第15話 円環湖のほとりにて

 塔に二人の訪問者。

 それを見るものは、すぐにそれを察知して、その存在を覚えた。

 一人は今まで来たことのある存在。もう一人は、つながりのない初めての来客。

 それがどこにいて、どんな形で、今どんなことをしていて、どのように動いているのか。

 それを、それを見るものは事細かに、自らの思考に書き加えた。




×




「お、やっさん、また塔が光っとるぞ」


 低く太い男の声が、夜の空気の中にはよく響いた。


「また誰かが塔に入ったんならいいが」


 そう言いながら、男はカタカタと、自らの目の前にある四角い箱型の元にある操作盤を、太い指で操作し始めた。

 鍵盤が沈み込む小さな子気味良い声が、二人の他に誰もいない空間に小さな音色を加えている。


「こんな時間に入るんなら、虫かネズミくらいのもんだろう」


 それに、不愛想に答える声があった。

 年をくった喉から出るそれは少ししわがれていて、しかしその奥にはしっかとある意思のようなものが、垣間見ることができる。


「こんな時間に入る奴がいるとしたら、よっぽどの命知らずだ。それとも、よほど腕に自信があるやつかね」

「そうだなぁ」


 はっは、と男は軽くも大きな声で短く笑った。


「やっさんも若いころは、そんぐらい自信のある女だったってきくぜ」


 目を箱形の表示画面に向けて、操作盤を操りながら、男は冗談交じりに口にする。


「あたしぁそんな命知らずじゃないよ」


 しかし、老女はぶっきらぼうに答えた。


「あたしははっきり計画性のある女だったんだ。馬鹿にでも付き合わされない限り、命知らずみたいなことはしないさ」


 くっ、とこらえるような声。それを出したのは、男の方だった。


「しかし、俺は見たことがあるんだ」


 まるで笑う寸前かのように、男は目を細めて老女を見た。


「いつだったか、もう二十年、いや三十年近く前だったか、誰かに手を引かれて、真っ暗闇の中で塔の入り口に突っ込んだことを、不思議なことに憶えてるんだ、俺は」

「まだ覚えてたか、この甘ったれが」


 ふんっ、と老女は鼻を鳴らした。

 そして、恨みがましい口調で続ける。


「誰のせいだったかね、あんなことになったのは。持ち込み禁止のネズミどもを懐に入れてた誰かさんのせいで、匂いを嗅ぎつけたウマやオオカミどもに殺されかけたやな思い出さ。あんなことでもなければ、塔の中にガキと一緒に突っ込んだりしないさ」


 その時がっはっは、と大きな笑い声が、薄暗い空間の中に響きわたった。

 男の大きな肺が収縮して、部屋中の空気が震えだす。

 しかし、老女はそれを聞いても、顔をしかめることすらしない。まるで、それに慣れ切っているとでもいうかのように。


 しばし笑い続けて、ようやく収まった男は、また口をひらかせた。


「もしかしたら、今あの塔に入ったのは、そんなことでもあった奴らだったのかもしれないぞ、やっさん」

「子供たちの初日だ。そんなこと、あるわけないだろう。だいいち、そんなことがあって、まだ塔に入ろうと思える初日の子供たちは、いるのかもわからん」

「あれ、俺の記憶がおかしいのか。あの晩も、俺の初日だったと思うんだが」

「……年を取ると、そんな昔のことなんざ、少しも思い出せん」

「それはお気の毒に」


 まるで本気にしていないように、男は微笑みながら、老女に向かって軽く頭を下げた。


「じゃあ覚え違いだったのかもな、これは失礼、ご老女どの」

「気持ちの悪い呼び方をするんじゃないよ、オックス」


 『オックス』の部分の語気を荒くして、老女は男の方を見て、強く言い放った。


 はっはっは、とまた快活な笑い声が響いた。

 うるさいような、しかし気持ちのいいような。

 夜の涼しい風の中に、男は胸を反らして笑った。


「あなたが引退して、もう何年が経ったか」


 そしてひとしきり笑ってから、目元の笑い涙を指でぬぐって、男は口にした。


「もうあんたと一緒の冒険じゃないと満足できなくて、俺もあれ以来塔に入っちゃいない」


 そして、カチリと、箱形の操作機を押す。

 そこに、いくらものウィンドウが、表示画面に所狭しと映し出された。

 それを見て、男はゆっくりと話し出す。


尽きぬ熱量ダルスューニル・オラジュ感覚を拡張する頭環タマイラキ熱を撫でる腕ティタナルム、そして凝集光銃のオリジナルイカリバイラの発見。あなたの功績は、数えても数えても、留まるところを知らない」

「何が言いたいんだい」


 眉にしわを寄せながらも、細い目で、老女は男を横目で見る。


「あの塔の光は、そんな功績の、また始まりかもしれないってことさ」


 男はにやりと口端を上げた。


「面白い子供がいたんだ」


 そう言って、男は操作機の表示画面に、二つの情報を映し出した。


「二人だ。とても快活な子で、元気がものすごくいい。一人は女の子で、一人は男の子。二人とも、真っ先に俺のところに登録に来たんだ」

「ああ、ライオとエナか」

「なんだ、知っているのか」


 ふ、と男は口端を上げた。

 それに、老女は不機嫌そうに続けた。


「ああ。息子がやってる共同住宅に住んでるらしいからね。毎晩毎晩仲が良くってうるさいって言っていた」


 こくり、と男はうなずく。


「ああ。そして、同行担当者は、その息子のまた孫だ」

「シーズか」


 今度は男に顔を向けて、老女は口にする。


「食いついたな、やっさんめ」


 男はまたにやっと笑って、また続けた。


「あんたに全くに似なかったみたいで、面倒見のいい人だ。今回の初日で、何人塔に還るのかはわからんが、この三人はきっと、戻ってくるんじゃないかな」

「……そうだねぇ」


 老女は、静かに答えた。

 その目の向く先は、窓の外。


 天高くそびえ、かすれて見えないほどの天空へとその頂を延ばす、天涯の塔。

 その一部、下から三つ目の層が、淡い橙色を灯して、まるで燃え上がるように光り出していた。


「まあ、性格はあなたに似ないが、行動はとても似ているんだ」


 男は、外を見る老女の背に向かって続けた。


「案外、今入ったのは、あなたの孫娘だったりしてな」

「そんなことはないさ」


 きっぱりと、背中で彼女は男へ向かって言った。


「シーズには厳しく教えてある。夜に塔に入るなんて言語道断。死にに行くようなもの。キャンプが壊滅とかそんなあり得ないことでもなければ、決して夜の塔には入るなって言ってある」

「そうだよなぁ」


 ふう、と男は息をついて、操作盤から手を離した。

 そして、頭の後ろで手を組んで、ぐっと背筋を伸ばした。

 ぱきぱきと、子気味のいい音が背中から鳴る。


「――ふああ……」


 そして、大きなあくびを一つした。


「あの時の俺たちだって、壊滅ぎりぎりのキャンプを、やっさんが助けた直後の話だったもんな。一応なんとか補給をして、それからみんなを撤退させて、それから塔に逃げ込んだんだったよな」

「ああ。だから、シーズが入ることはあり得ない」

「そうかなぁ」


 うーん、と、男はまるで少年のように、目を閉じて、無邪気な笑みを頬に浮かべた。


「とはいえ、今はやっさんがあそこにはいないからなぁ」

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