【声劇台本】世界の端っこでぼくらふたり

澄田ゆきこ

男性版

〇9月5日

ラジオ:12時になりました。日本セントラルFMより、9月5日のお昼のニュースをお伝えします。米欧の天文学チームが、「異常に強い宇宙放射を観測した」と発表しました。同チームによれば、「現時点で地球環境への即時影響はないが、今後も観測を続ける」とのことです。続いて天気予報です。東京は晴れ、降水確率10%、最高気温31度、湿った南風が吹いています。フィリピン南海で発生した熱帯低気圧は台風12号となりフィリピン東海上を北上中、進路によっては日本に影響する恐れがあります。続いて交通情報です。鉄道・航空便は平常通り運行中です。首都高速道路では、事故の影響により――


(研究棟、廊下にて)

蛍:(あくびをし)あ、夏生なつおくんだ。やほー。

夏生:(イヤホンを外し)……ああ、ほたる。お疲れ。

蛍:いやー、まだまだ暑いね。廊下出た瞬間にむわっとしたもん。……何聞いてたの?

夏生:ん? ふつーに音楽。蛍も休憩?

蛍:うん。測定記録の整理に疲れちゃったから、下の自販機に飲み物買いに行こうかなって。夏生くんは?

夏生:今は星雲データの解析待ち。キリのいい時間だったし、研究室の外で気分転換したくて。

蛍:お、じゃあ一緒に下行こ。……どう、卒研順調そう?

夏生:ぼちぼち。まあ順調のラインかもな。観測データの日付ミスに気づいたときは血の気引いたけど。リカバリーできるタイミングだったからよかった。

蛍:うわ、危なかったねえ。(大きくあくびをし)……いいなあ、僕も順調とか言いたい……。

夏生:……随分と眠そうだな。

蛍:んー。昨日帰ってないしね。

夏生:また泊まり込み? 最近多いな。ほどほどにしろよ。

蛍:……うん(含みあり)。(誤魔化すように)まあ、こないだダメにした鉱石サンプルの作り直しは先週終わったし、大丈夫だよ。いやー、薄片スライスも大変だけど、研磨も神経使うし、しんどかったなー。ずっと測定だけできたら最高なのに。

夏生:(含みを感じ取りつつ)……さてはお前、反射率測ってたせいで寝不足だろ。

蛍:えへへ……。研磨面の反射スペクトルにきれいなピークが出る瞬間がたまんなくてさ、ハイになってるうちに朝だったよね。

夏生:……まあ、気持ちはわかるけど。でも俺はスペクトルは可視光よりX線分光のがアガるな。

蛍:えー、肉眼で見える領域だからこそ現物の美しさが倍増しない?

夏生:(挑発するように)ふっ、人間の目なんて狭帯域の欠陥センサーに満足してるのか?

蛍:なにをー! 暴論だぞそれはー。

夏生:少なくとも物理的には正しいだろ。「本当に大切なものは目に見えない」って言葉もあるし。

蛍:その名言を宇宙観測の文脈で使うのは濫用がすぎるよ。

夏生:そうか?

蛍:そうだよー、『星の王子さま』の作者とファンに謝ったほうがいいよ。

夏生:でも、事実として、多波長観測の方がはるかに雄弁だろ。電波、赤外線、紫外線、X線、ガンマ線、全部が違う意味を持つ膨大なデータを提供する。重力波やニュートリノ、粒子線なんかに広げればもっと。

蛍:……沈黙は金、雄弁は銀って言葉もあるけど?

夏生:導電性、反射率、熱伝導、全部銀の方が上。加えて低コスト。つまり銀の勝ち。

蛍:金の方が展性と延性は上じゃん。

夏生:それでも4対2だろ。ほら、やっぱり銀の勝ち。

蛍:もー、そういうのを屁理屈って言うんだよ。

夏生:ほう、それは初耳だ。

蛍:……夏生くんさあ、いっそ、そういう系のユーチューバーとかなったら? こじつけ論破王的な。

夏生:やだよ、めんどくさい。別に世界に対して自己開示はしたくないし。

蛍:そういう問題かなあ……。あ、赤のコカ・コーラくん発見! ミルクティーちゃんは売り切れて――ない! ひゃっふー! 今日こそ当たり出るかなー。

夏生:……はは、賑やかなやつ。(呟いたあと、ベンチに座り、考え事)

(間)

蛍:ていっ(缶コーヒーを夏生の頬につける)

夏生:うわっ!? んだよもう……。

蛍:(いたずらっぽく笑い)ほら、いつものブラックコーヒー。

夏生:……さんきゅ。……あ、今細かいのあったっけな……。

蛍:いーよいーよこんくらい。おごり! 大学院合格祝い!

夏生:それはお前も一緒だろ。

蛍:んー、じゃあ、これからもよろしく的な?

夏生:(苦笑し)なんだよそれ。……ま、ありがたく受け取っとくわ。

蛍:じゃあ乾杯しよ! かんぱーい!

夏生:(さらに苦笑し)……自販機の飲み物でなあ。

蛍:いいじゃん、僕らの日常って感じで。日常に乾杯。日常ほど尊いものはないよ?

夏生:はいはい。

蛍:(ミルクティーを飲み)あーーー、糖分とカフェインがしみわたるーーー……。

(間)

夏生:……あ、ふと思ったんだけどさ。

蛍:うん?

夏生:オルドビス紀末の大量絶滅さ、やっぱガンバ線バースト説が一番ロマンない?

蛍:唐突だねえ。なんでふとそんなこと思ったの?

夏生:さあ。なんか浮かんだ。

蛍:……んー、まあ、確かにロマンはあるよね。でも、鉱物とか地層にその痕跡がほぼ残ってないんだよ。酸素同位体の変化とか、氷河の堆積物はあるけど。

夏生:4億年前じゃ痕跡も消えてるかもな。放射性同位体なんて残りにくいし。

蛍:そう。物証がない。だから、地球科学的には、「面白いけど推測止まり」って扱いなんだよね。確かに急激な寒冷化の引き金は謎だけど、氷河期は地球内部や気候変動だけでも説明できる。

夏生:けど、地球内部の変動だけであそこまで一気に寒くなるか? 宇宙からのどぎつい一撃の方がスケール的にしっくりくる。

蛍:銀河マニアの悪いクセ出てるよー。まずは岩石の記録が先。やっぱり証拠がなきゃ。

夏生:んー、じゃあもし、俺が確定的な証拠を見つけたらどうする?

蛍:うーん……。あ、そしたら、一緒に論文出そう。名前は僕が先頭ね。

夏生:お前の分野じゃないだろ。

蛍:だからだって。「鉱物研究者が銀河の証拠を見つけた」って、絶対ニュース映えするじゃん。

夏生:「ニュース映え」ねえ……。お前こそインフルエンサーとか目指せば?

蛍:えー、僕も目指したくはないなー。あ、好きなことに夢中になってるうちに気づいたらビッグネームになってた、とかなら歓迎するけど。

夏生:(小さく笑い)強欲だな。

(間)

蛍:……ねえ、さっき夏生くんがなんで「ふと思った」のか当てようか。

夏生:……どうぞ?

蛍:ずばり、さっき聞いてたのは音楽じゃなくて、学食でも流れるようなラジオのニュース。そこに宇宙放射関係の話題があった。どう?

