第32話 文化祭!
いよいよ文化祭当日。正門には“
廊下を歩けば、どのクラスも趣向を凝らした装飾で彩られていて、生徒たちも制服ではなく、可愛らしい衣装に身を包んでいた。
普段の学校とは別世界のようで、陽菜乃は自然と目を奪われていた。
生徒たちは、これから始まるオープニングに向けて、準備を進めているようだった。
そんなふうにいつも違う景色を見ながら、陽菜乃も教室棟を抜けて体育館へと向かう。
「久慈先生ー!」
体育館の壁際でオープニングが始まるのを待っていると、視界の隅に手を振る円香の姿が見えた。
「あ、橋本先生…って、その衣装、どうしたんですか!?」
近づいてきた円香は、ピンクのフリルスカートに白いTシャツという、いつもとは違う雰囲気の装いだった。
「これですか?実は、オープニングの有志発表で歌うことになったんです!4組にギターやってる子がいて、その子に演奏したいから一緒に歌ってほしいって頼まれちゃって」
陽菜乃は1ヶ月ほど前のことを思い出す。そういえば、有志団体を募集してたっけ。
「そうなんですね。でもあれ、オーディションの倍率、かなり高かったんじゃ…」
「はい!でもオーディションはなんとか突破したみたいです!」
笑顔でそう答える円香は、これからの発表が楽しみで仕方がない様子だった。
「久慈先生は歌ったりしないんですか?」
興奮気味に寄ってくる円香に、陽菜乃は苦笑いしながら答える。
「わ、私は別に…」
「音楽の先生が歌ったらみんな喜ぶと思うんですけどねぇ。あ、それに日比谷先生も—」
「ちょっと、やめてくださいよ!」
こんなところで誰かに聞かれたらまずい。そう思った陽菜乃は、からかい半分に美穂の名前を出してきた円香の話を遮る。
「じゃあ、そろそろ行ってきます!久慈先生も、来年は出てくださいね!」
ひらひらと手を振りながら円香は舞台裏に消えていった。
「…危なかったー」
考えていたことが思わず声に出てしまって、慌てて自分の口を塞ぐ。
「何が?」
すぐ後ろから声がして、心臓が止まりそうになる。振り返ると凛が不思議そうな表情を浮かべて、こちらを見ていた。
「あー、いや」
なんとか乗り切ろうとする陽菜乃は頭の中で言葉を並べる。
「そ、そういえば、橋本先生がこの後歌うみたいですよー」
「え、ほんとですか!」
何事もなかったかのように、凛は陽菜乃の話に食いついた。
そのとき、ステージの照明が明るくなり、司会の生徒が姿を現す。前方の扉付近には、出番を待つ生徒たちが次々と入場していた。
「みなさん、もうすぐ堤華祭が始まります!準備はいいですか~?」
「はーい!」
体育館いっぱいに響く大きな声。女子校ならではの勢いに、陽菜乃は圧倒される。
「堤華祭、始まるよー!」
掛け声とともに、音楽が流れ出し、照明が一気に落ちる。明るくポップなメロディとともにステージに現れたのは、校長と文化祭実行委員。軽快なダンスに、生徒たちは歓声を上げ、ペンライトを振り始める。
「この学校の名物らしいですよ。校長が毎年オープニングでダンスをするらしいです」
隣に立つ凛が笑いながら教えてくれた。
体育館は、色とりどりの光と熱気に包まれ、まるで本物のライブ会場のようだった。
部活のパフォーマンスやバンドの演奏などが続き、いよいよ円香たちの出番がやってくる。
「おお〜。出てきたよー」
ギターを抱えた生徒と並んで立つ円香。マイクを取ると、大きな声で叫んだ。
「みなさーん!堤華祭楽しんでいますかー?」
「いえーい!」
会場中が一体となって叫び、拍手が湧き起こる。
「今日はなんと、橋本先生にも歌ってもらいます!」
円香が手を振ると、あちこちから「きゃー!」「頑張ってー!」などといった声が響く。
「それでは聞いてください!」
演奏が始まると、自然と手拍子が広がった。誰もが知る有名バンドの曲。円香の歌声は伸びやかで、ギターを弾く生徒との息もぴったりだった。
