第四話 虎が雨 四

    四


 外記と耳助が半井家を訪れたころ、弥陀の頼蔵は甲吉を連れて湯島へ向かっていた。

 神田下の通りから、急な登り坂がある。中坂なかざかと呼ばれるこの辺りは、湯島天神の門前町として置屋や待合茶屋などが多くある地帯であった。

 ここは、江戸時代に富籤とみくじが大流行して、社に人が集まるようになり、その男性客を目当てに遊女が集まり、花街が生まれたといわれる。

 そんな置屋や待合茶屋の間にある裏通りの外れに、湯島の丑松一家の家があった。

 頼蔵と甲吉は、まず湯島にある木戸番に立ちより、駄菓子や草履などの荒物を売っている番太郎に訊いてみた。

「竜王の丑松一家の評判はどうだい?」

「良くはありませんねえ。借金の取り立てが酷くて、金を返せねえと、病人の布団までひっぺがして持っていくわ、女房娘を色町に売り飛ばすなんて噂もあります」

「ほう」

「この間も、大工の源助が、丑松の賭場での負けがこんで、カラスがねを借りたらしいんですよ」

「カラス金か……」

 カラス金とは、一昼夜を期限として、日賦ひぶで借りる、庶民相手の高利の金貸し業者のことだ。借りた翌日の早朝までに利息と元金を返却する決まりであった。

 その名の由来は、夕方に烏がカァと鳴けば利子がつくから、あるい明け方のカラスが鳴くまでに返すから、カラス金と呼ばれている。

「源助が誰から借りたかわかるか。カラス金といえば、青茶婆か高田婆なんていう婆さんが貸し付けるもんだが」

「いいえ、違いますよ。明神下の益造って金貸しです」

 頼蔵の眼がきらりと光った。

「益造か……奴は昨晩殺されたぜ」

「えっ、そうなんですかい!?」

「ああ、それで調べているのさ」

「源助は下手人じゃねえと思いますよ。今朝も普請場へ悪びれもせずに仕事にいきましたから」

 番太郎はあわてて源助をかばう。親しい仲なのだろう。

「だろうな。別に源助を疑っちゃいねえ。下手人は相当な腕の刀使いだ。大工にできる技じゃねえよ」

「さいですか」

「で、丑松の賭場はどこにあるんだい」

「男坂の下にある仁栄寺にんえいじですよ」

「寺で賭場か……生臭坊主め」

 頼蔵はしぶい顔をした。寺社は町奉行所ではなく、寺社奉行所の担当であり、頼蔵のような御用聞きは寺社内で捕物をすることはできない。ちなみに門前町は、江戸時代初期は寺社奉行の管轄地であったが、江戸の人口増加で寺社方の手が回らなくなり、今は町方が管轄している。


