男子会と女子会


「はぁー、彼氏欲しー」

「まだ言ってんの?ちょっと前まで『諦めるー』とか言ってたくせに」

 七月七日、縁日の人混みの中で、乙姫は手持ち無沙汰にヨーヨーをパシリ、パシリと投げて遊ぶ。

 勝姫は、ラムネを開けながら、揶揄うように笑った。

「まぁ、しおちゃんは絶賛デート中だし、かぐちゃんも車持とバッタリ会ってどっか行っちゃったしねぇ。アタシも、このあと彼氏と待ち合わせだしさ」

「ほんっと!ウチだけ恋愛系の話ないとか悲しすぎる!」

「失恋したばっかでなに言ってんの。おとちゃんはそんなんだから糸こんにゃくなんだよ」

「誰がこんにゃくよ」

 軽口を叩き合いながらフランクフルトの屋台に並んだ。

 灯籠で明るく照らされる境内は、どんどん人が増えていく。

 すぐ上を見れば、珍しく晴れた空に、今にも降って来そうな天の川が見えた。

「てか、あっちにクレープあるよ」

「うげ、あと一ヶ月はカンベン。こないだのななみなクレープで一生分食べたわ」

「ガチそれな」

 フランクフルトにケチャップをかけながら、乙姫は苦笑する。

「てか、あの時の輝姫かぐや顔真っ赤にしてさ。そりゃ、推しと遭遇したらああなるわな」

三週間前、その場のノリと勢いで行った、アイドルとコラボ中の、ななみなクレープ。

 そこで、なぜか輝姫かぐやの推しのアイドルグループと遭遇した。

 他にも、一方通行な四角関係があったり、サラリーマンと弓道部集団がクレープ屋にやって来たり。

 発端は、乙姫がアイドルのメンバーの一人である従兄弟に声をかけたことだったりするのだけれど……

 自分のせいではないと思う。

「大変だったよねぇ。あのあと、メンバー五人揃ってさ。かぐちゃん、せっかく冷静になったのに、またフリーズしちゃって」

「結局、あのあと唐土とうどちゃんは右部に告って、付き合うことになったってよ」

「マジで?じゃ、ぶっちゃけ今日初デートだったり?」

「デートだってよ」

 乙姫はため息をつきながらヨーヨーを上に投げる。

 キャッチし損ねてたヨーヨーは、風船越しのひんやりした感触を残して指をすり抜けていく。

「ヨーヨーもーらい!」

 勝姫は、二ヒヒッと笑って、横取りしたヨーヨーを放り投げた。

 それが行き着いた先は、伸ばされた勝姫の手ではなく――

「かーつき。友達?」

 金髪のギャルの手の中へ。

「お義姉ちゃん!」

「おひさ〜浴衣可愛すぎ。さすが私の未来の妹」

「マジ?嬉しい」

 義姉さんと呼ばれたギャルは、文字通り勝姫の義姉(予定)だ。

 ちょうど昨年の今頃、勝姫は旧家の三男坊と両思いになり、相手の旧家とのゴタゴタを経て、彼氏の兄嫁たちと実の姉妹のような関係になっているらしい。

 親公認の勝姫カップルは、乙姫にとっては羨ましさの対象だ。

「はい、ヨーヨー」

「ありがとうございます」

 手の中のピンク色のヨーヨーは、やっぱりどこか冷たい。

「じゃ、またねーおとちゃん」

「うん、またね」

 勝姫は、義姉(予定)と共に境内の奥へ歩いていく。

 その先に、勝姫の彼氏が見えた。

「ウチにも、春来ないかなー」

 今は夏だけれど。

 乙姫は、一人祭りの群衆の中で、寂しく呟いた。


 ***


「では、これより、男子会を始める」

 七月八日月曜日の昼休み。

 私立おとぎ学園の食堂で、男子四人が向かい合って座っていた。

 定期的に行われる、おとぎ学園イケメン五人衆による男子会。

 カフェテリアの女子会同様、毎回売り上げを増やしまくっている。

 集まったメンバーは、石山、車持、大納言、麻中。

 全員、輝姫かぐやの彼氏候補だ。

「右部は?」

「昨日フラれて、結局唐土とうどと付き合うってよ」

「は?竹宮さん諦めんのかよ。しかも抜け駆けしやがってリア充め」

 車持の問いかけに、石山が右部からのメッセージを見ながら答える。

