02:珀

 聞かされていた話とは違い、斐虎ひこさんの人喰い男と呼ばれた人物は何ら凶暴そうではなかった。まだ若い。長身と身のこなしは辺境の隠棲者だとか貧民というよりも王宮の将軍たちを思わせる。人肉に対する衝動も見せず、むしろ戸惑ったようだった。

 しょうは王命書を持たされており、そこには褒美としてこの姫を与えること、ただし降嫁であるから今後一切王家との関わりを許さぬこと、姫を斐虎ひこさんから出してはならぬことが記されている。それを読んだ男は溜息をつき、

「どちらにしても」

と言った。

「そこに座っていたら二、三日のうちには死ぬ。入りたければ、勝手に入れ」

 しょうは困惑した。これまで、命令されて従ったことしかないのだ。王家の姫といえど、生まれたその日から実母たる女王にすら激しくうとんじられる醜い娘であった。顔を見せるなと命じられて従い、側に寄るなと言われて従い、お前のようなものは残飯でも食っていろと言われて従い、従い続けても毒は盛られ、殺してほしければひざまづいて懇願せよと命じられて従っても殺し切ってはもらえなかった。自分で何かを決めたことなどない。強いて言うならこの人喰い男に食い千切られる前に、我が身が毒であることを伝えようと考えた、ほぼそれだけである。

 それで、うずくまったまま男の崖窰いえの扉を見ていることしかできなかった。

 日が落ち、風が吹き、強い雨が降った。しょうはそのまま座っていた。王宮でも嵐の中、外に放り出されたことがある。高熱を出した夜だった。悪化して死ねばよいと思われたのであろう。だが苦しむばかりで死ななかった。

 だからきっと死なないだろう。どうせこんなことでは、すぐには死ねないのだろう。

 そう思っていたのに、やがて住居を出た男が冷たい雨の中を走ってきて、罪人か死体を引きずるようにしょうの衣の襟首を掴み自分の住まいに放り込んだ。

 予想外のことにしょうは男を見上げ、その表情に怒りを見て取って、喰われるのだと理解した。

「わ、我を、」

「何だ」

「我を喰らえば死ぬるぞ。我が血肉は猛毒じゃ」

「こんな骨と皮ばかりの子どもを誰が喰うか。食べ物には不自由していない。つまらん嘘をつくな」

「噓ではない!」

 眩暈めまいを覚えながらしょうは訴える。

「毒を盛られた。何度も何度も。繰り返し死にかけた。大の男が死ぬる毒でも我は生き延びる。そのたびこの顔も、身体も、醜さを増しながら生き延びる。母上とて我を魍魎ばけものと仰せある。我が血を舐めた者は死んだ。我が髪を刻めば猛毒となった。そなたは母上より死をたまわったのじゃ。我の名はもうりょうすだま。生ける毒。そなたを殺す者」


 しょうはこの国に生まれ落ちた怪物であった。

 生まれた時から老婆のように髪が白く、何の呪いか顔の半面は紫の醜いあざに覆われ、その眼は片方ずつ銀と薄紅、年を経ても成長が遅く何につけても愚鈍とされた。女王はこの姫をことのほかうとんじてすだまと名付け、更に魍魎ばけものと呼び、決して側に寄せ付けなかった。そうして早いうちにこの子を葬ろうと決めたものの、度重なる暗殺の試みにも関わらずしょうは生き延びる。通常なら死ぬはずのものが死なない。刃物で刺しても牛馬が即座に昏倒するほどの強い毒を与えても苦しむばかりで生き延びる。そのたび身体には傷痕が残り、顔の痣は広がり爪は黒く染まり、果てには額に角のようなものまで生じてくる。

 女王は考えた。これはまことに化け物である。

 ならば、化け物は化け物に喰わせればよい。

 そうして共倒れしてくれたなら、討伐の手間のかからぬことである――と。


「俺を殺す者だと?」

 男は嘲笑うように言う。

「お前には俺を殺せない。妖怪でもない痩せぎすの子どもに何ができる」

「このように醜い者は喰えぬと申すか。第一、我はおさなではない。歳は二十二、たいが十五の子にも劣ると言おうと、生まれ落ちて二十二年じゃ」

 すると男は黙ってしょうを見下ろし、ゆっくりと眉根に皴を寄せ、もっとゆっくりと再度のため息をついて、絞り出すような低い声でこう言った。

「俺の名ははく。とにかく今夜は休め。ここでの暮らし方は明日から教えてやる。なるべく早く覚えろ。なぜなら」


 俺は自ら死ぬためにここに引きこもっているからだ。

 そのあと姫君は一人でここに暮らすことになるぞ。


 そう言ってはくきびすを返し、洞穴のように掘られた住居の中にしょうのための寝床を作り始めた。

 そうして、山中で二人きりの暮らしが始まった。

 半年後、禁軍が攻め込んでくる最後の日まで。




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