船上の物の怪
僕が内航船「羽鐘丸」の乗組員になって、もうすぐで4ヶ月になる。
特にやりたいこともなく毎日をただ何となく生きていた僕は、友人に誘われるがまま海員学校に入校し、学校卒業後は先生の薦めるまま船乗りになった。
家にはなかなか帰れないし仕事も忙しいけれど、僕みたいな若造でもそれなりに給料をもらえるので、仕事に慣れてきた今では船乗りになってよかったと思えるようになっていた。
この日は、港で荷下ろしをした後は翌々日まで停泊する予定だったので、「羽鐘丸」恒例の飲み会をすることになり、僕は大慌てでお酒やらおつまみやらの買い出しのためチャリンコを走らせた。
船に戻り、ビールを冷蔵庫に放り込み、食堂でおつまみのモロキュウ用のからしマヨネーズを和えていると、船長のヤマシタさんが僕に話しかけてきた。
「おぉウメヤマ君、いつもご苦労さんだね」
まだまだヒヨッコの僕にも船長はいつも柔和な笑顔で接してくれる。
「いえ、これくらいしないと。いつも先輩たちに迷惑かけてますから」
僕は、船長の優しい言葉に恐縮しながら返事をした。
「いやいや、船乗りもなり手が減ってきてるし、ウメヤマ君のような若い子がうちの船に乗ってくれて私は嬉しいし、教えることに迷惑なんて感じないよ」
船長が僕の肩を叩きながら僕を励ましたところで「船長はウメヤマになんも教えてねぇべや、いいことばっかり言ってこの」と、船の長老である甲板長のマツオカさんが笑いながら割り込んできた。
「甲板長は船の世界では船長より偉くて怖い」と海員学校の先生から耳にタコができるほど聞かされていたけど、マツオカさんは好々爺という雰囲気で、右も左もわからない僕にとても優しく接してくれている。
僕が船長と甲板長にからかわれていると、羽鐘丸のご意見番である機関長のヨシダさんが「ウメヤマぁ、はやぐ用意せぇー」と飲み会の催促をしてきたので、僕は大急ぎでおつまみをテーブルに並べ、キンキンに冷えたビールをグラスに注いだ。
飲み会が始まって少し経ち、みんな酔いが回ってきたところで、機関長が妙なことを話し始めた。
「そういや、最近機関室に幽霊出るってナンバンが言ってくんのよ。おれは馬鹿こくなこのって言ってるけどよ、あいつも意地になってんのかムキになってめんどくさくてよ」
ナンバンとは、機関士のタニサワさんのことで、お酒とパチンコとエロ本をこよなく愛する人だ。
普段は大人しいし冗談を言う性格じゃないから、機関長は気にしているようだった。
今日は外出しているのか、飲み会には参加していない。
僕はみんなのグラスが空いていくのを確認してはビールを注ぎ、灰皿を交換しながら話を聞く。
「でも機関長、本当に幽霊出てきてるのかもしんねぇべよ。盛り塩でも盛ったほうがいいんでねぇの?」
甲板長がそう言うと、機関長は「したらなして幽霊が機関室に出んのよ?」と当然の疑問を口にした。
そうしたら船長が「実は、だいぶ前にこの船で首を吊った人がいるんだが、もしかしたらその人かな?」と言ったので僕は驚いた。
「15年くらい前にムラノが死んだな。確か借金がなまらあったはずだな」
甲板長が船長の話に乗っかってきた。
どうやら「羽鐘丸」で自殺した人がいたのは本当のことらしい。
「ムラノさんはどんな人だったんですか?」
気になった僕は聞いてみた。
「ムラノは親がロクでもねぇやつらしくて、仕事もしねぇでムラノの稼いだ金を当てに生活してたらしいのよ。んで、ムラノは借金取りに勧められて金稼ぎのいい船乗りになったけどよ、それでも借金増えてく一方でな。可哀想なやつだったわ」
甲板長は、過去を思い出すように、遠くを見るような目で話していた。
「まぁ、昔っから船って幽霊呼び寄せる言うから、ウチの船に縁あるムラノもきたのかね?」
船長がそう言って、テーブルをポンと叩く。
いつものその合図で飲み会は終わり、僕は後片付けをしてから自室に戻り、少しだけ本を読んで眠りについた。
翌朝、僕は甲板長の指示で出発前にロープの補修作業をしていた。
普段なら、みんな忙しそうに何かの作業をしているのだけど、その中にタニサワさんがいないことが僕は気になった。
「ボースン、ナンバンはまだ寝てるんですかね?」
僕は、近くでペンキ塗りをしている甲板長に声をかけた。
ちなみに、ボースンというのは甲板長の呼び方だ。
「そういや見てねぇな、ウメヤマ、お前ちょっと見てこい」
甲板長はハケの動きを止めずにそう言い、僕はタニサワさんの部屋に行きノックした。
数回ノックしたけど反応がなく、僕は「寝てるのかな?」と思いながらドアを開けた。
中をそっと覗くと、ベッドにタニサワさんはいなかった。
でも、何か妙な匂いがするので部屋の中に入ると、ドアの影になるようにあるロッカーのフックにロープをかけ、座り込むようにして首を吊って死んでいるタニサワさんがいて、僕は驚きと恐怖のあまり大声で叫んだ。
船長が海上保安庁に通報し、タニサワさんの遺体が引き取られていった。
その後、「羽鐘丸」の乗組員全員が取り調べを受けたけど、誰も自殺になるようなことに心当たりはなく、ましてや殺すような事情もなかった。
取り調べの中で、一枚のメモの写真を見せられた。
そのメモには「アイツからもう逃げられない」とタニサワさんの特徴的な丸っとした癖のある字で書いてあった。
「これを見て、何か思い当たる節はありますか?」
そう聞かれたけど、僕には何もわからなかった。
ただ、何か薄気味悪さだけが僕の心に残った。
海上保安官の捜査で、事件性はなく自殺だろうということで、「羽鐘丸」には日常が戻った。
ただ、初めて死体を見た恐怖、それが職場で起こったこと、それに毎日、タニサワさんが夢に出てきて「早く逃げろ」と言ってくるようになり、僕は名残惜しかったけど「羽鐘丸」を下船することにした。
それからまた就職活動をして、「羽鐘丸」とは別の会社が運航する内航船に乗船した。
その船の乗組員はとても厳しいけど、僕は嫌な記憶を消したいとの思いから必死に働き、数ヶ月経った頃には仕事を認めてもらえるようになった。
ある日の夜、飲み会をしていると、船長のイトウさんから「そう言えばウメヤマは『羽鐘丸』に乗ってたんだよな?」と聞かれ、僕は「はい」と答えた。
その会話を聞いた甲板長のヤマノさんが「降りて正解だ、あの船は」とボソッと呟いたので、僕はその理由を聞いてみた。
「あの船はよ、何年かごとに誰か死ぬのよ。事故だったり自殺だったりな。原因は誰にもわからねぇけど、ただひとつ、死んだやつには夢まで追いかけてくる幽霊に祟られるって噂がある。本当かどうかは知らねぇが」
と甲板長は言い、大きくタバコを吹かした。
あの日から毎日、僕は、タニサワさんの夢を見ている。
そして、夢の中のタニサワさんは、いつも僕に「逃げられない」と、呟くのだ。
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