 すると、大納言が憎たらしげに文句を言った。

「そんなこと言ってるくせに、昨日祝ってたんじゃねえの?仲良しだろ」

 麻中は、ツンツンと大納言の二の腕をつつく。

 大納言は「うっせ!」とその手を振り払った。

「で、結局、どうよ」

「どうって?」

「わかってんだろ?グッズ集めだよ」

 大納言は、身を乗り出して声を潜めた。

 そして、コソコソと話し出す。

 つられて、他三人も身を乗り出した。

 周りで聞き耳を立てていた女子たちも、なんだなんだと息を殺して、一音も聞き逃すまいと耳をそばだてた。

「経過報告ってことか?なら、俺から」

 石山が、ニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。

「俺はかなり順調だ。あらかた情報集めも終わったし、入手の目処もたった」

 石山は自慢げだ。

 ふふんと鼻を鳴らして、カツカレーに口をつける。

 そして、辛そうに水を一気飲みした。

「激辛キャンペーンだって書いてあっただろ。甘党のくせによー、ナルシスト」

「炎上したくせに、ナルシスト」

「一人称も俺にしちゃって。竹宮さんの前では『私』とかいってカッコつけてるくせによ、ナルシスト!」

 痛い、ナルシスト、自惚れ屋、ナルシスト。

 車持、大納言、麻中は、それぞれにブーブーと文句を垂れる。

 その過半数が自惚れがちな性格についてなのは、最早いつものこと。

 聞き耳を立てていた女子たちも、自分の目の前のカレーに意識を戻した。

 食堂のウォーターサーバーの中身がどんどん減っていく。

「どうせ、従兄弟あたりにパシらせて逆襲されるのがオチだろ。楽しみだなー」

 車持は、挑発するような視線で、わざと棒読みに楽しみだと告げる。

 麻中は、ブフッと飲んだばかりの水を吹きだして、慌てて口を手で覆った。

「うるせ、そういう車持はどうなんだよ」

「あー俺?俺は……俺は?」

「は?なんだよ」

 言葉を濁す車持。

 大納言は笑いを含めた口調で聞き返す。

 その隣で、麻中はジュースの最後の一滴を飲み干した。

「じいが……なんか、暴走して……」

「暴走して……?」

「変な方向に突っ走ってるのを止めるので精一杯」

 あはは、と乾いた笑い。

「ちょっと調べただけで、進んでないデス」

 と車持の消え入りそうな声が、耳を澄ます人だかりの中心で響いた。

「――次、だいなごーん」

 麻中は、コップから口を離すと、何も無かったかのように大納言に話を振る。

「ちょい、ちょい、ちょい!待ってくれ!話を聞けよ!」

「進んでないんだろ?」

「車持んとこのじいさん、テンションヤベーじゃん」

「変なスイッチ入れた車持が悪い」

「ひどくね……?俺なんかした?」

 悲しさを表現しようと、わざと大ぶりな動きでカツカレーを一口。

「なんで平気な顔して食えるんだよ……」

 石山はショックを受けて、追加注文したケーキをパクリ。

 遠い奈良の地で、従兄弟が似たようなことをしていることはまだ知らない。

「で、大納言は?」

「俺もリサーチ済み。妹がその――DOUWAプリンス?を推してるから、ファンクラブの特権で有利に動けるし」

「えー、ズルくね?」

「ズルくねぇわ。会費立て替えてやってんの俺だし。妹はグッズ買うだけで万年金欠だから」

「フーやっさしぃー」

 ケラケラと笑う声が食堂に響きわたる。

 気が付けば皿は空に、昼休みも終了の時間だった。

「んじゃ、それぞれ、健闘を祈る」

「カッコつけてんじゃねえよ、ナルシスト」

「じゃ、」

 あっという間にガラガラになった食堂に、ポツンと残された大納言と麻中。

 目の前には、食べかけのカツカレーが残っている。

「ほらほら、ちゃっちゃか食べてちゃっちゃか授業行ってきなよ」

