第六章:ブラックホールの、向こう側
私の日本帰国の日が近づいていた。永遠に続くかと思われた砂漠での日々も終わりを迎えようとしている。
昴は私に同行することを提案した。彼の研究成果は十分すぎるほど評価され、日本での職も決まっていた。
「一緒に帰ろう。君がいなければこの発見はなかった。君は僕の共同研究者だ」
でも私は迷っていた。彼と一緒にいることで、彼の人生の重荷になってしまうのではないかという不安があった。私はただのプラネタリウムの解説員で、彼は世界的な天文学者だ。その差は縮まることがないように思えた。
そんな私の心境を察したのか、昴は私をALMA望遠鏡の観測室に案内してくれた。そこは研究者以外立ち入り禁止の聖域だった。
「美星さんに見せたいものがある」
彼は巨大なスクリーンに一つの画像を映し出した。それは今まで見たこともない不思議な天体だった。ドーナツのような形をしたオレンジ色の光の輪。その中心は完全に黒く、光すら吸い込まれているように見える。
「これは今年撮影されたブラックホールの直接画像だ。我々の銀河の中心にある巨大ブラックホール、いて座
ブラックホール。
それは光さえも脱出できない究極の暗闇だ。だがその周囲では物質が高温に加熱され、美しい光を放っている。闇と光が共存する究極の天体。
「この画像を見て何を感じる?」
昴が私に尋ねた。
私はしばらくその画像を見つめていた。そして静かに答えた。
「孤独、でしょうか。でも美しい孤独です。一人で宇宙の中心にいて、でもその周りには美しい光がある」
「その通りだ」
昴は微笑んだ。
「ブラックホールは確かに孤独な存在だ。でもその周囲には降着円盤という美しい光の輪がある。闇があるからこそ光が輝く。孤独があるからこそ愛が意味を持つ」
彼は私の手を取った。
「君と僕もそうなんじゃないだろうか。二人とも孤独だった。でもだからこそ出会えた時の喜びが格別だった。君がいなければ俺はただの冷たい研究者のままだった。俺がいなければ君はただ過去に囚われたままだった」
その時、私は理解した。愛とは相互補完なのだ。お互いの欠けた部分を埋め合うこと。ブラックホールと降着円盤のように、闇と光が組み合わさって一つの美しい天体を作り上げること。
「昴さん」
私は彼の目を見つめた。
「私、一緒に日本に帰ります。あなたと一緒なら、どんな未来も怖くない」
その瞬間、観測室のアラームが鳴った。新たな天体からの信号をキャッチしたのだ。モニターには美しいスペクトル画像が映し出されている。
「また新しい発見ですね」
私が言うと、昴は首を振った。
「いや、これはもっと大切な発見だ」
彼は私を見つめた。
「僕は今夜、宇宙で最も美しい天体を発見した。それは君だ、美星さん」
私たちは笑い合った。科学者らしからぬロマンチックなセリフだったが、それが昴らしくて愛おしかった。
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