ひなみほ観察記録7

「やっと文化祭だー!」

 衣装のメイド服に着替えながら琴子が声を弾ませる。

「やっぱこの衣装、かわいいね」

 少ない衣装代の中で、衣装係が制服と組み合わせて工夫してくれたコーディネートだった。

 ゆあは櫛を手に取り、紬の髪をとかしていく。

「はい、できたよー」

「わあ、かわいい!ありがとう」

 ゆあによってアレンジされた髪型を見て、紬が喜ぶ。

「私もやって!」

 着替えを終えた琴子が、子供のように目を輝かせて座り込む。

「はいはい」

 琴子の髪をとかしてあげると、ウキウキした様子で鏡を覗き込んだ。


 やがて体育館に移動して、オープニングが始まるのを待ちながら並んで座る。

「そういえばさあ、橋本先生と4組の子が有志発表で歌うらしいよ〜」

 琴子の何気ないひと言に、前を向いていたゆあは思わず琴子に顔を向ける。

「だ、誰!?その4組の子って!」

 いきなり身を乗り出すゆあに、琴子は目を丸くしながら吹き出した。

「小諸ちゃんどうしたの?あ、もしかして、橋本先生のことが好きとか…?」

「えー、そうなの!?」

 盛り上がる琴子と紬に、ゆあは慌てて首を横に振る。

「ち、違うってば!橋本先生は、推し?みたいな感じで…」

 視線を下げながらそう言うと、頬がじわっと熱を帯びる。

「今日の髪型も橋本先生を意識してたりしてます?前髪の分け目も違うし、ポニーテールだし」

 琴子に図星を突かれて、ゆあはますます顔が赤くなる。

「髪型、変?」

「ううん、似合ってるし、かわいいよ!」

 ゆあは紬の言葉に胸を撫で下ろした。

「あ、そうだこれ貸してあげるー!」

 琴子はそう言うと、小さなハンドバッグからペンライトを取り出して、ゆあと紬に差し出した。

「ほら、2人の分も持ってきたんだよ!一緒に振ろう!」

 ペンライトを受け取ると、体育館の照明がふっと落ちる。

「みなさん、もうすぐ堤華祭が始まります!準備はいいですか〜?」

「はーい!」

 体育館いっぱいに響く大きな声。上級生たちは当たり前の掛け声のように叫ぶ。それにつられて、ゆあたち1年生も声を出す。

「堤華祭、始まるよー!」

 司会の声に応えるように大きな拍手が湧き起こった。

 3人は胸を高鳴らせながら、初めての文化祭を迎えていた。


「あ、橋本先生、出てきたよ!」

 いくつものパフォーマンスが終わり、ついに円香たちの出番。琴子がわざとらしくゆあの前で呟く。

「みなさーん!堤華祭楽しんでますかー?」

「いえーい!」

 ギターを抱えたウルフカットの生徒とマイクを持つ円香がステージに上がると、体育館中に歓声と拍手に包まれた。

 白いTシャツにピンクのフリルスカートという、いつもと少し違う円香の装いに、ゆあは思わず心の中で叫ぶ。

—かわいい、かわいい…!

