第二話 凶賊・野晒の専蔵 四

 翌日、北町奉行所に出仕した暮坂外記は、奉行所の例繰方同心の宇田川三五郎うだがわさんごろうに会った。彼にたのんで野晒の専蔵一味の控えを見せてもらった。宇田川は外記の先輩にあたる初老の同心だ。

「野晒の専蔵の手下が江戸にねえ……こりゃあ、弥陀の親分の大手柄じゃないか」

「ええ、たっぷり小遣いをはずんでおきましたよ」

 八州見廻りからの人相書きによると、野晒の専蔵は四十がらみの男で、相州無宿、もとは百姓の四男坊で、奉公先の商家で盗みを働き、追い出されてから徒党を組んで盗賊となったとある。ごつい顔の左頬と背中に刀傷があるのが特徴だ。

「手抜かりはなしか……しかし、野晒の専蔵ってのは、血腥なまぐさい野郎だなあ……襲った商家や庄屋の者を皆殺しにしてやがる……」

「江戸の町で同じことはさせませんよ」

「その意気だぜ、外記」

 例繰方同心とは、今まで町奉行所であつかった事件の調査をはじめ、裁判経過、そしてどんな判決をくだしたかをこまかに記録したり、求めに応じて過去の記録を取り出したりする役職である。

 この記録は「御仕置裁許帳おしおきさいきょちょう」といい、町奉行所ではこの記録を元にして、過去の裁判にならって新しい罰の決定をくだす。つまりは裁判所の判例集のようなものだ。

 町奉行所の最重要書類であり、この「御仕置裁許帳」の作成にあたる与力同心は、あらゆる裁判記録に精通していなくてはならない。

「それと……頼蔵に斬りかかった長篠卯助という無頼浪人が気になります……もしかして、前に捕まったことがあるのではないかと……」

「長篠ねえ……その珍しい名字は聞いたことがある気がする……」

「本当ですか、宇田川さん!!」

「そうはいっても、急には思い出せんよ……」

「そうですか……」

 暮坂外記は手掛かりになるかと、頼蔵が茂七と出会ってから尾行の一部始終を話した。

「堀木家?」

「ええ……赤坂中ノ町に中屋敷を構える……一年前まで御側衆の要職にいましが、なにかをしくじって辞職し、今は無役で屋敷にいるはずです」

「そうだ、思い出した……その堀木家だ!!」

「なにか思い出しましたが!?」

「ああ……あれはたしか……」

 宇田川三五郎はけわしい顔をして記憶の糸をたぐりよせようとした。

「そうだ……堀木家の家臣に長篠なにがしという奴がいた」

「!!!」

 そういって、宇田川は御仕置裁許帳から四年前の記録を探し出した。

「おお……たしかに長篠卯助と書いてある……当人に間違いあるまい」

「あの浪人、元は旗本の又者またものか……その長篠卯助がなぜ、深川で浪人に?」

 暮坂外記はなんともいえない眼差しを宙にむけた。

「ああ……不義密通だ」

「不義……」

 暮坂は眉根を寄せた。

「長篠卯助は奥方付きの腰元の萩乃はぎのにいいよっていた。不義はお家の御法度である。よって、主人の主膳正は腰元を手討ちにした」

「いまどき不義密通だといっても、追放するぐらいにすませればいいのに、お手討ちとは……」

 外記は会ったこともないが、堀木主膳正の非情さが知れた。

 室町の呉服問屋『相模屋』は、旗本二千石の堀木主膳正の御用達として衣服を商っていた。

だが、行儀見習いで腰元として奥に勤めていた娘の萩乃が御法度の不義密通を働いて、主に手討ちになった。そして相模屋は娘を失ったうえに、御用達の金看板を外されてしまい商売は苦しくなり、やがては潰れてしまっていたという。

「ひでえ話だ……それで、相手の長篠卯助は手討ちに……とは、いかなかったんですね」

「ああ……堀木屋敷から逃げ、追いかけた他の家臣が五人、すべて返り討ちにされたという。三人が殺され、二人が怪我をした……騒ぎになり町奉行所も出張ったが、武家の家中のことゆえ、長篠卯助を堀木家で上意討ちにすることに決まり、町奉行所では不問となった」

 旗本屋敷を逐電した長篠卯助は江戸から消えたらしい。

「それが四年前だ」

「……だが、江戸に舞い戻っていた……そして、野晒の専蔵の手下とあっていた……もしかすると、長篠卯助は堀木家に復讐するために野晒一味と手を組んだか……」

「堀木家のほうでも長篠を上意討ちするため探しているっていうのに、大胆なやつだな」

「宇田川さん、だいたいの筋書が見えたかもしれません……」

 旗本の家臣だった男が江戸に舞い戻り、頼蔵が偶然みつけた盗賊が堀木屋敷の中間をしている。暮坂外記と頼蔵が武家屋敷を狙うはずなんてないと話したが……これはもう何かが起こる前触れとしか思えない。


 すっかり日が暮れたころ、暮坂外記は神田馬喰町にある蕎麦屋『亀六かめろく 』の二階にあがった。一番端っこの個室の窓枠に頼蔵と下っ引きの甲吉こうきちと張り込みをしていた。

 風車売りの与太八は堀木家中屋敷に住みこみらしい茂七を張らせ、深川の永楽寺の家作にすむ長篠卯助には、もう一人の下っ引きである耳助みみすけが張り込んでいる。怪しい動きがあれば知らせをここに送る手はずだ。

「みんなごくろう」

「暮坂の旦那、ごくろうさまです」

 頼蔵と浩吉が挨拶する。

「……こいつは差し入れだ」

 暮坂外記の合図で女中が温かい蕎麦をもってきた。

「ありがとうございやす、甲吉、先に腹ごしらえをしておけ」

「へい!」

 頼蔵は視線を戻して笹屋を見逃さない。見上げた岡っ引き根性だ。それを見守りながら、暮坂外記は奉行所で調べたことをみなに話した。

「しかし……長篠卯助とかいう男……堀木主膳正様によっぽど遺恨がありそうですねえ……元はお侍が盗賊の仲間になって、元の主人の屋敷に何かしようと企てるとは……」

「茂七を引き込みにして、堀木屋敷の金蔵かねぐらを狙っているのかもしれねえなあ……」

 頼蔵がぎょっとして、外記を見上げた。

「まさか……たかが盗賊風情が武家屋敷を狙いますかねえ……旗本二千石といやあ、武芸を学んだお家来衆が見廻っていますぜ、命がいくらあっても足りねえや……」

「そうと決まった話ではない……が、仮にそうだとして、長篠にとっては、勝手知ったる屋敷の間取や内情を野晒の専蔵に教えたのかもしれねえ……そして渡り中間として入れた茂七が引き込み役だ……悪賢い野晒の専蔵だ、狙わないと言う確証はないぜ」

「だとしても、商人の借金を踏み倒すお旗本の金蔵なんかたかがしれていそうですが……」

「いや、下屋敷の賭場に上玉の客を集めていれば、儲かっているのかもしれん」

「なるほど、賭場の売上の寺銭ですか……それにしても……だとしたら、野晒の野郎、大胆不敵な奴で……」

「まったくだ……頼蔵、お前はもっと堀木屋敷のこと、そして旅籠の笹屋をもっと調べておいてくれ」

「へい、わかりやした」

 その日は旅籠が店を閉めるまで見張っていたが、頬傷のある野晒の専蔵らしき四十男が旅籠を出る様子はなかった。


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