夏生:……(ゆっくり拍手し)正解。お見事。

蛍:へへ、当てちゃったな……(一応笑い、じっと夏生を見る)

夏生:……米欧の天文学チームが異常な高エネルギー放射を観測、地球環境に即被害はないと見られるが引き続き観測。これがニュースの情報。――つまり、複数地点で断続的に要監視の現象が観測されて、今後も起きる可能性が高いってことだ。「異常な」とつくあたり普通の天体現象では説明できないレベルだと確定するし、となるとガンマ線のセンも濃厚になる。桁外れな規模の何かが起こるかもしれない。その上、「即被害はない」って言い回しは実質的に、被害を視野に入れて地球周辺をモニタリングをしてる証拠でもある。

蛍:あら……なんか思ったよりすごい感じだ。少し怖いね。

夏生:まあ、これだけじゃ情報ゼロに等しいけどな。超新星爆発、ブラックホール、中性子星、活動銀河核、この辺の何か大規模な活動が観測されたか、その予兆か……推論はいくらでもできるが、憶測の域を出ない。(独り言のように)……データが欲しいな。少なくとも観測波長帯とピークフラックス、継続時間あたりは知りたい。公開されてないかな……。

蛍:……夏生くん、ちょっとわくわくしてるでしょ。

夏生:当たり前だろ。宇宙138億年のスケールじゃ人間の一生なんて誤差もいいところだ。その中でこの規模の現象にリアルタイムで出会えるとか、天文学やっててテンション上がらない方がおかしい。

蛍:ははっ、夏生くんらしいねえ。

夏生:――そうだ蛍、お前向きのニュースもあったぞ。

蛍:ん?

夏生:フィリピン南の熱帯低気圧、台風になったってよ。フィリピン東海を北上中だと。これ、地球科学民はどう見る?

蛍:うわ、東アジアに来る典型的なパターンじゃん……。あの辺は高温多湿で海面温度も高いから、発達しやすいんだよなー。しかも今日は蒸し暑いでしょ、てことは大気の影響が日本まで届いてるかも……。大きく成長する条件はそろってるし――コース次第では大型台風が日本直撃?

夏生:げ、まじか。……停電とかならないといいけど。機材とかデータに影響あったら死ねる。

蛍:まじそれな!! 死活問題すぎ!!

夏生:……確かに、お前は特にそうだよな。進捗、遅れ気味だし。

蛍:うっ、否定できないのがつらい……。もー勘弁してほしいよー。

夏生:(小さく笑う)

蛍:(苦笑し)……ま、まだわかんないけどねー。今の段階だと、備えあれば患いなし、って感じじゃない? 備蓄はしといてもいいかも。直前になると品薄になるだろうから。

夏生:了解。ありがと。

蛍:いえいえ。……はぁーあ、なんか宇宙も地球もざわざわしてるねえ……。



〇9月8日

ラジオ:12時になりました。日本セントラルFMより、9月8日のお昼のニュースをお伝えします。本日、ワシントンで日米首脳会談が行われ、近年増加している宇宙ごみ問題や、先日観測された宇宙放射に関する対応を協議しました。両首脳は「現時点で国民の健康や生活に直ちに影響はない」との認識を共有、日本政府は「引き続き科学的知見を共有しながら警戒を続ける方針」と発表し、同時に、不確かな情報の拡散へ注意を呼びかけました。続いて天気予報です。東京は晴れ時々、曇り、降水確率20%、最高気温は29度です。台風12号は伊豆諸島の南で停滞し、中心気圧は930ヘクトパスカル、暴風域が200kmに拡大。一部の船や飛行機が欠航となるなどの影響が出ています。


(学生食堂)

蛍:あーあ、今日のカレー、絶対煮詰まってるじゃん。ジャガイモとかもうなくなってるし。……てか、具、少なすぎない?

夏生:具がほぼないのはいつものことだろ。……学食のカレーって甘ったるくないか。よく食えるな。

蛍:そう? 僕はこのくらいが好きだけど。

夏生:おこちゃま舌。

蛍:別にそれでいいもん。……うわ絶対底のほうだったじゃんこれ。ゲル化してる……。

夏生:夏場の銀河ガスみたいだな。

蛍:わかりづらいよ。

夏生:カレーを懸濁けんだくえきとして見るのも大概だろ。

蛍:そうかな。……んー。なんか暑い日のほうがドロドロしてる気がするな……。

夏生:……学会発表、「夏季高温下における学食カレーの粘性変化」(ぼそっと)

蛍:ぶはっ、やめてよ、絶対ネタ扱いじゃん。(笑いながら)

夏生:うちの教授は似たようなことやったけどな。ゼミ合宿でカレーかき回してるうちに木べら折れて。先輩に呼ばれて見に行ったら見事に二つに割れてた。……何したらそんなに固くなるんだか。

蛍:あ、それ知ってる、写真をスライドにして「これは流体とは呼べない」って真顔で発表したやつでしょ。

夏生:(小さく笑い)そう。あれ以来、うちの研究室では、学食でカレーを食った後は「流体か固体か」談義する文化ができた。

蛍:(声を上げて笑い)それ、最初は笑いながら話してるのに段々ガチになるやつじゃん。

夏生:正解。

蛍:ふふっ。あ、わかった、ダントツで安いのに夏生くんが絶対カレーにしないの、報告が面倒だからだ。

夏生:まあ、それもある。

(間)

夏生:(味噌汁に口をつけ)あっつ。

蛍:やーい、ねこじたー(にやっとしながら)。混ぜないからだよ。

夏生:忘れてたの。……この味噌汁は不安定成層だな。

蛍:(笑い交じりに)観測日誌に「味噌汁成層」ってつけときなよ。

夏生:どうでもよすぎるだろ。

蛍:うちの教授はそういうの評価するタイプだよ、観測者の主観もデータの一部だ、って。

夏生:俺も似たようなこと言われたことはあるけど。だとしても味噌汁はない。

蛍:えー、わかんないじゃん。ほめてくれるかもよ? 僕、ノートの「試料がかわいい」ってメモ見られて、教授にすごいテンションでほめられたことあるもん。

夏生:(呆れながら)それは石マニア同士の共鳴だろ。それに、俺はこんなことでほめられても嬉しくない。

蛍:ちぇ、つまんないの。

夏生:つまらなくて結構。

(間)

蛍:そういえばさ、さっきスピーカーからも流れてたけど、今すごいことになってるよね。宇宙放射デマ。

夏生:……まあ、こうなる気はしてたけど。いざ見ると呆れるしかないな。スピリチュアルやら陰謀論やらオカルトやら、あらゆる界隈の連中が大騒ぎだ。しまいには買い占めだの転売だの。窓にアルミホイルで宇宙線防ぐとかギャグだろ。

蛍:不安につけこむ悪い人も、それに便乗して有名になろうとしたり、お金もうけを企む人も、流されたり騙されたりしちゃう人も、いるんだよねえ……。不確かな噂ほど早く広がったりするし。やだやだ。

夏生:本当に。

蛍:そうそう、昨日のバイトでね、店長に頼まれておつかい行ったら、アルミホイル安売りってポップのワゴンが空っぽでさ。気になっていつもの棚も見てみたら、そこだけぽっかり空いてんの。ラップとかクッキングシートはいっぱいあるのに。……アルミホイル品薄、ニュースで見たときには笑っちゃったけど、実際に見るとぞっとするね。

夏生:……実家から届いた段ボールの中に3本入ってたら、もっとぞっとするぞ。

蛍:ひーー怖すぎるーーー!(半分ふざけて)

夏生:まあ、あの人のやりそうなことではあるけどな。

蛍:……んー。夏生ママ、相変わらずだねえ。

夏生:あれは死ぬまで治んないよ。……アルミホイルはかわいいもんだぞ。もっとキマってるのいっぱいあるから。まずでかい岩塩のごろごろ入った袋だろ。あと天然水晶のなんとか。どっちも「大地のエネルギー」がどうとか「パワーストーンの守護」がどうとかびっしり書かれた付箋つき。