 洗い物をしながら激を飛ばす、いわゆる食堂のおばちゃんは、「まさか残すなんて言わないだろうね」と目を光らせていた。

「――なぁ、協力しね?」

「カレー食うのか?それともグッズ集めか?」

「まずはカレーだな」

 明らかに辛いオーラを漂わせるカツカレーを前に、二人はごくりと息を呑んだ。

辛ぇかれぇ

「めっちゃ辛ぇ」

 授業開始の本鈴が鳴る頃には、ウォーターサーバーの中身は補充され、満タンになっていた。


 ***


「おにーちゃん!やばい、やばい、やばい!推しが今日も尊くてメロくてやばいんだけど!」

 ただいまーと玄関の扉を開けた途端、廊下の奥からドタドタドタと音がする。

「やばいお兄ちゃん!尊すぎてスマホがキャパオーバーしてる!」

「バッテリーないだけだろ」

 大納言は、「やばい」と連呼する妹を引き剥がして、居間に向かった。

 平安時代から続く、いわゆる旧家という家柄の大納言家。

「本家に生まれたからには、その責任をうんちゃらかんちゃら」とかいう古い考えは妹が「知るかんなもん」と捨て去り、大納言一家は比較的気ままに生活している。

 大納言家に革命を起こした妹、大納言玉癸たまきはというと……

「ねえーおにーちゃーん、ドームライブのファンクラ限定グッズセット買ってー」

「は?自分の金は?」

「チケットとグッズで使い果たした。てか、使い果たす予定」

「そのグッズの中には、セットは入ってないのか?」

「情報解禁今日だったんだもん。てか、あっちこっちでコラボやりすぎてお金が足りないんよ。マジお小遣い五倍にしてほしい」

 ――絶賛、DOWUWAプリンスのオタクだ。

 推しは「こうちゃん」というらしい。

 辛うじて名前は分かるが、顔が一致しない。

 輝姫かぐやのためにも、覚えたほうがいいのだろうか。

「自分で金払えよ。ネイルとカフェラテ我慢すれば買えるだろ」

「はぁ?私の至福の時間!」

 課題を広げながら、大納言は玉癸を横目で見る。

 イヤホンでライブ映像を見ている玉癸は、ニヤニヤと締まらない表情。

 微妙に音漏れしていることにも気づいていない。

 仲が悪いわけでも、喧嘩が多いわけでも無いけれど、大納言はなんとなく妹にはあまり関わりたくなかった。

 一度マシンガントークが始まったら、玉癸は止まらないからだ。

 アイドルの知識に疎い大納言には、理解できる内容でも無い。

「おにーちゃんは、もっと妹を可愛がるべき!」

「なら、会費払ってる兄様を崇めろ」

 シャーペンをカリカリ動かしながら、適当に返事をする。

 こういう時の妹は可愛くない。

 本当に可愛くない。 

「はいはい、おにーちゃんすごいねー。ほら、敬ったよ」

「棒読みで敬ったって言われてもな、説得力が……」

「説得力あるある、大丈夫。でさ、頼まれてた件だけど」

 玉癸は、仰向けにゴロンと寝転がった。

「札幌のコラボカフェ、チケット2人分取ったよ。飛行機も手配済み。口実は叔母さんに会いに行くーで。博多は……取らなくてよかったよね?」

「ああ」

 レポートは、文字でびっしり埋まってきた。

 玉癸は、寝返りを打ってうつ伏せになる。

 そして、手繰り寄せたクッションに「よっ」と乗っかった。

「これ、貸し一だからね。グッズ買って?」

「……しょうがないな」

 居間は、玉癸が集めたふわふわもふもふのクッションでいっぱいだ。

 普段は反論するところだけれど、そんなことをしたら両親に恋愛事情をバラされかねない。

 旧財閥との縁をうんちゃらなどと言っている両親に知られたら、めんどくさいことになるのは明らかなのだから。

「口止め料にパフェ奢ってくれてもいいよ?」

「会費払ってるだろ」

 大納言はぶっきらぼうにいうと、書き終えたレポートを揃えて、立ち上がる。

「クッキーくらいなら考えてやる」

 カッコつけて振り返り、ふすまを開ける。

