終章:君という名の、ファーストライト

 私が日本に帰国する日。昴は空港まで見送りに来てくれた。彼は私に小さなアンティークの古代の天体観測儀アストロラーベを手渡した。


 アストロラーベは中世の天文学者が使っていた精密な観測機器だった。星の位置から時刻や方角を知ることができる。現代のGPSの祖先とも言える道具だ。


「これは君に。これを使えば地球のどこにいても同じ星空を見ることができる。離れていても


「うん」


「必ず迎えに行く。この宇宙の始まりの謎を解き明かしたら。だから待っていてほしい」


 それは何光年も離れた星々の約束よりもずっと確かな誓いの言葉だった。


 飛行機の窓から見下ろすアタカマ砂漠は、まるで別の惑星のように見えた。あの荒涼とした大地で私は新しい自分を発見し、運命の人と出会った。人生とは不思議なものだ。最も何もない場所で最も大切なものを見つけることがある。


 日本に帰ってからの一年間は、私にとって大きな変化の時期だった。


プラネタリウムでの仕事に復帰したが、以前とは全く違う気持ちで解説をしていた。館長の「やっぱり戻ってきたか」の顔がちょっと癪に障ったけど、アタカマで見た本物の星空の記憶が、確かに人工の星空にも新しい生命を吹き込んでいた。


 私は昴から学んだ最新の天文学の知識を解説に取り入れた。


 ブラックホールの直接撮影、重力波の検出、系外惑星の発見。科学の進歩によって明らかになった宇宙の新しい姿を、わかりやすく美しい物語として伝えた。


 そして何より、私は愛の物語を語るようになった。


 遥か彼方の星同士が互いの重力で結ばれていること。連星系では二つの星が永遠に踊り続けていること。宇宙は孤独な天体の集まりではなく、全てが見えない糸で結ばれた一つの大きな家族なのだと。


 一年後。東京のプラネタリウム。私は以前よりもずっと輝きを増した声で星空の解説をしていた。その日の最後のプログラム。私は観客に語りかける。


「最後に皆さんに新しい星のお話をします。それはつい最近、一人の勇敢な日本の天文学者が発見したとてもとても遠い宇宙の始まりの光のお話。その光にはまだ正式な名前がありません。でも私だけは知っています。その光の本当の名前を」


 私は一瞬言葉を切った。


「それは『希望』という名前です。百三十七億年前に存在した知的生命体が、未来の誰かに向けて送ったメッセージ。それは時空を超えた愛の証拠であり、私たちが宇宙で孤独ではないことの証明です。どんなに遠く離れていても、どんなに時間が経っても、想いは必ず届く。それを教えてくれるのが星空なのです」


 解説が終わりドームが明るくなる。

 客席の一番後ろの列に少し照れくさそうに、でも誇らしげに微笑む昴の姿があった。

 彼は約束通り私を迎えに来てくれたのだ。


 私たちはプラネタリウムの屋上で東京の夜景を見下ろす。

 星はほとんど見えない。

 でももう大丈夫。

 私がずっと探していた光は


「美星さん」


 昴が私の名前を呼んだ。


「君は僕にとって最初の光だった。ファーストライト。君がいなければ僕は宇宙の始まりの光を見つけることはできなかった。そして何より、愛することの意味を知ることもできなかった」


 彼は小さな箱を取り出した。中には美しいダイヤモンドの指輪が入っている。


「このダイヤモンドは遠い星の内部で生まれ、何十億年もの時を経て地球に辿り着いた。君への僕の愛もそれと同じように永遠だ。結婚してくれませんか?」


 私は涙を流しながら頷いた。


「はい。でも条件があります」


「何でも言ってくれ」


「今度はあなたが私のプラネタリウムを手伝ってください。科学と詩を融合させた新しい星空の物語を一緒に作りましょう」


 昴は笑った。


「それこそ僕が一番やりたかったことだ」


 私たちは抱き合った。地上には人工の光が溢れ、星は見えない。でもそれでよかった。私たちが創り出す愛という光が、どんな星よりも明るく輝いていたのだから。


 数ヶ月後、私たちは結婚式を挙げた。式場はもちろんプラネタリウムだった。ドーム一面に広がる星空の下で誓いの言葉を交わす。それは私たちらしい結婚式だった。


 新婚旅行では再びアタカマ砂漠を訪れた。カルロスは私たちの結婚を心から祝福してくれた。そして私たちが初めて出会ったあの場所で、もう一度満天の星空を見上げた。


 あの時と同じ星空だったが、私の心境は全く違っていた。もう孤独ではない。愛する人がいる。そして私たちが見つけた宇宙の始まりの光は、多くの人々に希望を与えている。


「美星」


 昴が私の新しい呼び方で名前を呼んだ。

 結婚してからは「さん」を付けなくなった。


「君と出会えて本当によかった。君がいなければ僕は単なるデータの海で溺れていただろう」


「私こそです。昴さんがいなければ私は過去の傷に縛られたままでした」


 私たちは手を繋いで星空を見上げた。

 天の川が静かに流れている。

 その光の帯の中に無数の星があり、その星の周りに無数の惑星があり、その惑星のどこかに私たちと同じような愛を育む存在がいるかもしれない。


 宇宙は無限に広く、私たちはその中の小さな存在だ。

 でもその小ささこそが愛を貴重なものにしている。

 137億年の宇宙の歴史の中で、今この瞬間に私たちがここにいることの奇跡。


 私たちの物語はまだ始まったばかりだった。

 科学と詩、現実と夢想、孤独と愛。

 相反するものが出会う時、そこには新しい星が生まれる。

 私たちはそんな新星になりたかった。


 プラネタリウムと天文台を結ぶ新しいプロジェクトも動き始めている。一般の人々により身近に宇宙を感じてもらう試み。子供たちが星空に夢を抱き、大人たちが日常の喧騒を忘れて宇宙の神秘に触れる場所。


 私たちが創り出すのは単なる科学教育ではない。人間の魂に語りかける新しい物語。科学的事実と詩的表現が融合した、これまでにない星空体験。


 ファーストライト。


 宇宙で最初に灯った光。

 私たちもそんな光になりたい。

 新しい愛の形の最初の光として。


 私の大事な、人生のファーストライト。


(了)



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【天文恋愛短編小説】ファーストライト ~宇宙で最初の恋~(約13,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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