蛍:あ……ああっ……。

夏生:とどめの高純度波動水と宇宙放射浄化活性炭。しかも波動水は2リットルが3本。

蛍:やっばあ……。

夏生:……普通に実用的なのとガラクタ半々で送りつけてくるから困るんだよな。まともな防災用品とか非常食はまあ助かるし。水もどうせ中身はただのH2Oだし。

蛍:え、飲むの? 波動水。

夏生:バカ、俺だって飲みたくないっての。……でもまあ、ラベル剥がして、置くだけ置いておくかな。台風もなんか怪しいし、水があるに越したことはない。

蛍:うー、それでも、なんか内側から染まっていきそうでやだなあ……。

夏生:……それこそスピリチュアルだろ。

蛍:……まあ、そうか。

夏生:……ほんと、荷物受けとったあとのLINE放置してたら電話かかってくるし、そこでも頭が痛くなるようなマシンガントークかまされるし。その直後にお前からLINEで「これマジ?」って「宇宙線予防におすすめの日焼け止め」とかいう美容系の投稿シェアされた俺の身にもなれ。凍りついたわ。

蛍:あ、だからあんな長文マジレスだったんだ、なんかごめん。「そんなわけないだろ」で終わりかなって思ってたし、半分冗談だったんだけど。

夏生:まったく……。……ん、半分?

蛍:僕の名誉のために言うけど、僕は初見から100パー信じてないからねあれ。

夏生:……彼女か?

蛍:……うん。もともと不安になりやすいタイプだし、理系は苦手だったらしいから、仕方ないかもしれないけど。あの子がうちに来たときにあの投稿見せられて、僕が説明しても納得してなさそうだったから、「友達がちょうどその専門の研究室だから聞いてみようか、きっと僕と同じこと言うから。そうしたら納得してくれる?」って聞いて。その流れで。

夏生:……なるほど。

蛍:だからさ、実は、すごく丁寧に説明してくれて助かってたんだ。あの子も一応わかってくれたし。

夏生:それは何より。

蛍:まあ……その後「こんなこともわからないのかってバカにしてた」とか「私のこと嫌いになったんだ」とかバッド入っちゃって、泣かれたけどね。参ったなあ……。

夏生:……わりと序盤からめんどくさそうな気配はしてたけど……ほんと、よくつきあってられるよな。

蛍:一応ずっとがんばってはみてるんだよ。でも、別れ話になると絶対に泣き喚かれるから……ちょっと疲れちゃった(苦笑)。……すごい剣幕で怒鳴られるのも、モノにあたったりされるのも、本音を言うと、怖いし。いくら相手が年下の女の子でもさ。

夏生:だからだろ。あんな小型犬みたいなのが豹変するんだから、ギャップで恐怖が増幅されるのは当たり前。

蛍:……それ聞いて、なんか安心した。ありがとう。

夏生:……状況は変わってないけどな。はたから見ると行動はどんどんエスカレートしてる。

蛍:そうなんだよねー、困っちゃうな。昨日も「昼休みには絶対LINE返す」って約束させられて……あっ。

夏生:……。

蛍:ごめん、夏生くん。ちょっとだけ待ってくれる? ほら、昨日の今日だからさ……。

夏生:……俺のことは気にすんな。忘れないうちに返事しとけ。

蛍:うん、ごめん。(スマホを凝視し、返信をはじめる)

夏生:……。(蛍を見ながら険しい顔)



〇9月12日

ラジオ:18時になりました。日本セントラルFMより、9月12日の夕方のニュースをお伝えします。本日14時ごろ、地球軌道上の観測衛星が銀河系内で異常なガンマ線の放出を複数検知したことについて、国立天文台による記者会見が開かれました。国立天文台はこの会見で「9月中旬以降、太陽風や宇宙線の増加の可能性がある。影響の詳細については、現段階では不明」と発表し、国や自治体に対して、念のため停電や通信障害への備えるよう呼びかけました。続いて、天気予報です。東京は曇り時々雨、降水確率70%。夜から明け方にかけて降水量は20mm前後です。気温は24度、北東の風がやや強めです。非常に大型の台風となった台風12号は、中心気圧915ヘクトパスカル、最大風速は秒速55メートルで北上を続け、数日後に本州接近の見込みです。


(研究棟入口)

蛍:(電話中)――うん、それでさ、今日も帰れそうになくて……。ごめん。……うん。……うん。……そうだよね、ごめんね。絶対埋め合わせはするから。……違うよ、避けてるとかじゃなくて、中間発表の準備で本当に忙しくて。……もう、そんなことないよ、ちゃんと好きだよ。大丈夫。ね?

夏生:……ん、蛍?(蛍を見つけ、小声で)

蛍:……本当だよ。……うん、絶対。……うん、そうだね、台風の時は一緒にいよう。この規模だとさすがに大学閉めると思うし。大丈夫。……うん、ありがとう。それじゃあ、もう暗くなるし、真っ暗になる前に早く帰りな。風もどんどん強くなってくだろうから、気をつけてね。……うん、ありがとう。じゃあ。

夏生:……。(遠くから見ている)

蛍:……(しばらくの間のあと、大きく溜息)

夏生:……随分とお疲れだな、“蛍先輩“。

蛍:ひゃっ! びっくりしたー。……やだあ、盗み聞き?

夏生:ちょうど帰ろうとして歩いてたら聞こえてきただけ。んで、「今日も帰れそうにない」蛍先輩は、どうしてこの時間に研究棟の入り口にいるわけ。いかにも今すぐ帰りそうな格好で。

蛍:やめてよその呼び方……。てかめっちゃ聞いてんじゃん……。

夏生:こんなところで電話してるからだろ。

蛍:……外は風、強いから。

夏生:そうだな。――風の音が入ったら、「研究室に籠りきり」ってアリバイも作りづらいし。

蛍:……。……仕方ないじゃん、こうでもしないと自由な時間が作れないんだよ。分光測定器あいてなくて、今日はもうできることないしさ。

夏生:なるほど。それでこんなに早いわけ。

蛍:そっちこそ早いね。

夏生:モニターが接触不良、ちょうど予備もない、新しく発注すると週明けだと。――タイミング的に台風が重なってきそうで嫌だな。何日研究が止まるか。

蛍:いやほんとに……。中間発表の資料、間に合う気がしないわー……。

夏生:この間のサンプル作り直しが効いてきたな。

蛍:うっ……わざわざ言わないでよー。床にひっくり返した罪深さは自分が一番わかってんの。……はーー、提出遅れても、宇宙規模で考えたら誤差ってことで許してくれないかなあ……。

夏生:教授が宇宙規模の時間感覚で生活してたら、いけるかもな。

蛍:うーん、厳しそー……。

(間)

蛍:……嫌な風。

夏生:……だな。

蛍:今度の台風、やばそうだね。

夏生:だろうな。気圧の値がエグい。

蛍:うん。その上、関東に最接近のタイミングが満潮と重なる。

夏生:……嫌な条件だな。

蛍:うん。風もすごく強い。海水が一気に川を逆流させる。低地は排水が間に合わないし、あの風速だと窓ガラスが割れる家もあるだろうね。この辺だと旧河川の跡地が水路みたいになるから……水位は4メートルくらい行くかも。下手したら2階まで浸水だ。

夏生:てことは、お前の部屋も怪しいわけね。――あの彼女ともども水没とかなったら笑えないな。

蛍:……なんか今日、いつもよりいじわるじゃない?

