第二話 凶賊・野晒の専蔵 五

 翌日、弥陀の頼蔵は下っ引きたちを走らせて堀木家の近所の者や出入りの行商人などを調べさせた。昼近くになって、亀六の二階で、止まり込みで張り込んでいる暮坂外記に頼蔵が報告にきた。

「暮坂様……ごくろうさまです」

「どうだった?」

「だいたいを調べてきやした……堀木主膳正様ですが……あまりいい話を聞きやせんぜ……」

「ほう……どんな?」

「大店から借金をしては踏み倒し、出入りの商家の見目良い娘や、知行地の庄屋の娘などを無理矢理に女中奉公させて乱暴を働いたとか……」

「あきれた奴だ……まったく侍の面汚しだぜ……」

 暮坂外記が口をへの字にまげて不快な表情をする。

「耳助が堀木の下屋敷の出入り商人から聞き出したところ、堀木の殿様は下屋敷に住まわせた新しい妾に御執心で、さいきんは下屋敷に泊まりことがちょくちょくあるそうですぜ」

「ほう……賭場だけじゃなくて、妾まで住ませているのか堀木の殿様は」

 丸顔で恰幅のいい甲吉を愛想のいい行商人に仕立て、笹屋に宿泊させてみた。昼前に行商にでた甲吉は亀六の裏口から二階の見張り所にやってきた。

「野晒の専蔵とおぼしき男がいやした」

「ほう……どんな奴だ?」

「へい、三日前から泊りこんでいる嵯峨野骨仙さがのこつせんという絵師です」

 年の頃は総髪で、行徳姿、髭が顔をおおっていてよくわからないが、四十から五十の間に見えた。旅絵師というだけあって、諸国を旅したからか、体はがっちりしている方だと言う。

「嵯峨野骨仙ねえ……知らねえ絵師の名前だ。だが、雅号に骨なんて使いやがるところがかんにさわるぜ」

 暮坂外記が不快な表情をみせた。

「野晒の二つ名を気取って、雅号につけたんでしょうねえ」

「だろうな……今夜が危ねえ」

「茂七が浪人の長篠卯助に話したお勤めの日ですね……今夜あたりに宿屋を引き払って、どこかの商家を襲うかもしれませんね」

「集まったところを捕まえよう」


 の刻九つ(午前零時)。

 昼間の陽気は消え失せ、地面から寒さが立ち上ってくるようだ。笹屋の裏木戸が開き、黒装束に黒覆面をした男たちが出てきた。しめて六人。そして、本所にある堀木の下屋敷へと走った。

 先頭にいた黒覆面の男が堀木屋敷の潜り戸を静かに叩いた。

 すると、武家屋敷の潜り戸があき、渡り中間の茂七が顔を見せる。

「茂七、抜かりはないな……」

「へい、すでに……」

 茂七が指さした方角、下屋敷の離れた一画から火の手があがった。騒ぎが起きて、火を消せ、家財を持ち出せなどと、家臣や奥女中たちの悲鳴が聞こえた。

「よし、この隙に乗じて行こう。金蔵に案内しろ茂七!」

「へい、こっちでさ」

 黒覆面をした長篠卯助の眼が血走っていた。

「恨み重なる堀木主膳正め……俺が奴の首をいただく……」

 刀を抜いて踊り込もうした。

「そこまでだ。野晒の専蔵!!」

 外記の声があがり、塀の暗がりから、右隣の屋敷の戸口から捕り手たちが物々しく出てきた。御用提灯が高くあがり、龕灯がんどうの灯りが盗賊一味を照らし出した。

 暮坂外記が龕灯をもった頼蔵、甲吉、耳助、与太八を従えていた。左側に南町奉行所の同心と捕り手たちが立ち並ぶ。

「年貢の納めどきだ、野晒の専蔵……神妙にお縄につきな!!」

「くそっ!!! なぜわかった!!!」 

 野晒の専蔵が長脇差を抜いて、暮坂外記に襲いかかった。

 外記は切先を半身になってかわし、伸びきった腕をとった。専蔵の視界は一転し、大地に背骨ごと叩きつけられた。その瞬間に、甲吉と耳助が盗賊頭に飛びかかって縄を打った。

 瞬転の出来事に盗賊たちは自失していたが、茂七が悲鳴をあげて逃げ出し、他の盗賊たちも逃げ出した。同心や捕り手たちが刺す又や捕り棒で盗人どもを打ちのめして捕えていく。