 ゆあはペンライトの光をピンクに変えた。

「橋本先生カラーって、ピンクなの?」

 琴子がゆあを覗き込んで尋ねる。

「琴子、知らないの?橋本先生、ピンクの入った服よく着てるじゃん。シュシュもピンクだし、今日のスカートも…」

 そこまで言って慌てて口をつぐむ。

「あらら〜?これはこれは」

 琴子のからかいにゆあは顔を伏せ、ステージへ視線を戻した。

 円香が手を振ると、体育館のあちこちから声援が飛ぶ。ゆあも負けじとステージに向かって手を振った。

「それでは聞いてください!」

 ギターの前奏が始まると自然に手拍子が広がり、ゆあたちもリズムに合わせてペンライトを振る。

 円香の綺麗な歌声が響いた瞬間、思わず息を呑んだ。ギターと息の合ったパフォーマンスに、ゆあは釘付けになっていた。

 その姿は、普段の授業をしている円香とはまるで違う。ステージの光に包まれ、キラキラ輝いていた。


「ありがとうございましたー!」

 演奏が終わり、2人が深々とお辞儀をすると、大きな拍手が湧き起こった。

「ねえねえ、橋本先生、歌上手だったね!びっくりした!」

 隣に座る琴子が、両手のペンライトをぶんぶん振りながら、小声で呟く。

「うんうん!ライブ会場にいるみたいで楽しかった!」

 紬も興奮した様子で、まだ余韻に浸っているようだった。

 その熱気につられてか、ゆあの口から思わず言葉が飛び出した。

「ら、来年は…わ、私も、橋本先生と一緒にステージに立つもん!」

 言った瞬間、心臓が跳ね上がる。2人を前にして、勢いで宣言してしまった。自分でも何が起きているのかよくわからない。

「え、ちょっと!小諸ちゃん、何か楽器とかできるの?」

 驚いた琴子が笑いながら突っ込む。

「…ピアノならできるから…!」

 謎の自信が湧き上がり、咄嗟にそう言ってしまう。口にしてから、じわじわと恥ずかしさが込み上げてくる。

「がんばれ〜。楽しみにしてるよ!」

 紬は小さくガッツポーズをして、目を輝かせていた。

 顔から火が出そうになりながらも、胸の奥には新たな目標が芽生えていた。

 ゆあは、円香と並んで演奏していたギターの子が少し羨ましかったのだ。


 クラスのシフトが終わったのは、午後の後半に差し掛かった頃だった。

「やっと終わったー!」

 琴子が大きく伸びをする。紬も疲れた顔をしながら、琴子にもたれかかっていた。

「茅野ちゃんに小諸ちゃん。ちょっといいかい?」

 水を飲み回復した琴子が、少しふざけた口調で紬とゆあに語りかける。

「なに?」

 ゆあが首を傾げると、琴子は何かを企むように、ニヤリと笑った。

「美穂さんと久慈ちゃん先生を探しに行きましょー!そして一緒に写真を撮りましょう!」

「え、行く行く!」

 琴子の言葉に、隣で溶けそうになっていた紬が飛び起きる。

「よーし、じゃあ探しに行こう!」

 琴子につられて、3人は陽菜乃と美穂を探す旅に出た。


「そう簡単に見つかるわけないかー」

 探し始めて15分、綺麗に飾り付けられた教室を横目に、ゆあが何気なく呟く。

「久慈先生いたー!」

 突然、琴子が大声を出して驚いていると、目の前に陽菜乃姿が。

「ねえ、ゆあ。日比谷先生あっちにいる!」

 紬の声に今度は左を向くと、美穂の姿が。何が何だかわからなくなり、ゆあはひとりで戸惑っていた。

「先生、一緒に写真撮りましょ!」

 琴子の声に陽菜乃が少し驚いた顔をする。

「あっちに日比谷先生もいるので、5人で撮りましょう!」

 明らかに不自然に慌てた紬が、そう言って美穂のいる方向を指差す。

「早くしないと日比谷先生見失っちゃう」

 ゆあは咄嗟にそう言って琴子の肩を軽く叩くと、琴子は勢いのまま陽菜乃を連れ出し、廊下を駆け抜けた。

「日比谷先生ー!」

 琴子の声に気づいた美穂は振り返り、驚いた表情を見せた。

「あら、戸沢さんたちに…それに久慈先生も」

 美穂は少し戸惑った様子でこちらを見ていた。このメンバーなら驚くのも無理はない。ゆあは心の中で突っ込む。

「一緒に写真撮りたいです!」

 琴子のお願いに、美穂は迷わず頷く。その様子を見て、琴子は嬉しそうにスマホを取り出した。

「はいはい!みんなもっと寄って!」

 琴子がスマホを掲げると、狭い画面に5人の姿が映る。陽菜乃と美穂がくっついて映るその画面はなかなかにいい光景であり、ゆあは思わず笑顔になった。

 カシャッ

 シャッター音が鳴ると、琴子はスマホを手元に戻す。

「おおー!いいのが撮れました!」

 ゆあと紬もスマホの画面を見て、撮れた写真を確認する。3人で顔を見合わせると、それぞれが満足げな表情で笑っていた。

「ありがとうございました〜!」

 陽菜乃と美穂にお礼を告げると、ゆあたちは廊下を抜けて階段を駆け上がった。


「写真ゲットぉ〜!」

 踊り場で足を止めると、琴子がスマホを掲げた。

「作戦成功の記念に3人の笑顔をパシャリ〜」

 充実した様子の3人が謎の決めポーズとともに切り取られる。その笑顔はどこか誇らしげだった。

「あー楽しかった!」

 紬がくるくると回って舞い上がっているのを面白がって笑っていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。

「戸沢さん!」

 振り返ると、陽菜乃の姿があった。スマホを握りしめ、少し息を切らしている。

「あれ、久慈先生!どうしたんですか?」

 驚いた様子の琴子に、陽菜乃は真剣な眼差しで口を開く。

「さっきの写真、もらってもいいかな」

 ゆあたちは顔を見合わせる。やがて3人は同時にニヤリと笑った。

「やっぱり、久慈先生、日比谷先生のことが大好きなんだなー」

 わざとらしく琴子が棒読みで呟くと、陽菜乃は恥ずかしそうに視線を落とした。

「はい、転送しましたよ!」

 琴子と陽菜乃がスマホを操作する。

「ありがとう」

 陽菜乃は短く感謝を伝える。その声はどこか嬉しそうだった。

「先生も楽しんでくださいねー」

 ゆあと紬はそんな陽菜乃に手を振りながら走り去った。


「ねえねえ、今の久慈ちゃん先生、めちゃくちゃ可愛くなかった?」

「わかるよ、わかるよ〜!」

 琴子の問いに、紬が目をギュッとつぶって同意する。

「写真欲しさに追いかけてくるの、あれは日比谷先生に恋してる」

 そう呟くゆあはニヤニヤが抑えられなくなっていた。

 3人は歩きながら笑い合った。

「次はどこ行く?」

 ゆあの呼びかけに、琴子は大げさに腕を組んで考える。

「3年生のところでお菓子売ってるって!そこ行こう!」

 紬がパンフレットを広げて見せると、3人はわちゃわちゃと騒ぎながら次の目的地へと向かった。

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