夏生:そうか? いつも通りだと思うけど。

蛍:ふーん。……言っとくけど、夏生くんは4階だから安心とかないからね?

夏生:へえ?

蛍:真面目な話、浸水被害って水に浸かったところだけに出るわけじゃないし。……あ、そうだ。ふふーん。(企て)

夏生:……。(警戒)

蛍:夏生くんにいいことを教えてあげよう。

夏生:……この流れでいいことなわけないが、一応聞いてやるよ。何?

蛍:(怪談を語るように)……実はね、浸水後には、いろーんな虫が、いーっぱい湧くんだよ?

夏生:(動揺を殺しつつ静かに)もういい、わかった、ありがとう、やめろ。

蛍:冠水したゴミ置き場から蚊やハエ、屋外の証明には夜ごと蛾の群れ……さらに家屋の床下や排水管からは、避難先を求めたゴキブリがうようよと上りだし――

夏生:(顔をしかめ)おい。

蛍:しかも大型種。ヤマトやワモンの成虫。奴らにははねがあるから4階まで難なく上がれる。飛翔距離は3メートル、湿気で元気倍増――

夏生:やめろって言ってんだろ!

蛍:(にやりと笑い)僕たちの住んでるアパート、特に玄関の隙間くらいなら、あいつら、余裕で入れるよ。ふと視線を上げると、壁や天井にわらわらとぉ――ぎゃっ!(みぞおちに手刀を入れられる)いたーい! 何すんのさ!

夏生:……言っとくけど、先に忠告はしてたぞ。2回も。

蛍:だからってみぞおちはひどいよ!

夏生:(鼻を鳴らし)人を弄んだヤツのセリフか。

蛍:先にいじわるだったのはそっちなのにー! ひーん、暴力だよおーひどいよおー(泣きまね)。

夏生:正当防衛だ。

蛍:過剰防衛だ!

夏生:俺は本気で命の危機を感じた。

蛍:(冷やかすように)あら繊細。原因は何? ショック死?

夏生:さあ。……お前も香辣こうらつけんの溶岩麻婆豆腐を無理やり口につっこまれたらわかるんじゃないか?

蛍:(嫌な予感)……え、やだよ、あれテーブルにあるだけでもカプサイシンきついのに。

夏生:そういえばちょうど夕飯時だな。近いし寄って帰るぞ。ほら。(肩を抱く)

蛍:(抵抗しながら)ぎゃーまってまって! あの店、みんなコスパいいとか度胸試しとかでやたら行きたがるけどさあ、僕あそこのメニュー炒飯しか食べれないんだよ? 他ぜんぶ辛い料理だし、もう店の中入るだけで目が痛い気がしてくるし!

夏生:ほう、四川料理屋でパブロフの犬とは驚いた。けどあれだろ? 地球科学民は溶岩麻婆豆腐を食べきれてからが一人前なんだろ?

蛍:もーほんとその風潮作ったの誰え!

夏生:前にキラウエアの溶岩流を生で見たいって言ってたし、ちょうどいいじゃないか。よかったな、ジェネリック溶岩だぞ。

蛍:よくなーい! 全然違うー! 引っ張んないでー!

夏生:ほら、行くぞ。(にっこり)

蛍:わーやめてー! その怖い笑顔やめてー!

(間)

夏生:……くくっ。ふふふっ。(おかしそうに)

蛍:もー。

夏生:(笑いが落ち着き、ひとつ息をついてから)……で、自分が何をしたかわかったか。

蛍:……大変申し訳ございませんでした。

夏生:よろしい。……じゃ、帰るか。どっか寄る?

蛍:ロイホ。パフェ食べたい。辛い話のせいで口が甘みを求めてる……。

夏生:はは、りょーかい。



〇9月14日

ラジオ:12時になりました。日本セントラルFMより、9月14日のお昼のニュースをお伝えします。本日9時ごろ、台風と宇宙放射に関する不確かな情報の拡散と、それに伴い詐欺などの犯罪や買い占めが多発していることついて、気象庁から注意喚起が公表されました。気象庁は「台風進路と宇宙現象に関連性はない」と述べ、信頼できる情報源をもとに落ち着いた行動をとるよう呼びかけています。次に天気予報です。東京は最高気温25度、夕方ごろから30mm程度の強い雨となるでしょう。台風12号は中心気圧895ヘクトパスカル、最大瞬間風速は秒速70メートルを記録。非常に強い勢力で関東・東海の南海を北上中。明後日16日に日本列島に上陸する見込み。各地に高潮や浸水が予想されます。


(学生食堂)

蛍:(ぎこちなく)夏生くん、このハンバーグの断面さ、なんだかマウナケアの土壌っぽくない? 酸化鉄を含んでそうな色とか。粒感もなんか火山土壌っぽいし。

夏生:……。(無表情)

蛍:……。ソースもちょっと溶岩流に見えてきた。玉子の黄身混ざっててすごいそれっぽいよ、ほら。

夏生:……。(険しい顔)

蛍:(焦りつつ)……こう考えるとさ、ロコモコ丼そのものがハワイっぽさで構成されてるの面白いね。春休みのオーストラリアもめちゃくちゃ楽しかったし、次の春休みはハワイとかどう? 天体観測の聖地でもあるしさ、夏生くんも楽しいと思うよ。また二人でお金貯めよ。

夏生:……蛍。

蛍:……ん? なあに?

夏生:そのアザ、どうした。口の横。

蛍:ああ、……はは、これは……その……。

夏生:――「転んだ」って誤魔化しは、もう通用しないからな。

蛍:……。

夏生:(溜息をつき)……やっぱり、どんどんひどくなってるな。彼女。

蛍:……うん。……今回は別れ話ですらなかった。最初は普通に会話してたのに、地雷踏んだっぽくて。落ち着かせようとしたらますますヒートアップしちゃって。マグカップが口に当たってさ。……でも、大したケガじゃないから、大丈夫だよ。

夏生:……どこが。紛れもないデートDVだろ。

蛍:……僕が無神経なこと言ったんだと思うよ。あの子、ちょっと感じやすくて脆いところあるし、最近は怖いニュースが多くて世間も不穏だしさ。余計に敏感になってたんじゃないかな。何がトリガーなのかわからない程度には、僕も鈍くて、だから――

夏生:事実だけを見ろ。モノを投げられてケガをした。暴力を受けた。立派な警察案件。

蛍:……。

夏生:……不安なら、一緒に行くけど。

蛍:……ううん、いい。どうせとりあってもらえないよ。

夏生:そんなの、行ってみないと――

蛍:わからない、って? 夏生くんらしいね。

夏生:……。

蛍:僕だって、なんの根拠もなく言ってるわけじゃない。研究室の先輩にいるんだよ。僕よりひどい暴力に遭って、警察に何度も相談してたのに、彼氏からいよいよ殺されかけるまで動いてもらえなかった女の人。最初に警察に行ったのは突き飛ばされて手首をひねった時だったって。でも、調書すらとってもらえなかったって。女の人ですらこうなんだよ。

