第7章 白装束の女の素顔
八月の初め、私はついに耐えきれなくなった。
夜ごとの夢はますます濃くなり、現実でも視線や気配を感じる瞬間が増えていた。
眠りは浅く、職場でも上の空。
——このままでは壊れる。
そんな予感が、ずっと背中に貼りついていた。
夕方、帰宅途中。
アパートの影が視界に入った瞬間、私はポケットからスマホを取り出し、意を決して大家に電話をかけた。
「……あの、この部屋で、以前に何か……事件とか、ありませんでしたか?」
短い沈黙が落ちる。
その間、受話器の向こうから微かにエアコンの唸りが聞こえる。
私の心臓の音が、それと同じリズムで早くなっていく。
やがて、ため息を混ぜた声が返ってきた。
「……気づいてしまったのね」
喉の奥がきゅっと縮む。
大家によれば——五年前、この部屋に住んでいた二十代半ばの女性が、自ら命を絶ったという。
理由は、長年想いを寄せていた女性が男性と結婚したこと。
その女性は同性愛者で、生前も若い女性にしか心を開かなかったらしい。
「とても綺麗な人だったのよ。黒髪で……笑うと、少し影が差すような目をしていた」
その声には、事務的な説明の裏に、押し殺した罪悪感と、どこか艶やかな記憶が滲んでいた。
「……でも、契約のときに、そういう話は……」
問いかける私に、大家は声を低くした。
「告知義務はね、次の入居者さんまでなの。
その方の後に、一度だけ別の方が入ったのよ。短期間で出ていったけれど……
だから、あなたには説明しなくても、法律的には問題ないの」
胸の奥に、重い石が落ちたような感覚が広がる。
——私は「大島てる」という事故物件情報サイトの存在を知っていた。
けれど、霊感なんてほとんどないし、自分には無縁だと思っていたから、わざわざ調べもしなかった。
電話を切ったあと、私は震える指でスマホを操作し、「大島てる」を開く。
地図上に浮かぶ赤い炎のアイコンをタップする。
そこには、私の住所と部屋番号がはっきりと記されていた。
『女性の自殺(絞首)』——短い記載と日付。
そして、間取り写真は、今私が暮らしている部屋そのもの。
画面の光が、暗くなり始めた室内の壁を不気味に照らす。
指先がじっとりと汗ばみ、呼吸が浅くなる。
心臓の音が耳の奥で反響し、視界の端が暗く滲んでいく。
——もう、偶然や思い込みではない。
この部屋には、確かに“その人”がまだいる。
しかも、その眼差しは、私だけを見つめている——そう、確信した。
それは、恋にも似た、逃れられない執着の熱を帯びていた。
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