、高二の夏休み終盤。部室で凛が静かに告げた。

「……親の都合で、春に転校することになった」

 当たり前だった日常にひびが入った瞬間だった。凛は泣き、私と陽菜は抱きしめて慰めた。

 数日後、私は沈黙を破った。

「最後に、三人だけの思い出を作ろう。ずっと話してた――『迷宮屋敷』へ行こう」

 陽菜は驚き、凛は涙の跡を残したまま小さく頷いた。

 計画はすぐに動き出した。屋敷の古い図面を探し、侵入可能な窓を特定し、必要な装備をリスト化。休日に三人でホームセンターへ行き、懐中電灯、ロープ、軍手、防犯ブザー、簡易救急セットなどを揃えた。

 家族には「三人で旅行」と嘘をつき、当日、駅で集合。宿泊用の荷物はコインロッカーに預け、探索道具だけを手にして丘の上の屋敷へ――裏口の腐った窓枠をこじ開け、闇に沈んだ館内へ足を踏み入れた。

「……凛? 陽菜?」

 意識が現在に戻る。二人の姿が見えない。背筋に冷たいものが走る。

 足元で硬い感触。見ると懐中電灯が転がっている。急いで拾い、埃を拭って点灯すると、心許ない光が闇を裂いた。

 左右を照らすと、部屋の奥に二つの影が見えた。

「……いた!」

 もつれそうな足で駆け寄る。そこにいたのは、気を失っている凛と陽菜。息はあり、怪我もなさそうだ。安堵で膝が抜けそうになる。

「凛! 陽菜! 起きて!」

 肩を揺すると、二人はうっすらと目を開けた。

「……優? 大丈夫?」凛の声はかすれている。

「頭が少し痛いだけ。血は出てない。二人は?」

「平気」凛は短く答え、陽菜も小さく頷く。

 二人の無事を確認してから、私は辺りを照らしてバッグを探すが――ない。あれがなければ探索道具も防犯グッズも失われる。

「とりあえず……外に出よう」

 二人は無言で頷いた。

 だが――扉はびくともしなかった。窓も開かない。焦燥が喉を焼く。近くの壺を持ち上げ、両手で振りかぶって窓へ叩きつけた。

 ガンッ! 耳をつんざく音。しかしガラスは割れず、壺は弾き返された。

「……どうなってるの……」

 呆然とする私に、凛が低く言う。

「……落ち着こう。無駄に力を使うと危険よ」

 その時――。

 ――カツ……カツ……。

 乾いた音が静寂を裂く。階上か、廊下の奥か。三人は息を飲み、互いに顔を見合わせた。

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