夏生:……。

蛍:あ……。はは……ごめん。八つ当たりだね、こんなの……。

夏生:……。

蛍:あはは、なんでこんな時に限ってバカみたいな台風来るかなあ……。小さくならないかなあ……。……何日家から出れないんだろ……。

夏生:……台風の時、何かあったら、4階の俺の部屋まで上がってこい。鍵は開けておく。

蛍:……。……うん、ありがとう。――あ、そうだ、僕の宝箱、先に夏生くんの家に預けておいてもいい? ……水没したら嫌だし。

夏生:どうぞお好きに。……こんな時まで鉱石の心配かよ。

蛍:……みんな、僕を構成する大事なものだから。

夏生:……そう。



〇9月16日

ラジオ:全日本防災ラジオより、9月16日12時現在の災害情報をお知らせします。台風12号は中心気圧875ヘクトパスカル、最大風速は秒速70メートル。猛烈な勢力で八丈島付近を通過中。現地では家屋の倒壊や倒木などが多数観測されています。日本列島では各地で観測史上初の高潮が記録。関東・東海は沿岸部を中心に浸水の報告が相次ぎ、神奈川県で最大8メートルが記録されています。早めに高所や避難所へ避難するか、屋内の高いところに移動し、身の安全を確保してください。


(夏生の部屋)

夏生:(独り言)――12時……。解析結果は――ああ、くそっ、まだか。もう6時間だぞ。――やっぱりノートパソコンじゃ、この量の衛星観測データは無茶だったか? でも、今の状況でできる方法はこれしか……。……(舌打ち)ったく、マジで、なんでこんな時に台風来んだよ……。

(間)

夏生:電気はさっき死んだ、この調子だとしばらくは復旧しそうにない……。解析終了とバッテリー切れ、どちらが先か……。――まあいい、今はとりあえずなんか胃に入れるか……。(窓の外を見て)……うわ、冠水してんじゃん。2階、大丈夫か……?

(間)

夏生:……。……あいつ、本当に色々大丈夫かな……。

(夏生、モニターが切り替わっていることに気がつく)

夏生:……! 終わった!

(間)

夏生:(結果を見て)……っ。……いや、マジか……。嘘だろ……。(間を置き)……ははっ……。あはははっ! ……はぁ……。……さて、どうすっかねえ……。

(間)

(玄関ドアを激しく叩く音)

蛍:夏生くん!(必死な声で叫ぶ)

夏生:――! 蛍!

(間)

夏生:ほら、入れ。早く!

(ドアが風で強く閉まる)

夏生:……。……鍵、あけてるって言ったろ。

蛍:(弱々しく)……へへ、忘れてた。2階が浸水し始めて慌てて飛び出したからかな。僕、本当にダメだね……。

夏生:……。とりあえずタオル。使えよ。雨すごかったろ。

蛍:……うん。ありがとう。

夏生:……着替えも持ってくる。俺のじゃデカいだろうけど、濡れたままよりはマシだろ。

蛍:……ごめんね、夏生くん。

夏生:別に謝ることじゃない。

(間)

夏生:(クローゼットを探り)まあ、このへんでいいか……。ほら、適当に選んだから。下は紐入ってるからゆるかったら結んどけ。

蛍:うん……。……はは、夏生くんの匂いだ……。

夏生:……気色悪いこと言ってないでさっさと着替えろ。

蛍:(微笑し)はあい。

(蛍、着替え。夏生は背を向けてパソコンを見ている)

蛍:着替えたよ。

夏生:ん。……やっぱデカかったな。

蛍:大丈夫だよ。部屋着気分でゆったり着れる。

夏生:……好きなとこ座っとけ。なんか飲むか。

蛍:……ううん、大丈夫。(膝を抱え)……はは、乾いた服ってだけであったかいや……。なんか眠くなってきちゃった……。

夏生:……。

(夏生、デスク上のチョコレートの箱から小袋をひとつとる)

夏生:(うつむいている蛍をつつき)……口、開けろ。

蛍:ん? ……むぐ……ん! チョコだ。

夏生:ハイカカオだから、お前の口に合うかはわかんないけど。

蛍:……ううん、おいしいよ。……少し苦くて、甘くて、夏生くんって感じの味がする。

夏生:……さっきからなんだよ、それ。

蛍:……えへへ。

(長い沈黙)

夏生:……蛍。何があった。

蛍:(夏生を見上げた後、うつむき)……殺しちゃった。

夏生:……そう。

蛍:……朝、少し電気が不安定だったでしょう。その時、あの子、パニックみたくなっちゃって。避難所いくって言いだすから、道も川みたいになってるしかえって危ないって止めたら、じゃあ一緒に死ぬって、キッチンから包丁出して。

夏生:うん。

蛍:もみ合いになってるうちに、気づいたら、あの子、動かなくなってた。どっかにぶつけちゃったかな。目あいたまま息してなくて。気づいた瞬間、僕、腰が抜けちゃって。座り込んだまま動けなくなった。頭真っ白で。

夏生:うん。

蛍:脚が急に冷たい感覚がきて、我に返ったの。そしたら、部屋の照明が消えてて、暗くて、――僕は停電したのにも気づかなかったんだね。その時にはもう水が部屋まで入ってきてて。それで急いで外に出て、階段上って、いつの間にか夏生くんちのドアの前にいた。

夏生:……そうか。

蛍:どうしよう、僕、人を殺しちゃった……。

夏生:正当防衛だ。

蛍:……過剰防衛かもしれない。

夏生:んなわけあるか、あほ。こんなん教科書通りの正当防衛だろ。

蛍:……ありがとう。

夏生:ただの事実。

蛍:……。(力なく笑い)……このまま全部水に浸かって、全部、めちゃくちゃになればいいのにな……。そしたら、なかったことに……ならないかな……。

夏生:虫がうじゃうじゃ湧くんだろ。しかも水にひたってんだ、死体なんかすぐ分解されて、泥の中に消えるよ。……それに――(言いよどんで、黙り込む)

蛍:……ん?

夏生:なんでもない。――とりあえずお前は飯食って寝とけ。ひどい隈してる。ここんところくに寝れてないんだろ。

蛍:……はは、夏生くんには全部ばれちゃうなあ……。

夏生:お前がわかりやすすぎんの。……缶詰、レトルト、色々あるけど、何がいい? 

蛍:カレー、ある?

夏生:二種類ある。普通のと、母親から送られてきたオーガニックなやつと。

蛍:ふふふっ。じゃあ、普通の。

夏生:了解。

蛍:……ありがとね、わざわざ。

夏生:別に。昼飯は俺もこれからだったし。カレーはガスが生きてるうちに食いたかったし。ちょうどいい。

蛍:そっか。――あ、換気扇は危ないからつけないほうがいいよ。

夏生:大丈夫、もう密閉してあるよ。……誰かさんのおかげで。

蛍:……ははっ、虫対策? 言われてみれば確かに完全防備だね。窓枠までしっかりテープ貼っちゃって。ひょっとして、その日のうちにしっかり調べて、すぐ準備した?

夏生:あんなん言われたら誰だってホームセンター駆け込むわ。排水管周りまで完璧だ。

蛍:あははっ。

夏生:笑っとけ。虫地獄になるよかマシ。

蛍:いやでも、真剣な顔で、床に這いつくばってパテ塗ってる夏生くん想像するとさ……ふふっ、面白すぎ。

夏生:……。(渋い顔)

蛍:ほんとに虫ダメだよねえ、野外実習の時もすごい神経質に気にしてたし。

夏生:……なるほど、お前はカレーがいらないようだ。

蛍:ごめんって。食べたいです。(溜めて)……レトルトカレーはゲル化してなさそうだし。

夏生:(小さく噴き出す)

蛍:どう? 夏生くん的には、そのカレー懸濁液、流体?