 その後、頼蔵は甲吉と中坂一帯で聞き込みをして、番屋で落ち合った。

「親分、竜王の丑松は仁栄寺で賭場を開いて、客から金を吸い上げる一方、博奕で負けた者に、三下がカラス金を紹介しているらしいですぜ」

「阿漕な奴だぜ」

「あっしは、大工の源助と同じように、博奕に負けて帰ろうとした忠吉って奴に話を聞いたんですが」


 忠吉は博奕に負けて家に帰る途中、賭場にいた三下が後をけてきて、

「惜しかったな、兄さん。あと少し続けば勝てたのによ。どうだい、もう一勝負は? おいらが金を貸してくれる親父を紹介してもいいぜ」

「なんで、俺が金を借りたいとわかった?」

「へへへ……兄さんがもう一勝負したがっていたと顔に描いてあったもんでね……」


 そういって目ぼしい客に明神下の益造を紹介して、カラス金を貸し付けていた事がわかった。

「直接、丑松一家が客に直接金を貸さないで、金貸しを紹介するってのが悪賢いな……」

「金貸しは、札差や座頭など、公儀から許された者以外がやったら、罪になりやすからね」

「丑松を洗ってみるか……」

「へい」

 頼蔵は甲吉をともない、博奕の貸元である竜王の丑松の家の土間にはいった。

「ちょいと、邪魔するぜ」

「なんだい、おめえさんは?」

 部屋でたむろしていた、凄味のある顔つきの三下たちが頼蔵の訪問にいかめしい顔で食ってかかった。

「俺かい、俺はこういうものよ」

 頼蔵が懐にいれた十手をチラ見せした。すると、三下たちの態度は打って変って低姿勢になった。

「これは親分さんで……なにか御用ですかい?」

「貸元の丑松はいるかい」

 頼蔵が框(かまち)に腰掛け、三下たちをにらみすえると、

「へ、へい。おりやすよ」

「弥陀の頼蔵が顔を見たいと伝えてくれねえか」

「ただいま、少々お待ちくだせえ」

 三下のまとめ役とおぼしい男が、奥へすっ飛んでいった。頼蔵は他の三下を見廻し、

「おめえたち景気はどうだい?」

「へ、へえ、ぼちぼちでして。いや、昨今は不景気な世の中でして。おい、新八しんぱち、親分さんたちにお茶を出さねえかい!!」

「へい!!」

 凶悪なつらの三下たちも、頼蔵にはこわばった顔で愛想笑いを浮かべた。

 やがて奥からたるのように太った五十がらみの男がやってきた。縦縞の小袖に派手などてらを羽織った男で、体形は富商のようだが、目付きはやくざ者の親分らしく鋭い。

「お前さんが竜王の丑松かい」

「たしかに丑松といいますが、何か御用でございましょうか?」

「明神下の益造が殺されたのを知っているかい?」

「えっ!?」

 丑松が目をむいて驚いた様子だ。三下たちも互いに眼をあわせて、本当に面食らった様子に見えた。

「昨晩、家に押し込みがあって、金を盗まれて殺されたようだ。殺った奴に心当たりはねえかい?」

「さて……心当たりですか。思いつきませんなあ……」

「そうかねえ……益造はお前さんと組んで、賭場に来る客にカラス金を貸しつけていたそうじゃねえか。そして、金を返せねえ奴に容赦ねえ取り立てをしていたと聞くぜ」

「はあ、手前どもはたしかに益造さんに頼まれて債務を手伝っていましたが、借金を貸し付けるような真似はしていやせん……」

「無いってかい。まあ、その話は今はいい。おれはてっきり、おめえさんと益造が金のことでいさかいになって、危ねえことをしたんじゃないかと心配でなぁ……」

「ご、御冗談を。親分、手前は……」

 丑松は一瞬、双眸に凶悪なものを浮かべたが、すぐに引っ込めた。

「昨日の晩はどこにいた?」

「どこにって、この家でぐっすり眠っていましたよ。ここにいる奉公人たちが証人でさあ」

「奉公人ねえ……身内の証明じゃあなぁ」

「そう言われましても、他に証しなんて立てられませんし……」

「まあ、益造の取り調べが終わるまで、大人しくしているんだな」

「へ、へい。もちろんでさ」

「おう、邪魔したな」

 頼蔵は丑松を睨み、にやりと笑みを浮かべて土間を出た。甲吉が不審そうに、

「いいんですか、あんなにあっさり出てきて」

「なあに、丑松に揺さぶりをかけに行っただけよ。甲吉、丑松を見張るぞ」

「じゃあ、頼蔵親分は丑松が怪しいと」

「叩けばほこりが出そうだ」

 頼蔵と甲吉が外に出て、近くの空き地の茂みから丑松の家を見張った。玄関に三下が出てきて塩をまいていた。


 ほどなくして、丑松一家の家から新八と呼ばれた三下が出てきて、どこかに走って行った。

「新八とかいったな。奴をつけてみるか」

「へい」

 三下は近くの寺の境内の中に入った。近所の者に訊くと、仁栄寺だという。

「丑松一家が開いている賭場はここだったな」

「賭場の開帳の相談ですかね」

「さてな……甲吉、あたりの者に寺のことをなんでもいいから聞き出せ」

「わかりやした」

 頼蔵が新八を見張っている間に、やがて、甲吉が仁栄寺の中には数か月前から客人がひとり、家作かさくに仮住まいをしていることを突き止めた。

 甲吉が近くにいた棒手振りから、寺の家作に住み、ときどき魚を買う男を探り当てたのだ。

「そいつは、栃尾又之進とちおまたのしんって浪人者でさ」

「浪人者だと!?」

 昨晩、火の見番が目撃した怪しい男が深編笠の浪人だ。

「ええ。どうやら、賭場の用心棒をしているらしいんですが、ちっとも外を出歩きません。だから、よそで悪さをして、寺に隠れているんじゃねえかと、棒手振りがいってましたが、確かなことはまだ……」

「だとすりゃ、丑松が寺に口をきいて、匿っている前科者かもしれねえなあ」

 頼蔵はもしかしたら、栃尾又之進が丑松に雇われて益造を斬った下手人かもしれないと思った。


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