第22話 一緒にお買い物!?
期末考査も終わり、残された授業日は数日。あとは夏休みが始まるのを待つのみ、というそんなある日のことだった。
「久慈先生、この後お時間ありますか?」
陽菜乃が放課後職員室で仕事をしていると、帰りのホームルームから戻って来た美穂に声をかけられた。
「大丈夫、ですけど…」
何の用があるのだろうか。陽菜乃は疑問が残りながらも、美穂からのお願いならば、と不安混じりに了承した。
すると、美穂は嬉しそうに手を合わせる。
「そう。なら、お買い物に付き合ってもらえないかしら?」
—お、お買い物!?日比谷先生と?
陽菜乃は美穂からの誘いに驚くと同時に、全身に緊張が走った。
—でも、こんな時間に買い物に行くってことは、学校に関係ある買い物だよね。
陽菜乃はそう言い聞かせ、落ち着いて返事をする。
「い、いいですよ」
外に出る準備をした陽菜乃と美穂は、職員室から廊下に出る。
「ごめんなさいね。本当は私がひとりで買いに行っても良かったんだけど…」
美穂がそう言ったところで、さっきから陽菜乃の頭の中をぐるぐると巡っている疑問をようやく口に出す。
「あの、これから何を買いに行くんですか?」
陽菜乃の質問に、美穂は「言い忘れてた」と小さく呟き、続ける。
「アイスを買いに行くの」
「アイス、ですか?」
陽菜乃は全く何を言っているのか分からず、首を傾げた。
理解が追い付かない陽菜乃の様子を見て、美穂が付け足す。
「5月に体育祭があったでしょう?クラスの生徒たちにご褒美をおねだりされるのが、この学校の恒例行事みたいな感じでね」
「そうだったんですか…」
陽菜乃は少し期待してしまってがっかり、と心の中で肩を落とす。
それでも、どんな理由であれ、こんなに嬉しいことはないと喜んでいる自分もいた。
「暑いし、車で行きましょう」
校舎から出るなり、美穂はいきなりそう言った。陽菜乃はドキッとして、思わず美穂の方を向く。
頭の中に雨の日の記憶が蘇る。土砂降りの中、駅まで送ってもらったあの日。心臓の音がうるさくて、言いたかったことも言えなくて。
美穂が車の鍵を開けると、陽菜乃もドアを開けて車に乗り込む。
エンジン音とともに冷房の風が流れ込み、2人きりの空間が出来上がった。
陽菜乃は慌ててシートベルトを引き出し、カチッと留める。普段は何気ない動作なのに、隣に美穂がいるだけでぎこちない動きになる。
—近い…
助手席から見える横顔は、晴れていて明るいのもあって、前に見たときよりもはっきり見える。
—綺麗だな…
思わず横目で見てしまう。
車が校門を出て走り出すと、美穂がまっすぐ前を向いたまま、ふと呟く。
「こうして一緒に出かけるのって、なんだか新鮮ですね」
「…そう、ですね」
陽菜乃は答えるだけで精一杯だった。嬉しいのに、どう返していいのか分からない。
手をそわそわと動かし、足元に目線を向ける。陽菜乃の心が落ち着かないのを全く気にせず、車は進んで行った。
スーパーの店内に入ると、冷房の冷たさが体に染みる。
いつも買い物をするときは野菜売り場から順番に回っていくが、今日はそうではなく、真っ先にアイス売り場に足を運ぶ。
—日比谷先生とスーパーにいるなんて、なんだか不思議な感じ…
陽菜乃はカゴを持ちながらアイス売り場を歩く。「どれにしようかしら」と呟く美穂を見ると、なんだか少しくすぐったい気持ちになる。
—もし、日比谷先生と一緒に暮らせたら、こんなふうに買い物をするのかな…?
陽菜乃はそこまで考えて首を横に振る。
—違う、今は仕事だから!
「ねえ、久慈先生だったらどれにします?」
頭の中での想像が膨らむ陽菜乃のことなど知らない美穂は、迷ったような顔で尋ねていた。
「え、えっと…」
陽菜乃はアイスの入ったケースを見回す。一番最初に目に入ったのは、よく買うアイスだった。
「私だったら、この白くまアイスですかね。日比谷先生はどうですか?」
うーん、と少し考え込むようにして選んだのは、抹茶アイスだった。
「私はこれかな」
真面目に選んだあと、ふふ、と美穂が笑みをこぼす。
「私たちが食べるわけじゃないのにね」
陽菜乃は、あっ、と本来の目的を思い出す。けれども、陽菜乃にとって美穂と何気ない会話ができるのも、幸せなひとときであった。
「色々買っちゃいましょう」
陽菜乃がそう言うと、美穂は「そうね」とクラスの生徒にあげるアイスを選び始めた。
カゴに入れたアイスの個数を2人で数える。
「うちのクラス、35人でしたよね?」
「うん、じゃあ全員分あるわね」
人数分あることを確認すると、レジへ向かった。
歩くたびにふんわりと揺れる黒いロングスカート。
—今日はロングスカートなんだ…珍しい
普段と少し違う雰囲気の服装に気づき、ドキドキする。こういういつもより少しラフな感じもよく似合う。
そんなことを考えていると、レジで財布を出そうとした陽菜乃よりも先に、美穂がさっと会計を済ませてしまう。
「あ、あの、私も—」
言いかけた言葉は、美穂の言葉と笑顔にかき消される。
「いいのよ、生徒たちの分なんだから」
その笑顔に胸が高鳴るのを必死に抑えながら、袋を受け取る。
車に戻ると、買ったものを後部座席に載せた。
陽菜乃は助手席に座ると、そっと財布を取り出した。
「日比谷先生、半分は私が出します」
陽菜乃がお金を差し出すと、美穂はちらりと視線を寄こして、すぐに首を横に振る。
「いいのよ。今日は私が—」
「でも…」
思わず強く言い返してしまった陽菜乃の声に、美穂が小さくため息をついた。
「…分かったわ。久慈先生の気持ち、受け取っておくわね」
そう言って渋々受け取ったはずなのに、美穂の横顔はどこか楽しげに見える。
「受け取っておくわね」と言う美穂の声が、耳の奥で繰り返し響く。
陽菜乃は頬が熱を帯びるのを隠すように窓の外へと視線を逸らした。
美穂の何気ない一言に、ありもしない何かを期待してしまう自分がいる。
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