夏生:(笑いをこらえつつ)おい、よそってる途中に笑かすな。

蛍:くくくっ。

夏生:(呆れたような溜息)……まあ、この感じは流体ぽいな。観測日誌につけるか。

蛍:(爆笑)……ひぃ、夏生くんてなんでそんなマジトーンでボケんの。

夏生:ほーら! できたぞ。運ぶの手伝え。

蛍:(笑いを引きずりつつ)はあい。



〇9月17日

ラジオ:全日本防災ラジオより、9月17日10時現在の災害情報をお伝えします。台風12号は中心気圧850ヘクトパスカル、最大瞬間風速75メートルで東海沖を北上。全国的に暴風雨となり、太平洋側では各種ライフラインや通信の断絶が広がっています。各地の避難所では収容人数が限界に近づいているところも多く見られます。密集により感染症流行の懸念があるため、できる限り清潔を保ち、マスクを着用するなどの感染対策を行ってください。また、国際観測網が、明日18日の明け方から昼にかけて、高エネルギー放射到達の可能性を発表しました。国や自治体は大規模な停電や通信障害への備えを呼びかけています。


夏生:(小声で)……あーあ、やっぱりそう来ましたか。……こりゃだめだな。(半笑い)

蛍:(目を覚まし、あくび)……夏生くん、おはよお。

夏生:おはよう。よく寝てたな。

蛍:(眠そうに)んー……。ごめんね、ベッド使わしてもらって。

夏生:別にいいよ。寝袋あるし。

蛍:んー……。ならよかったあ……。

夏生:あ、断水してるから、トイレはバスタブの水使えよ。

蛍:ん、ありがとお……。(あくび)

夏生:(蛍を見送り、ノートPCを起動)……パソコンのバッテリーあと5パーか。停電、Wi-Fiも死んでる、スマホも圏外。よって再解析は無理。……そして、何度見ても出た結果は同じ。(溜息)

(間)

蛍:(大きく背伸び)……ねえ、僕、何時間くらい寝た?

夏生:……ん? ああ、12時間は寝てたんじゃないか。さっき10時になったとこだし。

蛍:わ、久しぶりにそんなに寝たなあ。……外、すごいね。窓に消防車で放水されてるみたい。

夏生:気圧、850だってよ。

蛍:嘘でしょ!? 史上最強じゃん。やばあ……。

夏生:いっそ笑えてくるよな。

蛍:一周回って笑えないよ。……被災者、多いんだろうな。まだまだ長引きそうだし……。復興まで考えると、何年かかるかな……。

夏生:……そうだな。

蛍:……。……夏生くん、ずいぶん険しい顔をしてるね。

夏生:そうか?

蛍:うん……。なんか最近へんだなって思ってたし。

夏生:……。

蛍:さっきだって、僕が来たら急いでパソコン閉じるし。……どうしたの?

夏生:……。

蛍:……僕には言えないこと?

夏生:……いや。いつかは言わなきゃいけない。絶対に。――聞く覚悟は?

蛍:(迷いつつ)……ある。

夏生:わかった。(深呼吸)……結論から言うと、もうすぐ地球は終わる。

蛍:え……?

夏生:最初のニュースを聞いた時から、少し引っかかってたんだ。だから例の宇宙放射をずっと追ってた。公開データの波形分析をしたら、小マゼラン雲の外れから微弱なガンマ線信号があった。普通ならただのノイズだけど、妙に波形が鋭い。そしたら国立天文台から異常なガンマ線の複数検出の発表。胸騒ぎがして帰ったあと解析したら座標の一つが一致。台風でネット回線が死ぬまでに、間に合うだけ色んな天文機関のデータを落として、ネットが死んでからはオフラインで座標とスペクトルと光度変化を解析して、――結果、中性子星の連星の衝突直前モデルと完全一致。キロノヴァが起こる。

蛍:(息を飲み)……。……じゃあ、ガンマ線バーストも?

夏生:ああ。その上さっきのニュースで、明日に高エネルギー放射到達の可能性ときた。明日の午前中に停電と通信障害に備えろと国や自治体に呼びかけ。つまり地磁気の大きな乱れは確定事項。……計算上、遅くても明後日までに地球に本バーストが直撃する。逃げ場はない。

蛍:嘘でしょ……。

夏生:……俺も嘘であってほしかったよ。だけど、何度情報を整理し直しても、同じ結論に結び付く。数字は嘘をつかない。

蛍:……うん。

夏生:……宇宙最強クラスのエネルギーと透過力の放射線でDNAは即破壊、その上オゾン層も吹っ飛んで紫外線量も爆増。数日足らずで地球上の全ての生命が根絶する。――もちろん俺たちも。

(沈黙)

夏生:……さて、公式はいつまで濁すかな。

蛍:……。ははっ、そっかあ……。全生命が一瞬で絶滅かあ。……いっそめちゃくちゃになればいいって思ってたけど、本当に、しかもこんなスケールで起こるとは思わなかったな。……ふふ、七周半くらい回って笑えてくるね。笑うしかないよ、こんなの……。

夏生:オルドビス紀末の大絶滅の再来だな。……いや、それ以上か。

蛍:だから、それは推論でしかないんだってば。

夏生:(小さく笑う)

(沈黙)

蛍:……あーあ。……そっか、僕たち、死ぬのか。明日が最後の日なんだ。……ガンマ線なんてコンクリートじゃ太刀打ちできないし。参ったね。

夏生:……その割には穏やかな顔してるな。

蛍:だって、ちょっと安心しちゃったから。僕の罪も全部消えてくれるんだ。人類ごと。

夏生:……そうだな。

蛍:……ああ、台風なのだけが残念だな。それだけの磁気嵐が起こるんだったら、日本の昼間でオーロラとかいう、普通ならありえない絶景が見れたのに。

夏生:まあ、普通じゃないしな。良くも悪くも。

蛍:くそう。なんかの間違いで晴れてくれないかなあ……。

夏生:奇跡が起こることを祈るしかない。

蛍:そうだねえ。……でも、最後の日が夏生くんと一緒で、よかったな。

夏生:……そうかい。

蛍:うん。……最後の晩餐が非常食なのは、ちょっと味気ないけどね。

夏生:ははっ、それはそうだ。



〇9月18日

ラジオ:全国防災ラジオより、9月18日10時の災害状況をお伝えします。台風12号は中心気圧860ヘクトパスカル、関東は一部が台風の目に入り、一時的に風雨が収まっています。再び強風域に入るのは夕方以降となるでしょう。また、本日9時、国際天文連語が「今日の日本時間20時から24時の範囲で地球にガンマ線バーストが到達する可能性が高い」と発表。すでに世界各地で磁気圏の乱れによるオーロラが観測されている他、一部の電波も断絶しています。直前にはさらに電波障害が拡大する見込みで、到達時には放射線被ばくの恐れもあるとのことです。首相は緊急事態宣言を発令、台風被害の比較的少ない地域では、自衛隊により、遮蔽性の高いコンクリート建造物への避難誘導が行われています。


夏生:蛍! ほたる!(揺り起こしながら)

蛍:……んぅ……。

夏生:起きろ! 晴れてる!

蛍:……んえ? (跳ね起き)え、マジ!?

夏生:外見ろ、ほら!

蛍:(窓から空を見上げ)……わあっ……! すごい、すごい! オーロラ見えてる!

