第24話 勝手な恋心
この高校に異動してきてから3年。美穂とは毎日顔を合わせていたが、こんなに近くで話したのは久々だった。
そんな美穂を見ていると、もっと一緒にいたいと思ってしまう。
「そろそろ戻らないと」
美穂が椅子から立ち上がる。しおりはその動きを目で追いかける。まだ行かないで。
しおりは頭で考えるよりも先に、美穂の手を掴んでいた。
「美穂はさ、全然変わらないよね」
きょとんとする美穂の顔を見ると、あの頃の感情が呼び戻される。
しおりは思わず顔を近づけた。美穂の瞳が揺れている。もっと近くで見たい、繋がりたい。
その瞬間、しおりの腕が振り払われ、美穂が遠ざかっていく。
「そういうのはナシ、でしょ?」
美穂は笑いながらそう吐き出す。
「あなたは、あの頃とは違うの」
—あ、私…
しおりは全身の力が抜けていくのを感じた。
「あなたには守るべきものがあるんだから」
—何やってるんだろう、私は。
誰もいなくなった生物室で、しおりはひとり頭を抱えていた。目からは涙が溢れてくる。
「変わってないのは私のほうじゃん…」
美穂と出会ったのは、高校2年生のときだった。
たまたま前後の席で、話しているうちに仲良くなって。放課後も一緒に勉強したり、話しながら帰ったり。美穂とはいつも一緒だった。
あれは、高校2年生の秋のある日だった。
「美穂のこと、好きなんだよね」
何気なく告白したしおりは、美穂に嫌われることを覚悟していた。
しかし美穂は驚きつつも、しおりを受け入れてくれた。
「…恋愛とか、そういうのはよくわからない。けど、嬉しい」
付き合い始めてからは、休みの日にもよく遊びに行くようになったり、お互いの家に泊まり合ったり、充実した日々を過ごしていた。
高校を卒業して、それぞれ別の大学に進学してからも、週末や長期休みに会って、ふたりで旅行をしたり。
でも、そんな日常が変わったのは、大学2年生の頃だった。変わったというよりも、変えてしまった。
しおりに彼氏ができた。
将来のことを考えたときに、美穂とこのまま過ごすことよりも、彼と過ごしたほうが良いのかもしれない。
そう考えたしおりは、彼氏を選んだ。
こんな身勝手な話でも、美穂は静かに「わかった」と受け入れ、泣きもしなかった。
そのときは、美穂の冷静さに安心したものの、今となっては、本当にそれでよかったのかと問い直してしまう。
やがて結婚して、子どもにも恵まれて。
家族とともに幸せな日々を過ごしてきたけれど、ふとした瞬間に美穂のことを思い出してしまう。
—もし、あのまま美穂と続いていたら、どんな人生だったんだろう…
翌日、部活終わりの生物室でしおりが片付けをしていると、廊下から足音が聞こえた。
普段はあまり人気のないこの場所に響く音。そのすぐあとに、閉めてあったはずの扉が開く。
誰かが忘れ物でも取りに戻ってきたのかな、と思い、しおりは振り返る。
「…あ」
声にならない息のような声がしおりの口から漏れる。
「ど、どうしたの、美穂…」
「ちょっと、話しておきたいことがあるの」
美穂の顔は真剣で、見つめる先はただ一点、しおりの瞳だった。
言わなきゃ。
「あのさ、昨日はごめんなさい。嫌だったよね…」
しおりがそう言うと、美穂は表情を変えずに黙っている。
「今の私は、家族もいて、幸せだよ。でも」
しおりは美穂の見たことない表情に動揺しながらも、思いを伝える。
「ときどき考えちゃって。もし、あのとき私が、美穂を選んでいたら…」
そこまで言い終えたところで、黙っていた美穂が口を開く。
「でも、あなたが選んだのは、今の人生でしょう?」
しおりはなにも言い返せず、顔を歪める。
今まで美穂の口から聞いたことのない、強い言葉。
「その選択を否定したら、あなたの家族はどうなるの?」
続く美穂の言葉が棘のように、しおりの胸に刺さる。
—美穂の言う通りじゃん…
「だから」
美穂は先ほどまでとは違い、いつもの優しい声で呟く。
美穂の手がしおりの手を握る。
「これからは、良いお友達として仲良くしてくれると嬉しい、かな」
しおりの手が暖かさで包まれる。
目の前にはあの頃の美穂はもうどこにもいなかった。
美穂は変わった。前よりずっと強くなった。
—私が好きだった美穂は、心の奥にしまっておくのがいいかもしれない。
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