 大混乱のなか、長篠卯助は下屋敷のなかにはいろうとした。が、暮坂外記が前に立ちはだかった。

「そこをのけ!!!」

「もう観念しな……復讐はもうやめるんだ」

「うるせい!!!」

 卯助の剣が月光をうけて銀蛇ぎんだを描いて閃き、外記は横に身体をさばいて躱した。

 浪人は刀身を下段に構えて、外記をにらみつけた。一分の隙もない構えだった。

「貴様はいったい……」

「南町奉行所同心の暮坂外記だ」

「そうか……貴様が剣客同心として名高いあの……」

 そういって、長篠卯助はにやりと笑みをみせて町方同心に斬りかかった。外記が刀を横にして受ける。火花が散り、閃光がまたたく。焦げ臭い匂いがひろがる。

 外記はかみ合った刀身を押して、鍔迫り合いとなった。

「そろそろ観念しちゃどうだ……堀木の殿様はお世辞にも評判のいい領主とはいえねえ……だが、だからって、お前が今までやってきた盗賊働きの非道は許せることじゃねえぜ」

「うるせえ……知った風な口をききやがってぇ!!」

 二人ははかったように飛び退いて間合を取り、再び斬りかかった。卯助が野獣のように雄叫びをあげて外記に斬りかかった。

 外記の刀身が鋭い一撃を閃かせた。

「ぐああああっ!!」

 長篠卯助は肩を斬られ、噴き出す血によろめいて、土手から掘割に落ちた。水飛沫があがり闇夜の川面に波紋がひろがる。



 翌日、世間を震撼させた野晒の専蔵一味が捕まったという知らせに江戸っ子たちは湧いた。その噂は風となって関八州にまで飛び、野晒一味に殺された者の遺族や親類などの溜飲をさげさせた。

 野晒の専蔵ら盗賊の多くが市中廻しの上、斬首となった。茂七などの下っ端の盗人は遠島となる。だが、気になる事がひとつあった。川に落ちた長篠卯助の屍体が見つからなかったのだ。

 暮坂外記の一撃は致命傷で、生き延びていたとしても、数日で死ぬと思われた。おそらく大川を流れ、海にまで屍体が流れてしまったという見解になった。

 大捕物があって半月あまりたち、妙な噂がたった。堀木主膳守が急なやまいで亡くなったというのだ。ある日、暮坂外記は筆頭同心の家弓周蔵かゆみしゅうぞうに用部屋によばれた。

「実はな……ここだけの話だが……」

 堀木主膳正は牛込御門神楽坂にある菩提寺に参ったおり、ザンバラ髪で骸骨のように痩せ衰えた浮浪者が斬りかかってきて、堀木主膳正は一撃で死んだという。

 供侍が浮浪者を切り捨てたが、主はすでに死んでしまった。浮浪者の身元を知る証しとなるようなものは無かったが、供侍の一人が「これは長篠卯助のようだ」と語ったという。

「長篠卯助とやらは、お前に斬られても死なずに生き延び、堀木主膳正にせめて一太刀の執念で、かつての主に復讐を果たしたのかもしれない……」

「執念の一太刀……ですか」

「外記……まさか、わざと止刺とどめを刺さずに逃がしたんじゃないだろうな?」

 家弓はじろりと外記を見た。

「とんでもありません」


 五月中旬のさわやかな青空とイワシ雲を見上げながら、外記は長篠卯助のことを思い浮かべていた。

「つくづく哀れな男だったぜ……」

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