 廊下は、ひんやりとした木の匂いがした。

「やべえ、めっちゃ金欠……」

 そんなこと、妹には言えないけれど。

 会費千円は意外ときついとか、絶対に言えないけれど。

 ある程度お金を持っているはずの妹が万年金欠な理由。

 それが、オタクの世界に片足を突っ込もうとしてみて、初めて分かった。


 ***


「でさ、その後一緒に花火見て帰ったの〜!もー、星彦くんイケメンすぎる!」

「よかったねー」

 輝姫かぐやの元バイト先のコーヒーショップ。

 視線がウザいとの理由で最近場所をカフェテリアから移動しがちな女子会は、昨日の詩織のお祭りデートの話で大盛り上がりだ。

 輝姫かぐやは、惚気を披露する詩織に、「よかったね」と言葉を返した。

 詩織の彼氏――星彦は、絵に描いたような顔も性格もイケメン。

 物腰も穏やかで、気もきく彼は、とんでもなくモテているらしい。

 そんな彼を射止めた詩織も、とんでもなくキラキラと輝いていて。

「いいな……みんなピンクピンクでキラキラでさ。私は恋愛のれの字もないんだけど」

 ぽつり、と言うつもりもなく溢れた言葉は、思っていたよりも毒が混じっていた気がする。

「冗談、」

 笑い飛ばす。

 そうすれば、自分の中の矛盾にも蓋をできる気がした。

 五人にも、推しにも、真正面から向き合ってないのは自分なのに。

 それを人のせいにしているなんて矛盾に。

 蓋をできると、そう、思った。

「恋愛のれの字もないって……誰よ、現在進行形で言い寄られてる人は」

 勝姫は、茶化すように笑う。

 つられて、輝姫かぐやもへらりと笑った。

輝姫かぐや、体良く追い払いたいからってグッズ集めで無理難題言ってさ。一石二鳥〜って」

 乙姫も、柔らかく笑う。

 けれど、それが乙姫が興味ないと暗に言っている時の顔に見えて、嫌な汗が背中を伝った。

「それ、どうなの?」

 ピシリと何かがひび割れるような音がする。

 乙姫の何気ない言葉に、周りの景色が遠ざかって行くように感じた。

「ウチはモテないのにさ〜輝姫かぐやはモテモテで、学園のイケメン五人衆をまとめて手玉に取って。恋愛のれの字もないとか、言ってみたいわ」

 ほんのりと軽蔑を含んだ目が、針のように突き刺してくる。

輝姫かぐやは、人を大事にしてる?ちゃんと向き合ってる?」

 ひんやりと、残酷なほどに冷たい何かが、心の一番底に、広がって行く。

 ――向き合えてなんか、ない。

 一番「ご自身で」ができてないのは自分なんだって、分かっている。

 分かっていたのに。

「恋愛も、推しも、どっちか一方通行じゃダメなんだよ。推しだって、人間なんだから。アイドルは、ファンに笑顔を振り撒く。それが、仕事だからやってるんだよ」

 乙姫は、カラリと氷の音を立てて、アイスティーをかき混ぜた。

「海斗も。学園のアイドルなんて言われてるウチらも。もちろん、輝姫かぐやだって。その笑顔に、感情がこもってるかはその人次第、相手次第だけど」

 わかってる。

 知ってる。

 なのに。

輝姫かぐや。何悩んでるか知らないけど、自分の見たいとこだけ見てちゃダメだよ。相手と向き合って、一番いい距離で居ないと、いつか誰も輝姫かぐやのこと、見てくれなくなる。推しも、笑いかけてくれなくなるよ」

 ヒュッと喉の奥が鳴った。

 人に向き合えてない。

 そんな、自分の中の矛盾を目の前に叩きつけられた。

 ピシャリと冷水を浴びせられたように、体が震える。

 キラキラに輝いていた世界が、分厚い壁の向こうで真っ白に見えた。

 カラカラに乾いて張り付いていた笑顔が、ひび割れていくようで。

 チリンと音を立てる氷と、ガラス張りの窓の向こうに響く笑い声が、妙に大きく聞こえた。

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