夏生:……台風の目だってよ。まだ中心気圧800台。夜までもつかもな。

蛍:うわっ、動いた! 揺れてる! この緯度で本当に見れるんだ! こんな色、初めて生で見た! ていうか、地磁気あばれ過ぎでしょ! やば! (少し落ち着き)……わあ……奇跡、起っちゃったなあ……。(見とれながら)

夏生:本当に。どれだけの偶然が重なってるんだか。……紫まで出てるとか、励起れいき状態えげつないな、これ。

蛍:すっご……きれい……。ほんとに虹色だ……。オパールみたい。

夏生:(小さく笑い)こんな時まで鉱物につなげる。

蛍:えへ、つい。……ああ、これ、夜はもっと鮮やかだろうな……。

夏生:スペクトルデータを取れないのが惜しいな。

蛍:もー、そっちだってすぐそういうこと言う。

夏生:……ほら、上の端、酸素じゃなくて窒素由来の発光だ。赤がかすかに混じってる。

蛍:わっ、あれ窒素!? すごいなあ……。……泣いちゃいそうなくらいの絶景だ。ずっと見てられそう……。

夏生:……肉眼での情報量も悪くないな。

蛍:(夏生を見上げたあと、微笑)……でしょ。

(空に釘付けのまま無言)

夏生:……きれいだな。本当に。

蛍:うん……。こんなの見れるなんて思えなかった。これだけで今までの人生のマイナス全部がチャラだなあ……。

(間)

蛍:……ねえ。嫌だったらさ、地磁気の乱れのせいで僕までおかしくなったって、思って欲しいんだけどさ。

夏生:ん?

蛍:昨日から、僕、ずっと考えてたんだ。……どうせ死ぬんなら、きれいなもの見ながら、あったかい気持ちで終わりたいなって。……夏生くんと、一緒に。

夏生:……そう。

蛍:うん……。

夏生:……あったかい気持ちかどうかはわからないけど。物理的にあったかくなれるものならあるぞ。

蛍:……え?

夏生:シンク下にパンドラの匣を入れっぱなしだ。「宇宙放射浄化活性炭」入りの。……実際はただの炭だけどな。

蛍:……あはっ、確かにあったかくなれるね、それは。

夏生:だろ? スピリチュアルな母親もたまには役に立つな。

蛍:(静かに笑う)


(昼食後)

蛍:(手を合わせ)……ごちそうさまでした。

夏生:……ふぅ。人生最後の飯は冷えた缶詰か。

蛍:いいじゃん、開き直って、ちょっと贅沢なやつも好きなだけ空けたし。おいしかったし、おなかいっぱい。……幸せだねえ。

夏生:人類最後の日とは思えないセリフだな。

蛍:だってほんとだもーん。

夏生:それは何より。……ゴミ、まとめて玄関に持ってくか。

蛍:ん、そうしよ。……わ、ありがと。

夏生:別にいいよ。……あ、ついでに玄関まわり密閉しとくか。――蛍、そこに転がってるテープ、こっちに投げて。

蛍:んー、……これかな? ほいっ。

夏生:よっと。

蛍:ナイスキャッチ!

夏生:じゃ、塞いでくる。

蛍:いってらっしゃーい。

(間)

夏生:ただいま。

蛍:あ、おかえり。思ったより早かったね。

夏生:ドアに沿ってテープ貼るだけだからな。すぐ終わる。

蛍:……ありがとう。

夏生:どういたしまして。

(間)

蛍:ねえ、夏生くん。終末、何する?

夏生:シュウマツの字が違う気がするな、それ。

蛍:合ってるじゃん。

夏生:いや合ってるけど。……俺はなんでもいいよ。蛍は何したい?

蛍:そうだなー、……ベッドちょっと動かして窓際の特等席作って、オーロラ見ながら、思い出話いっぱいしたいな。どう?

夏生:はは、それ、時間足りるといいな。

蛍:……ふふっ、そうかも。――でもほら、走馬灯なんて見れる保証ないじゃん。

夏生:まあ、そうだな。

蛍:あ、そうだ! 夏生くん、僕の宝箱どこに置いてある?

夏生:ん? 台所。シンク下。

蛍:げ、パンドラの匣と一緒なのお……。ちょっと待ってて、いいもの取ってくる!

夏生:? おう。

蛍:夏生くんはその間に、ベッド動かしといてー!

夏生:えー。(蛍が去り)……ったく、人使いの荒いヤツめ……。

(間)

夏生:(ベッドを少し持ち上げ、1メートルほどずらす)……っと。ふぅ、こんなもんか? 座布団も置くか。……ついでに確認しとこ。(床に座り、ベッドにもたれ)お、いい感じ。

蛍:お、ま、た、せ。……わー! 特等席できてる!

夏生:重かったんだから感謝しろよー。

蛍:この度は誠にありがとうございますっ! 感謝のほど深く御礼申し上げます! この通り!

夏生:よろしい。……で、何の石持ってきたわけ。

蛍:ぶっぶー。石じゃないでーす。

夏生:……?

蛍:じゃーん!

夏生:……アルバム?

蛍:そう! 僕お手製のオーストラリア旅行記録!

夏生:わざわざ作ったのかよ。

蛍:いやあ、実はあのあと余韻ぬけなくてねー、夏生くんが送ってくれたのと僕の写真を全部現像して厳選、構成とレイアウトも考えて、説明を書いて、デコレーションまでしております!

夏生:凝ってんな。……ほんと、そういうの好きだよな。

蛍:えへへ。やっぱ、紙特有のマテリアル感ていいよね。なんだかんだ物理媒体が一番保存性あるし。

夏生:……石とか?

蛍:そう! まさにそうなんです! 地層、化石、鉱物、土壌、全部が地球46億年の歴史をぎゅぎゅーっと濃縮した情報の宝庫! つまり最高の保存メディア! よくわかってんじゃーん。

夏生:誰かさんと10年も一緒にいればな。門前の坊主がなんとやらってやつだ。

蛍:あらら? 夏生くんもついにこっちの――

夏生:まあ? 地球も宇宙の一部だしな。一番身近な惑星。地球の語る情報で宇宙のこともわかる。

蛍:……ちぇっ。

夏生:(鼻で笑う)……ほら、ここ座ったら。

蛍:あらあら、これはどうも。お邪魔しまーす。(歌いながら)ふーるい、あーるばーむ、めーくりー。ふふん。

夏生:ふるっ。

蛍:宇宙スケールなら誤差ですぅ。……どう? この位置で見える?

夏生:見える。……お、表紙の写真、南十字星と大マゼラン雲か。センスいいじゃん。

蛍:でしょ? 夏生くんがすっごくきれいに撮ってくれたからさ。

夏生:(得意げに)天文学専攻なめんな。

蛍:はいはい、さすがさすが。

夏生:……タイトルはどうかと思うけどな。なんだよ、「南半球の空と石、そして夏生くん(被写体嫌い)」って。

蛍:え、よくない?

夏生:よくない。

蛍:まあまあ。早く中身みよーよ。まずこれが目次ね。

夏生:……。……ほんとに凝ってんな。――食べ歩きの日は飛ばそうぜ。腹減りそう。

蛍:だねー。じゃ次、1日目と2日目。

夏生:空港ついた後と、宿と、海……「空と石」はどこいったんだよ。

蛍:いいじゃん、レジャーも楽しかったし。大事な思い出。

夏生:あとお前、マジで隠し撮りしすぎ。

蛍:ふふっ。……いや、この船酔いでぐったりしてる夏生くん、いいよね。レアな顔。

夏生:人が余裕ないのをいいことにお前……。

蛍:ふへへ。ほら、次が見どころだよ。3日目と4日目は、採掘体験と天体観測キャンプだから!

夏生:おお……。やっぱ力入ってんな。……うわ、また隠し撮りあるし。

蛍:だってこれもレアだったんだもーん。ハンドピック持ってまごついてる夏生くん。ザ・素人、って感じで初々しい。

夏生:実際そうだし仕方ないだろ……。――あ、この写真すごいな。

蛍:でしょ! きれいな八面体結晶! これは気合入れて色んなアングルで撮ったからね。その中で一番いいのを選んだ。

夏生:なるほど。どうりで。

蛍:キャンプのページもいいでしょー、満点の星空と焚火、そして星を指さして熱弁が止まらない夏生くん。

夏生:お前だって採掘場で大はしゃぎだったろ。お互い様。

蛍:まあね。――あ、なんとこのシーン、動画もあるよ!