「橋本先生、歌上手くないですか?全然知らなかったんですけどー!」
凛が興奮気味に陽菜乃の腕をつつく。
「ですね。私もびっくりしました」
円香が歌っているところを初めて聴いた陽菜乃は心を打たれていた。
「うちの文化祭、すごいでしょう?」
陽菜乃がすっかりステージに釘付けになっていると、耳元に柔らかな声が届く。右を向くと、美穂が立っていた。
「私が通っていたときから、全然変わってないの。なんかこういう、元気な雰囲気がいいわよね」
「女子校は初めてなので、ちょっと不思議な感じですけど楽しいです。みんな素直に楽しんでるのが素敵だなって」
陽菜乃がそう答えると、美穂は嬉しそうな表情を見せた。
会場を揺らす歓声とペンライトのきらめきの中で、陽菜乃の心は弾んでいた。
午後になり、一般公開が始まると、廊下や教室は人で溢れかえった。呼び込みの声や音楽が混ざり合い、学校全体がひとつのお祭り会場のようだった。
陽菜乃は校内整備兼見回り役として、校舎内に異常がないかを確認しながら歩いていた。
「久慈先生いたー!」
背後から元気な声が聞こえて振り向くと、メイド服を着た3人組が駆け寄ってくる。
「先生、一緒に写真撮りましょ!」
いつもより少し高い位置で結ばれた琴子のポニーテールがぴょんぴょん跳ねる。
「あっちに日比谷先生もいるので、5人で撮りましょう!」
紬が指さした先には、美穂の姿があった。
「早くしないと日比谷先生見失っちゃう」
ゆあが焦って琴子の肩を叩くと、琴子はその勢いのまま陽菜乃の腕をつかんで走り出した。
—日比谷先生と写真なんて、心の準備ができてないって…!
いきなりのことに心臓が跳ねるのを抑えられないまま、陽菜乃は引っ張られるように廊下を進む。
「日比谷先生ー!」
琴子の声に、振り向いた美穂が、少し驚いた表情を見せる。
「あら、戸沢さんたちに…それに久慈先生も」
「一緒に写真撮りたいです!」
琴子のお願いに、美穂はすぐに頷いた。琴子は舞い上がりながらスマホを取り出す。
「はいはい!みんなもっと寄って!」
琴子がスマホを掲げる。狭い画面に収まるように自然と肩が触れ合い、思わず美穂の手が陽菜乃腕に触れた。ほんの一瞬かすめただけなのに、その感触に胸がそわそわする。
カシャッ。
シャッター音とともに、瞬間が切り取られた。自分の表情を気にする間も無く、その一瞬は終わってしまっていた。
「おおー!いいのが撮れました!」
3人は画面を確認すると、満足げな様子でそのまま駆けて行ってしまった。
「みんな文化祭楽しんでますね」
美穂が隣で微笑む。その穏やかな声が、陽菜乃の心を余計にざわつかせる。
「そうですね…」
そう一言だけ残した陽菜乃は、次の見回り場所に行くふりをして琴子たちを追いかけていた。
「戸沢さん!」
階段の踊り場で3人を見つけ、思わず声を上げる。
「あれ、久慈先生!どうしたんですか?」
驚きながら振り向いた3人に、陽菜乃はスマホを握りしめながら言った。
「さっきの写真、もらってもいいかな」
一瞬顔を見合わせた3人は、同時にニヤリと笑った。
「やっぱり、久慈先生、日比谷先生のことが大好きなんだなー」
わざとらしく棒読みで言われ、陽菜乃は何も言い返せなかった。
「はいっ、転送しましたよ!」
琴子が操作すると、手に持っているスマホが震える。
「ありがとう」
短くそう告げると、3人は「先生も楽しんでくださいねー」と手を振りながら去って行った。
写真の中の陽菜乃は緊張でぎこちなく笑っていたが、楽しげな表情の生徒と美穂に囲まれていた。その画面の美穂とさえ、なぜだか真っ直ぐ目を合わせられない。
廊下の向こうからは呼び込みの声や話し声が響いているのに、陽菜乃の中には自分の鼓動ばかりが大きく響いている。
胸の奥が熱くなるのを抑えるように、陽菜乃はスマホをポケットにしまいこんだ。
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