第二話 凶賊・野晒の専蔵 三

 さるの刻(ななつ)(午後四時)ごろ、与力や同心たちが北町奉行所から八丁堀にある役宅へと帰る与力や同心たちの姿があった。呉服橋を渡る同心の中に鋭い眼差しをもつ侍がいた。

 彼は南町奉行所の定町廻り同心で暮坂外記くれさかげきという。同心の組屋敷につくと、老下男の冬吉ふゆきちが声をかけた。

「旦那さま……弥陀の親分さんがきておりますよ……庭の濡れ縁で待たせております」

「頼蔵か……わかった」

 濡れ縁に座って茶を飲んでいた頼蔵が立ち上がり、暮坂外記に腰をかがめてあいさつした。

「その顔はなにかつかんだようだな……」

「へい……ですが、とんだしくじりもやっちまいまして……」

「くわしく話せ」

 頼蔵は浅草橋ですれちがった盗人の茂七を尾行し、途中で与太八に出会って堀木家へ行った。その後、旅籠へ行き、酒徳利をもって西福寺の境内で怪しい浪人の長篠と会ったことまでを語った。

「茂七は野晒の専蔵一味の手下だった男です……もっとも引き込み役の下っ端のようですがね」

「野晒一味か……関八州で悪名を響かせた凶賊が、ついに江戸へ来たか……こいつは大物を見つけたな、頼蔵」

「へい……ですが、仲間らしき深編笠の浪人に顔を知られちまいました……なんとかごまかしましたが、茂七と会って話せば、あっしのことを怪しむかもしれやせん……」

「手掛かりは堀木家の中間らしい茂七、笹屋という旅籠、長篠という浪人か……」

「で、その長篠って浪人者を、その後もあっしはつけやした」

 これには暮坂外記も驚いた。長篠という浪人に二度目に見つかれば、言い逃れができなくなり、斬られる危険もあることだ。

「……おい、危ない橋を渡ったな……」

「なに、長篠って奴は、だらしのない奴で……途中で一升徳利をちびちび飲みながら家に帰るようで……いつもより距離をとって尾行したんですが、やっこさん、酔いが回ってやした。なので、あっしを斬りつけたときのような鋭さは失せていましたんで、容易に尾行できましたぜ」

「大した度胸だな、頼蔵親分……それで、きゃつはどこへ?」

「深川の亀戸ちかくにある、永楽寺の境内にある家作かさくに住んでいるのをつきとめました。小坊主の話では、二年前から住みだし、賭場通いや女郎屋通いといった夜遊びの他は、日中は木刀をふるってひたすら稽古をしているようです」

「それで、詳細はわかったのか?」

「へい、なんでも長篠卯助ながしのうすけといって、二年前に江戸に来たころはもっと真面目なお侍でしたが、年が経つほどにやさぐれて、酒に溺れるようになったようです……ですが、家賃はしっかり治めるので寺では文句をいってないようです」

「長篠とやらも、あとで調べてみよう……笹屋のほうは?」

「手抜かりはございやせん……下っ引きたちを向かいの蕎麦屋の二階を借りて見張らせませた……ヒラメ顔の中間がまたきたら後をつけろと言いつけておきやした……あと、盗人らしき怪しい奴も」

「手回しがいいな……どうやら、茂七は繋ぎ役の小者のようだ。笹屋に盗人仲間が泊まっていて、盗みの段取りをしているのかもしれんな」

「もしかして、笹屋に野晒の専蔵の手下が泊まっているのかもしれやせんね……」

「旅籠の近くの商家を狙っているか……あるいは、笹屋自体の金を狙っているのかもしれんな」

「なるほど……このさい、宿改めをして全員ふんばっちまいましょうか?」

「まだかしらの専蔵がいるとわかっちゃいねえ……手下を捕まえても専蔵を逃しちゃ元も子もない。それに急に宿改めなぞしたら怪しまれて逃げてしまうかもしれねえ……ここは慎重にいこう」

「へい……やっぱり今は泳がせておいたほうが得策でしょうね」

「しかし、引き込み役が旅商人とかではなく、中間に化けるとはなあ……よもや、専蔵一味は武家屋敷にも狙いをつけたのではあるまいな……」

「まさか……野晒の専蔵は関八州の商家や庄屋しか狙ったことはありやせん。それに武家屋敷に忍び込んでもお武家さまに返り討ちに会うのが関の山でさ」

「だろうな……もしかすると、中間の使いとして商家の様子をさぐっているのかもしれんな」

「おそらくはその線でしょうね」

 茂七は世襲で藩に代々仕える中間ではない。口入屋から雇い入れられた渡り中間であろう。身許を確かめることは難しいとみた。

「俺は奉行所へ行って、例繰方(れいくりかた)にたのんで野晒の専蔵の控えを見せてもらってくる……頼蔵は笹屋と長篠のほうを頼む……俺もあとで行く」

「わかりやした」

「お勤めは明後日といったな……いったい、どこの商家を狙っているのか……」

 外記は東の空を見上げて考え込むが、予想だにできない。

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