第30話 ふたりでお食事
夏休みも終盤のある日の昼。美穂からの誘いに嬉しさ半分、緊張半分で陽菜乃は待ち合わせのファミレスへと向かった。
扉を開けると、冷房の風とともに、ふわっと香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
陽菜乃が席を探していると、すでに席に着いていた美穂が手を上げ、柔らかな笑みを見せた。
「久慈先生、こっち」
陽菜乃は少し緊張した面持ちで歩み寄る。テーブルに向かい合って座ると、美穂が小さく息をついて言った。
「突然食事に呼び出したりして、ごめんなさい」
「いえ。日比谷先生に誘っていただけて、嬉しかったです」
それは単なる表向きの理由ではなく、陽菜乃の本心だった。
2人はメニューを開く。色とりどりの料理の写真はどれも美味しそうで、迷ってしまいそう。陽菜乃が決めかねていると、美穂はテーブルに置かれたタッチパネルに番号を入力していた。
「久慈先生は、決まりましたか?」
陽菜乃は美穂を待たせていることをなんだか申し訳なく感じて、ランチセットのドリアを注文した。
注文を終え、ドリンクバーに飲み物を取りに行ったあと、陽菜乃は気になっていたことを口にした。
「あの…どうして私と食事なんて」
美穂は少し考えてから、静かに答える。
「少し、話したくなってね…」
「そう、なんですね」
テーブルに少しの沈黙が流れる。グラスに注がれたオレンジソーダの泡が、ぷつぷつと浮かぶ。
無意識のうちに、陽菜乃の口が開く。
「実は、私もちょっと話したかったです」
陽菜乃がそう返すと、美穂はふっと目を細めて話し始める。
「最近、いろいろ考えることがあって。悩みってほどでもないんだけど、周りは結婚したり、子どもを育てたりしていて…人生を考えるというか…ね」
この人も、こういうことで悩むんだなあ、と陽菜乃は少し意外に思う。
陽菜乃の中での美穂は、なんでも上手くいってそうなイメージだった。勝手な想像だけど。
「わかります。私もこの間、久しぶりに実家に帰ったら“結婚は?”なんて言われちゃって」
美穂の話を聞いて、実家での出来事を思い出す。
「別に、結婚したいとか思ったことないのに」
うっかりこぼした陽菜乃の言葉に、美穂は心配そうな表情を見せる。
「すみません、こんな愚痴みたいな話…」
「いいんですよ」
にっこり微笑む美穂。その顔を見て、陽菜乃は自分のなかで複雑に絡まっていたものがほぐれるような温かさを感じた。
「本当になんとなくなんだけど、久慈先生とならどんな話もできる気がして」
飲み物を飲む陽菜乃の手が止まる。
—そんなこと言われたら、本気になっちゃう。
そこへ、運ばれてきた料理がテーブルに並べられる。
陽菜乃はフォークを取り出し、まずはサラダを口に運ぶ。
「そういえば、久慈先生って、何か好きなものとかってありますか?」
食べ始めて早々、美穂がいきなり陽菜乃のことを探ってきた。
—えっ?好きなものって…
陽菜乃は頭の中に、美穂の顔を思い浮かべたが、それは言えない。
こういうとき、普通はどんなものを言うのだろうか。陽菜乃はぐるぐると考えを巡らせる。
—あ、食べ物とか。
「ぜ、ゼリー、フルーツゼリーが好きです。特に、みかんが入ってるやつとか…!」
「へえ…可愛いですね」
必死になって説明する陽菜乃に、美穂の一言が刺さる。
—か、可愛い!?
陽菜乃はどう反応したらいいか分からず、美穂が出した話題をやっとのことでそのまま返す。
「ひ、日比谷先生は何かありますか?」
美穂は少し考えると、落ち着いて答えた。
「私は、抹茶系のお菓子が好きかな。趣味は特にないけど…ネットで通販サイトとか、よく見ちゃいます」
「なるほど…」
陽菜乃はグラスに手を伸ばす。さっきから緊張で喉が渇いて、何度も飲み物を口にしてしまう。シュワシュワとした炭酸の泡が喉を通り過ぎると、口の中がスッキリした。
「ちょっと、飲み物取ってきますね」
グラスが空になり、陽菜乃が席を立つ。美穂は笑顔でただ頷いていた。
ドリンクバーでひとりになり、気分を落ち着かせる。
大丈夫。ちゃんと話せてる。陽菜乃は深呼吸をしてグラスにカフェラテを注いだ。
席に戻ると、美穂が机の上に貼ってあるメニューを指さして言った。
「久慈先生、白くまのかき氷があるみたいですよ」
美穂の指先の辺りを見ると、真っ白な氷の上に、たくさんのフルーツが乗ったかき氷の写真が。
「ふわふわで美味しそう…」
思わず呟いた言葉に、美穂が微笑む。
「ほら、前に白くまアイスが好きって言っていたでしょう?」
陽菜乃は目を見開く。2人でアイスを買いに行ったあの日、なんとなく言ったことをまだ覚えててくれている。そんな美穂に、胸のドキドキが止まらない。
「今日は私のお願いで来てもらったんだし、これは私からのプレゼントってことで…」
「えっ、そんなの悪いですよ」
思わず止める陽菜乃に、美穂は手を仰ぐ。
「いいのいいの。久慈先生とおしゃべりしてたら、なんだか気持ちが穏やかになった気がするの」
まっすぐなその言葉に、陽菜乃の胸はどきりと跳ねた。体から湧き出る熱を隠すように、慌ててグラスに口をつける。
—結局いつも、日比谷先生には何かしてもらってばかり。でも今日は、少しだけ甘えてもいいのかな。
目の前の美穂は本当に楽しそうにしている。それは、学校にいるときとは違う表情のような気がした。
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