第二話 凶賊・野晒の専蔵 二

 頼蔵と与太八が尾行すると、茂七はそのまま元来た道を戻り、やがて弥陀の頼蔵の縄張りがある神田へと向かった。そして、馬喰町にある旅籠『笹屋ささや』にはいった。頼蔵たちは向かいにある蕎麦屋の天水桶の影に隠れた。

 堀木家に勤める中間が、手ぶらで宿屋に泊まるはずはない。

「宿泊客の誰かに会うか、それとも旅籠の奉公人に会うのが目的か……」

「親分、野晒の大将がここに潜伏してるかもしれませんぜ」

「だったら、話は早いんだがなあ……ともかく、逗留客の中に盗賊がいて、その仲間につなぎをとっているかもしれねえ」

 なかなか出てこないので、頼蔵は与太八にそれとなく近所の店に『笹屋』のことを調べさせた。

「主人は伊左衛門いざえもんとおくめ夫婦が営んでいる、ごくまっとうな旅籠ですぜ。伊左衛門はお粂の入り婿で、もとは旅籠を定宿じょうやどにしていた近江商人だったが、前の主人に見込まれて婿に迎えたって話です」

「ほう……只の行商が入り婿にたあ、よっぽど、見込まれたもんだな……」

 旅籠の主人の件は関係ないかもしれないが、こういった横道の話があとあとで役に立つこともある。

 四半刻たって、やっと茂七が笹屋から出てきた。 

「むっ?」

 出てきた茂七は一升の酒徳利をぶら下げていた。旅籠で買ったのか、逗留客からもらったのであろうか。

 鼻歌を唄う茂七の後を追いかけると、元来た道を通り、浅草橋をわたって広小路を進み、鳥越橋を渡る。森田町の角を左に曲がって、松平山西福寺の境内にはいった。

 この寺は徳川家康にとって大恩があり、身近につかえた了伝和尚のために駿河国で開基した寺だ。了伝和尚は三百石の石高をうけ大名待遇であった。慶長のころ二代秀忠公が江戸駿河台に末寺として創建した、由緒ただしい古刹である。 

 境内は七千坪もある大寺院で、本堂庫裡のほかに七ヶ寺の別院、別寺、僧侶を育てるための学寮があった。僧侶や参拝客も多いが、広さゆえ人通りのない雑木林もある。

 茂七は大樹の根元に座っている深網笠の浪人者に声をかけた。頼蔵と与太八は緊張した面持ちで繁みの陰から聞き耳を立てた。

「長篠(ながしの)の旦那……あっしです」

「……茂七か」

 頼蔵は茂みの影に隠れて耳をすませる。

「お頭(かしら)から手土産です」

 茂七が源蔵徳利げんぞうとっくりを差し出した。お頭といったが、野晒の専蔵にちがいあるまい。あの浪人者は盗賊仲間か合力ごうりき に雇ったと思われる。

「おお……こいつはありがたい」

「旦那も好きですねえ」

「こいつがないと生きていく甲斐もないさ……それより、あの件はどうした?」

「へい、はやくて明後日にはお勤めに入りますんで……心構えをしておいてくださいとお頭が」

「うむ……わかった」 

 二人は他愛もないことを話して、二手に分かれて去っていく。

「与太八は茂七を追え……俺はあの長篠とかいう浪人を追いかけてみる」

「わかりやした!」

 頼蔵は浪人者が気になり、深編笠を追いかけた。浪人は雑木林を抜け、西の掘割へと進んだ。頼蔵が木陰や別院の建物などに身を隠しながらつけた。怪しい浪人が別院の角を曲がり、頼蔵は石燈篭の陰に隠れて顔をのぞかせると、長篠の姿を見失った。

(むっ……きゃつめどこへ!?)

 しゃがんだ頼蔵の首筋が、急にちりちりと嫌な気配が感じた。 

 すぐさま身体を伏せる。 

 頼蔵の首があった空間を、横薙ぎに斬撃がとおった。

「ひえっ!?」

 頼蔵は横に転がり、背後を見ると、深編笠の浪人が刀を振りかざしていた。長篠は尾行者の気配に気づき、雑木林の間を隠れて回り込み、背後から襲ったのだ。

「なんですかい、旦那……境内で刀を振り回しちゃいけませんぜ!!」

胡乱うろんな奴……きさま、俺をつけていたな……何者だ!」

 頼蔵はこんな修羅場をなんども潜っている。十手持ちだと気付かれていないので、町人として演じようと目まぐるしく頭が回転した。ふと、浪人の持つ酒徳利が視界にはいり、

「おいらは源蔵って、深川でちっとは知られた遊び人よ……」

「遊び人だと?」

「ああ……おいらの顔を覚えてないかい、旦那?」

「源蔵だとぉ……知らんぞ、源蔵などという遊び人など」

「つれねえ事いうなよ……この間、賭場で会ったじゃござんせんか……赤坂の賭場で」

 赤坂というのはカマかけだ。

「むっ……そうだったか?」

「そのときにオケラになったあなたに三両を貸したのはあっしですぜ……そろそろ耳を揃えて払ってくれねえかなぁ……その声、その松の紋の着流しは岡田の旦那でございやしょう?」

「莫迦者!! わしは岡田ではない、長篠ながしのだ!!」

 深編笠の浪人が思わず笠のへりをつかんで顔を見せた。月代さかやきが伸び放題で、無精ひげで鋭い目つきの三十半ばの浪人であった。

「えっ……岡田の旦那じゃない? それにしちゃあ、着流し姿も、声までそっくりだ」

「知るかっ!! とにかくわしの前から失せろ!!」

「へいへい……」

 とっさの機転で浪人者の追及から逃れた頼蔵であった。



 一方、茂七を尾行した与太八は本所まで来ていた。堅川の川面に風が吹いて小波をたてる。

 茂七は公儀の材木蔵である御竹蔵のよこを通り抜け、大名の下屋敷へ行った。

 大名の下屋敷は上屋敷中屋敷とちがって、数人の藩士が留守居をしているだけで人が少ない。その裏門で茂七は門番に挨拶をして中にはいった。

「あの屋敷は堀木の下屋敷か……それとも使いにきた別のお武家の屋敷かな?」

 与太八は近くの塀の角の物陰に引っ込むと、中間がはいった裏口に今度は、遊び人風の若旦那がやってきて、門番に挨拶して何か書状のようなものを見せて、中に入って行った。

「出入りの商人あきんどにしちゃ、あんな格好で出入りするのはおかしいなあ……さては賭場でも開いているのかな」

 この時代、博奕ばくちは御法度で、町奉行所でもたびたび取締りをしたが、武家地の中間部屋で開かれる賭場には町方役人は手が出せなかった。与太八は通りかかった草鞋売りに聞くと、堀木家の下屋敷だった。

「堀木様の下屋敷か……茂七の野郎、渡り中間でなくて、ここに長屋がある住み込み中間ということかな?」

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