第7話 間者

屋敷に漂う空気は日ごとに重くなっていた。


老魔術師の調査は下僕や使用人を一巡し、何も得られぬまま終わったらしい。だがそれで止まることはなく、次なる対象は屋敷に出入りする商人や職人へと移っていた。


門番に密かに命じ、納品や点検の者に一人ずつ「鑑定」をかけていく。


ユウトはその様子を遠くから眺め、心の中で薄く笑った。


――全く俺は疑われていない。


ギフト【怪盗】の偽装は今のところ完璧だ。魔術師が何度鑑定魔法を使おうと、俺のステータスからは「無能な奴隷」としか映らない。


これからユウトにとって大切なのは、自分に疑いの目が向かない状況を維持したまま、次の獲物を選ぶことだ。


領主家にはレオン以外にも、兵士や執事、時には商人たちまでもが「何かしらのスキル」を持っている。だが下手を打てば怪しまれる。今は慎重に、確実に盗めるものを探す時期だった。


その日もユウトは、日課の薪割りをしていた。


【身体強化・初級】を使えば、硬い薪を片手でいとも容易く叩き割ることができる。だが力を隠すため、あえて普通の少年らしく額に汗を浮かべ、何度も斧を振り下ろして見せていた。


――そのときだった。


視界の端が、不意に揺らいだ。


遠く、中庭の石壁の陰。

空気がぼやけるように滲み、その中から黒装束の影が一瞬だけ浮かび上がった。


全身を覆う黒衣。顔を布で隠し、猫のようにしなやかな姿勢で屋敷の壁を移動している。


だが気付いた次の瞬間には、影はもう消えていた。


「……今のは…?」


ユウトは薪割りを続けながら、意識を集中させた。

透明なボードが眼前に現れる。


【名前:バリー・キーン 職業:間者】

【所属:???】

【スキル:潜伏/攀登術/短剣術・中級】

【状態:潜入中】


――やはり。

屋敷に忍び込んでいる間者。恐らくは外の領主や盗賊団の者だろう。


ユウトの心は静かに高鳴った。


この屋敷の連中は必死に内部を疑い、商人たちまで鑑定しているというのに、真の異物は、存在すら気付かれずに壁の陰で息を潜めていたのだ。


(“潜伏”スキルか…。ぜひ欲しいな…。)


しかし、今すぐ動くのは愚かだ。

相手は間者。もし接触しようものなら、逆に命を狙われる可能性がある。


それに【怪盗】の条件――予告状を送れば、間者も警戒を強めるだろう。迂闊な挑発は危険だ。


「……数日、様子を見るか。」


ユウトは薪を割り続けながら、静かに決意を固めた。


潜伏スキルはどうやらクールタイムがあるようだ。だから、さっきのように一瞬姿を現さなくてはいけないのかもしれない。


その他にも、この間者が何を狙って屋敷に潜んでいるのか。どんなルートで出入りし、誰に接触するのか。それらを観察すれば、屋敷の裏の事情も知れるだろうし、【怪盗】の新たな標的になるかもしれない。


その夜、物置小屋の薄暗い寝床に横たわりながらも、ユウトの頭の中は冴え渡っていた。


レオンは苛立ちに囚われて屋敷中を疑い、魔術師は次々と人に鑑定をかけている。


だが本物の「侵入者」は既に屋敷の壁の中にいる。


――そして、その存在に唯一気付いているのは、この俺だけだ。


ユウトは口元に微かな笑みを浮かべた。


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