第三話 虎が雨 九
九
ことの発端はこうだった。
漆畑千久馬は御家人の実家から勘当され、浅草で長屋暮らしをしていた。女を食い物にして生活には困らなかったが、悪い仲間に誘われ、仁栄寺で博奕にはまってしまう。やがて、丑松一家の三下の紹介で益造からカラス金を借りてしまった。
借りる時は博奕に勝って返せると思っていたが、負け続けしまい、たちまち八十両の借金をしてしまった。竜王の丑松一家から金の返済をせっつかれ、金を返す当てがなく、このままでは大事な愛刀を売らねばならなくなると溜息ついていた。
ちょうどそのとき、千久馬の友人である平林圭介から、幼なじみのお絹が父親の借金がかさみ、妾奉公に出ねばならなくなったと聞く。
しかもその相手は千久馬が借りていた金貸しの益造と聞いて、内心で煮えくりかえった。己ばかりか友人の許婚者まで奪おうとする金貸しに憎悪をおぼえた。
そこで千久馬は圭介に、手伝ってやるからと、駆け落ちをすすめた。それは素行の悪い御家人崩れの、友を思う義侠心と、憎い金貸しへの意趣返しでもあった。だが、同時に益造の家から借金証文を手に入れ処分してしまおうという、無頼浪人らしい悪心もあった。
圭介は半井嘉門に出入りを禁じられていたが、お絹が女中奉公に入る前に、中間を介して文をやり取りし、益造宅の裏口を開けさせて逃げ出す手筈をした。そして、うまうまと逃げおおせ、土瓶長屋に匿った。
千久馬はそれとなく、助け出したお絹から益造の家の間取りや、住んでいる者の人数その他を詳しく聞き出した。
益造の元から逃げ出したお絹を取り戻すために、益造は丑松一家を雇ってお絹を探させた。浅草は下谷に近いので、このままではふたりが見つかってしまう。
とりあえず深川の辰巳芸者の小えんの家に隠れさせた。度胸のよい小えんは千久馬の頼みで二人を匿い、偽の道中手形の手配もかけあってくれた。
千久間はお絹から聞き出した情報を使って、単身、金貸しの家に忍び込んだ。以前、裏木戸の閂に細工をして、壊れやすいようにしていたのだ。
益造の部屋で証文探しの最中、起き上がった益造を声も立てずに殺害。そして文箱から見つけた、自分と半井嘉門の証文を焼いた。これで丑松一家の追求も突っぱねることができた。
債務者を訪ねるための掛け取り用の帳面から、自分の名前と住所を書いた紙を巧みに取り去った。他の証文を焼いたのは、町奉行所の探索の眼をごまかすためである。
ついでとばかりに、手文庫の金も失敬した。蔵の鍵はないかと探し回ったが見つからず、余り音を立てては下男に騒ぎ立てられるとあきらめた。
翌日、竜王の丑松は、頼蔵から益造殺しを聞いて驚いた。そして、益造の蔵には貯まった金が五千両もあると噂を聞いており、これを奪おうと企んだ。
町方同心の調べがすみ、野次馬が消えてから蔵の錠の合い鍵を作らせて、闇夜にまぎれて蔵の金を強奪しようと企んでいた。だが、家族がいないと聞いた益造には勘当された息子がいて、その六太郎が明神下に戻ってきて、益造の遺産を引き継いでしまった。
一旦はあきらめざるを得なかったが、その六太郎が丑松の元へやってきて、父親の益造の金貸し業を引き継ぐから、今まで通り金の取り立てを頼んできた。
六太郎は親父の妾にする予定だったお絹に執心し、女郎として高く売ろうと思い、丑松一家にお絹を捜させた。
丑松は、また前のように取り立てで甘い汁を吸うこともできたが、いったんは手に入りかけた五千両の金に眼がくらんでしまっていた。いつか六太郎を町方にばれないように殺害して、蔵の大金を奪おうと、虎視眈々と狙っていた。
その後、千久馬は丑松一家の者が返済を迫りにきたが、証文が焼かれたと開き直って、借金取りを追い返そうとした。
だが、これがまずかった。証文を焼かれたことは、まだ一般に知られてはおらず、六太郎が千久馬に疑いを持った。
六太郎は丑松一家の三下に千久馬を監視させ、向島の旅籠へゆく千久馬を尾行した。六太郎はお絹に執心したが、親父の益造の仇討ちもするつもりだった。そして下手人を千久馬か圭介だと思い当たった。
丑松は六太郎の推理から、益造殺しが千久馬であるらしいと知った。そこで、益造殺しの下手人は千久馬で、駆け落ちして逃げた圭介とは共謀していた。それに気づいた二人に六太郎殺しの罪をひっ被せ、千久馬と圭介らも殺すことを思いついたと。
だが、その目論みも外記らに見つけられて失敗したという
暮坂家では非番の日に、家族で両国へ出かける予定だったが、土砂降りの雨が降り、中止となった。琴路とお初が布きれでてるてる坊主をつくっていた。後で軒先につるして晴れを祈願するつもりだ。
外記は戸外の雨模様を見て、
「このまま梅雨になりそうだな。五月二十八日は虎が雨……三十日は小えんの涙雨の日になりそうだぜ」
平林圭介とお絹は下谷の実家に戻らなかった。そのまま当初の予定通り、圭介は旅の儒学者として、お絹とふたり、奥州街道へ旅立っていった。
その後ふたりはどうなったのか。
後年になって、越前国丸岡藩に森啓堂という儒学者が仕官したと風の噂で聞いた。
暮坂外記事件帖 七川久(ななかわひさし) @532039
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