薄氷を歩くような

秋村涼

第1話 かつて


願わくはこれを語りて、平地人を戦慄せしめよ。

               ーー柳田國男




 その日、井出家の囲炉裏の火が絶えることはなかった。

 男衆は皆たいまつを手に村中を探し回り、女達は台所もしくは仏間に在って、男達の食事を作るか、神仏に祈りを捧げている。どの顔にも疲労と、隠しきれない恐怖の色が濃い。

 誰かが、泰三は山に行ったのではないかと言った。

 気味の悪い沈黙が降りた。その隙間を夜の虫の声が、美しく埋めていく。誰もが一度は思えども、口にしなかったことだった。

 夜明け前の時分になって、村はずれまで探しに行っていた男が、片方だけの草履を持って戻ってきた。草履は鼻緒が切れて結び直した痕があり、泰三の妻の言によると確かに夫のものであるとのことだった。今朝家を出るときに切れ、縁起が悪いと言いつつ結び直すのを見たという。草履は界木峠の藪の中に落ちていた。

 次の日の夜、井出家の囲炉裏の火は早々に落とされた。泰三は山にて何かしらに隠されたのだろうと、そういうことになった。

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