第29話 母娘みずいらず・後編
さきほど、床に転がってひまわりの紋様を避けたリサ。
そのリサは今、まだ、立ち上がれずにおった。
「ちょ、ちょちょちょちょっと、あいつ、まだこっち狙ってる、やめ、やめて……」
ひまわりの巨大な凛々しい顔に、じっと見つめられながら。
……自分で言ってて訳が分からぬが、事実なのじゃから仕方がない。
そしてその顔ひまわり、もとい、ひまわりの顔……ややこしいからもう「顔ひまわり」で良いか。とにかく其奴はリサに狙いを定め、弾けるような速さで空中を駆け……
「いやああぁぁあ!」
絶叫するリサに、再び躱された。
躱されたのじゃが、今度はリサを見失うことはなく、空中を滑るように移動しながら顔を回し、視線をじっとリサに合わせておった。
一旦通り過ぎてから振り返った先程とは大きな違いじゃ。此奴、この僅かな間に成長しておる。魔術の紋様なのに。うん、訳が分からん。
そして、相変わらず凛々しい顔が怖い。
……じゃが、これに追いかけられるほうはもっと怖いじゃろうな。リサが避けるのも、絶叫するのも、気持ちは分か……あれ?
リサはどこじゃ? 見当たらぬ。さっきまで、儂から見て左のほうにおったはずじゃが……
がしっ!
……え?
突然、儂を背後から掴む、2つの手。その手は儂を、顔ひまわりの方向に突き出す。まるで盾にするかのように。
だ、誰じゃ、こんなことをするのは? いや、この部屋には儂とリサしかおらぬ。つまり……
「リサ! 何をする!」
「うるさい! あれ、あなたが受けなさい! あなたの魔術でしょ!」
いつの間にか儂の背後に回ったリサが、儂の背後に隠れておったのじゃ。
顔ひまわりはリサのいる方向を見て、それは当然儂のいる方向でもあるわけで、儂とも目が合って、凛々しい顔で静かに見つめてきて、分厚い唇は僅かに微笑んでおって……怖い。
「は、は、放せリサ! こんなことせんでも、逃げれば良いじゃろう!」
「追って来るじゃない! それに、足くじいて逃げられないのよ!」
「じゃ、じゃからって……」
そして顔ひまわりは、先程までとはうって変わり、ゆっくりじわじわと近づいて来おる。
……儂らが動けぬのを、悟っておるかのように。
しかも近づきながら徐々に大きくなってゆく。きりっとした顔のままで。
「なんとかしなさい、あなたの魔術でしょう!」
「お主の言ったやり方で出たものじゃろうが! だ、大体、自分の子どもを盾にする奴があるか!」
「あなただって、母親だと思ってないでしょう! って、あ、あ、あ、あ……」
「な、あ、あ、あ……」
ついに儂らの眼前にまで迫った顔ひまわり。そのまま儂らを飲み込んでゆく、のかと思いきゃ、天井のほうに浮き上がり、うつ伏せになって儂らを真上から見下ろしてきおった。
最初のときの倍以上の大きさに膨らんで。
そして上からゆっくり降りてきて、儂らに圧し掛かり……
「「ああああー!」」
思わず頭を覆って身を固めておると、しばらく、しーん、という静けさが漂った。
恐る恐る目を開ける。
すると、顔ひまわりは既に消えておって……
「り、リサ様、が、ガストル様がお見えです」
部屋の入り口には、ポーラが立っておった。
◇
時は少し遡る。
ポーラがシンディの寝室に入る直前のこと。
——……って、母親だと思ってないでしょう!
廊下にいたポーラの耳に、リサの叫び声が聞こえてきた。しかも、不穏な内容で。
そして思わず足を止めると、今度は……
——ああああー!
悲鳴が聞こえて来た。
ただ事じゃない。そう判断したリサは廊下を走り、扉の前で声をかける。けれど、中にいるはずのリサとシンディは気付いていない様子。
どうするか。勝手に開ける訳にはいかない。でも非常事態だったら。
先程までとは一転、部屋の中からは何一つ物音が聞こえない。ポーラは意を決し、扉を開ける。
すると。
部屋の中には何一つ荒れた様子はなく、それなのに頭を抱えて蹲っているリサとシンディの姿が。
本当に何事? と思案に暮れていると、顔を上げたリサと目が合い、次いでシンディと目が合う。何か言わなければ、と思ったポーラは……
「り、リサ様、が、ガストル様がお見えです」
そう、用件を告げるのがやっとだった。
そして。
「ぽ、ポーラ? い、いつからそこに……?」
「つ、つい先程です、リサ様。その、悲鳴のような声が廊下に聞こえて、その、尋常ではないご様子でしたので、その」
「そ、そうなのね。あ、ありがとう。とにかくじゅ、準備するわ」
しどろもどろのリサ。ポーラの受け答えも同じようなものだが、そのポーラにもリサの様子は不自然に見える。
まるで人に見られてはならない何かが直前まであったかのような。このまま何事もなかった風を装っていたいかのような。
不穏な叫び声を上げていたリサが。
「シンディ、さっきのはもう、やっちゃ駄目よ」
そのリサはシンディにそう言い残し、寝室を後にする。
……何か、あった。親子関係が危うくなる何かが。
そう判断したポーラは、密かに、マーサに相談すべきかと思い悩むのだった。
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