第23話 今はもう、あの頃とは違う
夏休み。授業こそないが、教員は部活や当番、夏季講習会などの業務があり、通常通り出勤していた。
「あ、日比谷先生、お疲れ様です」
美穂が職員室でパソコン作業をしていると、横から陽菜乃に声をかけられた。
「久慈先生、お疲れ様です」
帰り支度をしている様子を見ると、陽菜乃は午前中で業務が終わりであるようだった。
美穂は日直の当番のため、午後まで学校にいなければならなかった。
家に帰っても特にすることもないし、別にどうってことはないけれど。
美穂は再びパソコンに向かって資料づくりを再開した。
だんだんと職員室内に空席が増えていくのを感じて窓の外を見ると、夕日が沈みかけている。
時計を見ると、いつの間にか18時30分になっていた。時間になったら校舎の窓や扉の鍵がかかっているか点検しなければならない。これも日直の仕事である。
美穂は慌てて席を立ち、校舎の見回りへと向かった。
ほとんどの窓は鍵がかけられているが、閉め忘れると不審者騒ぎにもなりかねないので、ひとつずつ確認していく。それと同時に、教室や廊下に残っている生徒がいないかも確認する。
「日比谷せーんせい」
生物室の近くを通りかかったとき、いきなり後ろから声をかけられた。暗い廊下では声を発する人物がよく見えず、近づいてみる。
「なんだ、しおり?」
「正解」
美穂を呼び止めた人物が、白衣を着てニコッと笑った。
彼女は1年1組担任で、生物教師の塚田しおり。
「どうしたの、こんな時間に」
美穂が不思議そうにそう言うと、しおりは生物室へ美穂を招き入れた。
「今日、美穂が日直って書いてあったから」
「狙って待ってたわけ?」
美穂は呆れた顔で首を傾げる。
「懐かしいよね。高校の時、こうやって日が暮れるまで2人で残ってさ」
美穂は数十年前の記憶を辿る。今いる生物室とは違い、クラスの教室だったが、2人で勉強したり、おしゃべりしたり。
「まさか、卒業した高校で教師ができるなんてね。最初この学校に来たばかりのときは、なんか変な感じだったし」
美穂が頬杖をつきながら横目でちらっとしおりを見る。毎日顔を合わせているけれど、こんなに近くで見るのは久々かも。
「私も。この学校で、美穂に再会するなんて思ってもいなかったし。3年くらい前だっけ?美穂の方が先に異動してきてたんだよね」
「そうね」と軽く頷きながらしおりを見る。
昔は長かった髪も、今では肩で切りそろえられている。あの頃より歳を重ねて、変わったこともあるけれど、しおりはしおりだった。
時計に目を向ける。日直の仕事中だったことを忘れて、話し込んでしまうところだった。
「そろそろ戻らないと」
昔話はこの辺にして、職員室へ戻ろうとすると、しおりはまだ続けようとする。
「美穂はさ、全然変わらないよね」
どういう意図か分からず、美穂が振り返ると、しおりに手を掴まれる。
その瞬間、しおりの顔が近づく。突然のことに驚いて目を見開いていると、あの頃みたいに唇が重なりそうになる。
このまま身を任せてしまえば、昔の続きが見れるかもしれない。
しかし美穂は怖くなって必死に手を振り払って遮る。
「そういうのはナシ、でしょ?」
一歩下がって、震えるのを隠すように平常心を保ちながら笑顔で呟く。
「あなたは、あの頃とはもう違うの」
力が抜けて、だらんと下へ向かうしおりの左手がキラリと光る。
「あなたには守るべきものがあるんだから」
美穂はそう言い残し、生物室をあとにした。
職員室に戻るために廊下を足早に歩く。
途中から目が潤んでくるのを感じて、必死で止めようとするが、そう簡単には止まってくれない。
美穂は立ち止まって、涙を拭う。
さっきの出来事で、学生時代のことを思い出してしまった。
—もし、今でもしおりと付き合っていたら、今頃どうなっていたのかな…
あの頃の後悔なんて、なかったはずなのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます