第35話 ますます好きになっちゃう!

 夜の職員室。扉を少しだけ開けると、陽菜乃の心臓が跳ねた。

 まだ、残っている。

 美穂の姿が見えて、陽菜乃は手に提げた紙袋を握りしめる。

 深呼吸をひとつして、扉を開ける。

 ガラガラ、と扉が音を立てると、美穂はこちらに気づいて顔を上げた。

「あ、日比谷先生。まだ残ってたんですね」

 なんでもないように言ったつもりだったけれど、緊張で声が震えている。

 美穂は笑って「ええ、ちょっとだけ」と返す。

 普段通りのやわらかな声。だけど陽菜乃は落ち着かなくて、ぎゅっと紙袋を握った。

「久慈先生は、もう帰るところですか?」

「はい。でも…」

 言いよどんで、思い切って袋を差し出す。

「これ…日比谷先生に」

 美穂はきょとんとした顔で受け取り、袋を見下ろす。

「どうしたの?これ…」

 喉が詰まる。けれど、勇気を振り絞って言った。

「えっと、今日、誕生日ですよね…9月25日」

 その瞬間、美穂の表情がふっと崩れる。驚いて、それから笑った。

 その笑顔があまりにも無防備で、綺麗で、胸が熱くなる。

「本当だ。今日だったのね…すっかり忘れてました」

 陽菜乃が慌てて「え、もしかして間違えてましたか?」と問いかけると、美穂は首を振って「違うの、私が忘れていただけ」と答えた。

「もうこの歳になると、誕生日ってそんなに嬉しくないんだけどね」

 そんなことを少し照れたように言いながら袋を開ける。包装を解く指先の動きひとつひとつに見入ってしまう。

 箱を開けると現れたのは陽菜乃が悩んだ末に選んだスカーフ。

 美穂の目が大きく見開かれる。

「…綺麗ね」

 その一言に、胸がきゅっとなる。

「何がいいかなって考えたときに…」

 うっとりとスカーフを眺める美穂を見ていたら、自然と声が出ていた。

「入学式の日に日比谷先生がスカーフをつけていたのを思い出して。それで」

 美穂は目を丸くし、それからゆっくりと表情をやわらげた。

「そんなこと、覚えてたの?」

—覚えてる。日比谷先生にとっては何気ない一瞬かもしれないけれど、陽菜乃の目には焼きついて離れない姿。

「綺麗だなって思ったんです。そのときの日比谷先生が」

 自分で言って、顔が熱くなる。視線を逸らしたけれど、美穂は微笑む。

「ありがとう。すごく嬉しい…」

 その声が、耳の奥まで響いてくる。選んでよかった。

 

「この鞄につけたら、可愛くなりそうじゃない?」

 美穂はふと鞄を見やり、スカーフを持ち手に結んでみる。

 ブルーの模様が映えて、想像以上に華やかになった。

 結び終えると、陽菜乃の方を向いて鞄を見せる。

「どう?」

 息が止まる。問いかけられたことより、あまりに嬉しそうな笑顔にやられる。

「すごく、似合います!」

 やっとの思いで答えると、美穂はさらに微笑んだ。

 そのとき、美穂がスカーフを指先で撫でながらぽつりと呟く。

「こうして鞄につけていれば、いつでも久慈先生の優しい気持ちを感じていられるから」

 平然とそう言う美穂の姿を見て、心を揺さぶられたような気持ちになり、息が詰まる。

—そんなふうに言われたら…もっと好きになる…

 ほんの少し指で布をなぞる、その仕草までが目に焼き付く。

 まるで陽菜乃の気持ちに触れているようで、苦しくて、でも嬉しくて。

「本当に、ありがとう」

 陽菜乃はただ、必死に頷くことしかできなかった。

 溢れ出しそうな本当の想いを、胸の奥に隠しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る