第五章:愛が生み出した小さな秩序
その後の数日間は夢のようだった。昴の発見は学界に大きな衝撃を与え、世界中のメディアが取材に押し寄せた。彼は一躍時の人となった。
だが彼自身は冷静だった。データの解析と検証に没頭し、論文の執筆に取り組んでいた。科学的発見は追試可能でなければ意味がない。感情的な興奮ではなく冷静な分析が求められる。
私は彼のその姿勢を尊敬していた。真の科学者とはこういうものなのだろう。発見の興奮に酔うのではなく、常に客観性と検証可能性を追求する。
ある夜、私たちは再び星空の下で語り合っていた。今度は二人の間に恋人としての親密さがあった。
「美星さん、君に聞きたいことがある」
昴が真剣な表情で言った。
「この宇宙は熱力学の第二法則に従ってエントロピーが増大し続け、最終的には熱的死を迎えると言われている。全ての星が燃え尽き、ブラックホールも蒸発し、宇宙は冷たく暗い虚無になる。君はそんな未来をどう思う?」
エントロピー増大の法則。それは宇宙の最も基本的な法則の一つだった。孤立系では無秩序さを表すエントロピーは常に増大し、決して減少することはない。つまり宇宙は必然的に無秩序へと向かっている。
私は少し考えてから答えた。
「でも昴さん、今夜私たちがここにいることで、宇宙のエントロピーは少しだけ逆転しているんじゃないでしょうか?」
「……どういうことだ?」
「二人の孤独な人間が出会って愛し合うことで、混沌とした宇宙の中に小さな秩序が生まれました。それは物理法則に逆らった奇跡のようなものじゃないですか?」
昴は驚いたような顔をした。
「君は詩人だな。でも科学的には……」
「科学的には間違っているかもしれません」
私は微笑んだ。
「でも人間は科学だけで生きているわけじゃない。物語も必要なんです。意味も必要なんです。愛も必要なんです」
その夜、昴は私に自分の父親のことを詳しく話してくれた。
天才的な天文学者だったが、家族よりも星を愛した男。昴の母は彼が10歳の時に家を出ていった。父は研究室にこもりきりで、昴の存在をほとんど気にかけなかった。
「俺はずっと父に認めてもらいたかった。だから天文学者になった。父を超えたいと思った。でも今はそれがどれほど空虚なことかわかる」
彼の目にうっすらと涙が浮かんでいた。
「美星さん、君と出会って俺は初めて理解した。本当に大切なのは宇宙の謎を解くことじゃない。誰かと想いを分かち合うことなんだ」
私たちは静かに抱き合った。
砂漠の夜風は冷たかったが、二人でいると温かかった。
これもまたエントロピーの逆転かもしれない。
愛が熱力学の法則を超越した瞬間だった。
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