03:凍雨

 矢の雨が古い崖窰いえの扉と窓を破って室内に突き刺さる。夜半、禁軍は突然奇襲を掛けてきた。しょうを庇ったはくは、矢の一本に胸を貫かれて床に倒れ伏していた。

 しょうはくを敷物ごと引きずって矢の届かない家の奥へ何とか動かしていく。奥の古い抜け道のことを覚えているのかもしれない。

 戸の破れからは火の手が見え、油のにおいがした。禁軍ははくもろともしょうを蒸し焼きにして殺すつもりなのだ。

 土壁にもたれかかったはくは、抜け道の扉を見つけて戻ってきたしょうに手を伸ばした。柔らかく細い娘の両手がそれを包む。こんなに優しい触れ方をできるのに、人はなぜしょうを化け物扱いするのだろうか。女王がそう言えばそうなのか。

はく、あれはそなたではなく我を殺しに来たのじゃ。我は死なぬ、置いてゆけ。そなたは逃げおおせよ」

「だめだ、とう

 はくは微笑んでしょうにつけた名を呼び、手を握る。

「俺はもう歩けない。奥の抜け道も、先年崩れて潰れている。ここまでということだ」

「嫌じゃ、はく、」

 とうを片腕に抱き寄せた。自分に嫁いできたといっても、婚礼もなく夫婦らしいこともない生活だった。

 それでも楽しかった。

「許してくれ。早く遠くに逃がすべきだったのに、お前を手放せなかった。どうしても」

 ああ、ととうは止めどない涙をこぼして嘆きの声を上げる。

 どんどん意識が遠のいていく。その向こうにとうの嘆きが聞こえる。

「我の不遇、我の苦しみなど、もうどうでもよい。我を押し付けられたがためにはくが死ぬなど道理に合わぬ。生まれて初めて一緒にいてくれたのに。化け物ではない名をくれたのに。我はそなたを救えぬのか」

 本当にこれは一国の姫君だな、とはくは思う。小さな喜びにも報いることを忘れない。命惜しさに誰かを捨てて逃げるなど、この健気な娘は考えもしないのだ。

 そのありようは、この世に失望し切っていたはずのはくの心をも温めるほどのもので。

 だからまだ一緒にいたかった。

 死ぬのをやめて、ずっと。

 だがここまでだ。

 はくの腕から、手から力が抜けていく。まぶたが閉じる。とう、とささやくように呼んだのを最後に、身体が呼吸を止める。

 その身体に取りすがって、とうは悲鳴のような慟哭の絶叫を上げた。

 巫術により代々女王に治められる国であったから、醜く愚鈍な出来損ないであれ魍魎の姫にも巫術の力は受け継がれていた。これまでは生存にしか使われずにきたその力が、広い世界で唯一共に暮らした者を失った瞬間、ついに火を噴いて暴走を始めた。

 荒れ狂う力が暴れ回るままに、もはや声にもならぬ悲鳴を上げながら人ならぬ者を呼ぶ。

 女王と王族の巫術は天霊地霊の声を聞くものである。それは王宮を中心とした国全体に漂うあまの霊のざわめきから何かを読み出す占いに近い。しかしこの時、魂までも引き裂くようなしょうの力は通例を遥かに超えた密度で地から放たれる雷となり天を撃った。その稲妻の先に、しょうの、とうの求める力を持った存在がいる。

 人は、その存在を神仙と呼ぶ。


『魍魎の姫よ、何を望む』


 天から降りるその声は重く遠い。 


『命助けよと申すか、恨みを晴らせと申すか』


 姿の見えぬ神仙を見据えるように天を仰いで、とうは迷わず告げた。


はくを、生まれ変わらせて下さりませ。何処ぞ、穏やかに暮らせる所へ――この魍魎ばけものの生命を代償に」


 炎が迫ってくる。

 とうはくの懐から古い短刀を取り出し鞘を払うと、刃を首筋に当て力任せに引き斬った。




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