夏生:え……?

蛍:どこかなどこかなー。ふふん。あ、あった。ほら。

夏生:いや、わざわざ再生しなくても――


(動画開始)※半年前、4年次進級直前の3月

蛍:はい、ただいま夏生さんが熱く語っております。

夏生:こら、俺じゃなくて夜空ちゃんと見ろって。せっかくの南半球だぞ! ほら、南十字星があんなにくっきり! 日本からだと地平線ギリギリで滲むけど、ここは高く上るから形がきれいに見える。で、この南延長線上にケンタウルス座アルファ星とベータ星があって――

蛍:ふふっ、興奮で顔やばいよ。

夏生:うるせえ! 今大事なとこなんだよ! アルファ・ケンタウリは太陽系外でたった4光年ちょいの隣人恒星系だぞ!? ほら、プロキシマ・ケンタウリ! わかるだろ!? 太陽に一番近い恒星! 赤色矮せきしょくわいせい! 太陽の10分の1の質量だぞ、すごくないか!?

蛍:うんうん、すごいねえ。

夏生:だろ!? ほら、あとあれ――

(動画終了)


夏生:……。

蛍:(笑いをこらえつつ)……くくっ、やっぱ面白いわこれ。

夏生:うるせえな、南半球での初めての天体観測で沸き立たない方がおかしいだろ。

蛍:いやいやいや。

夏生:天文ファンなら当然。「星きれい! すごい!」で終わるのは天文学生失格。

蛍:それはちょっと過激派すぎだぞー?

夏生:……余裕こいてられんのも今のうちだぞ。動画持ってんのが自分だけだと思うな。

蛍:え、嘘!?



(動画開始)

夏生:はい、蛍さん、ただいま採掘現場で発狂中。

蛍:ねえ、見てよこの層! 粒子がめっちゃ細かい! シルト質! ここ、昔は浅い海か湖だったんだよ! で、ここからオパールができるんだけど、シリカのコロイド溶液がね、地層の隙間にゆっくり沈殿して、規則正しい配列を作ると、光が干渉してあの虹色になるの! つまりこれは大自然が何十万年もかけて作った光の宝石箱なんだよ!

夏生:……キマってんなあ。

蛍:ほら、ここの端っこ、青緑っぽく光ってるでしょ? これが、プレイ・オブ・カラーってやつ!!

夏生:あーはいはい、すごいすごい。

蛍:もー、真剣に聞いてよお! ……はあぁ……ここの石、ぜんぶ持って帰れないかなあ……。

夏生:無理だろ。

蛍:だよねえ……。(うなだれ、溜息)

(動画終了)


蛍:……アルバムの続き見よ、続き。

夏生:あら、蛍さんどうしました?

蛍:うう……だって、動画から聞こえる自分の声が違和感ありすぎて……。映像で見ると動きもやばいし。ハイな自分見るのキツう……。ひーん……。

夏生:これでおあいこ。――次は?

蛍:ん……5日目がウルル、6日目は食べ歩きとお土産探し。

夏生:じゃあこの見開きは飛ばすか。……ウルル、暑かったな。

蛍:日差しが強いからね。あーあ、ここにもいい写真あったんだけどな。

夏生:代わりに動画でも見るか? 誰かさんが地層の前で飛び跳ねながら解説してるやつ。

蛍:げ、勘弁してよお……。やだから次のページ見まーす。――あ、これで最後だね。戦利品コーナーと、おまけで帰りの飛行機だ。

夏生:はは、すげー熱量。書き込みすごいな。この時いくつ鉱石買ったんだっけ?

蛍:んー……10個くらい。

夏生:やば。

蛍:これでも抑えたんだよ? 全部で1万円以内って決めて、がんばって厳選して……。

夏生:はいはい。午前中が鉱石店で潰れるくらいには悩んでたよな。……やっぱ蛍石が多いな。

蛍:好きだもん。たくさん色があって、光の波長で色が変わって……。僕の名前の由来も、確かこの石。

夏生:ああ、言ってたな。お父さんも地球科学出身だったっけ。詳しかったよな。

蛍:そう。仕事は農業研究系だし、専門は気象とか土壌だけど。地学系全般好きだね。

夏生:そうだったわ。小5くらいだっけ、夏休み、車でチバニアン地層まで連れてってもらったな。懐かしい。

蛍:ね。あれ、理科の教材に載ってたって話したら、お父さんから言い出したんだよ。よかったら夏生くんも誘って、実物見に行ってみるかって。

夏生:……そうだったのか。

蛍:うん。

夏生:……そっか、お前はずっと英才教育受けてたんだな。羨ましいよ。

蛍:(少し悲しげに笑い)……夏生くんはさ、どうして宇宙好きになったの?

夏生:……。宇宙は、生き物でもないのに、途方もなく長い間、ずっと動き続けてる。最初はそれが不思議だった。地球なんて眼中にないような理不尽さも、逆に好きだったな。……宇宙について考えてる時は、人間のことが忘れられるから、楽だったんだ。

蛍:……そっか。

夏生:……うちも最初は普通の家だったんだ。けど、小4になる前の春休み、姉貴がインフルエンザにかかってさ。高校に入る直前。運悪くこじらせて、脳症かかって、後遺症が残った。下半身は完全に動かせなくなって、その上言葉も喋れなくなった。「うー」とか「あー」とかしか言えない。それまでは明るくて賢いねーちゃんだったんだけどな。入るはずだった高校も県で一番のとこでさ。……当時は俺もショックだったよ。

蛍:……それは、つらいね。

夏生:まあな。……でも、母親が一番つらそうだった。藁にもすがる気持ちで民間療法に手を出して、それからどんどんよくない沼にはまってって。こういうのは転がり始めるとあっという間だ。

蛍:……悲しいね。きっとそれだけが、心の支えだったんだ。

夏生:そうだろうな。……けど、そのせいで悪い噂はあっという間に広まった。近所の人にまで押し売りまがいのことしてたから、当然だよな。俺も腫れもの扱いで、学校でも、気づいたら誰も寄り付かなくなってた。

蛍:そうだったんだ……。

夏生:まあ、今思えば、俺が親でも「あの子には関わるな」って止めるよ。だって、ランドセルにいかにも怪しげなパワーストーンのキーホルダーついてるんだぜ。俺だって好きでつけてなかったけど、そんなの周囲にとっては知ったこっちゃない。危険物から自分の子どもと自分を守る。人間として当然の反応だ。

蛍:夏生くん……。

夏生:だからさ――小5のはじめにお前が転校してきて、俺のキーホルダー見て話しかけてきたとき、びっくりしたし……帰って部屋でめちゃくちゃ泣いた。

蛍:あははっ、泣いたの。

夏生:感動したんだよ。あれを怪しげなパワーストンじゃなくて、ただの石として見てくれた。俺をただの同級生として見てくれた。……それがすごく嬉しかった。

蛍:だって……ウッドオパールだよ? 初めて見たら話しかけたくもなるって。

夏生:はは、変わんないな。

蛍:だって僕はずっと僕だもの。……それに、あの時はたぶん、僕も必死だったよ。何度転校しても最初は緊張するし、仲良くなった頃に離れちゃうと思うと、友達作ってもなって気持ちもあって。だからあれは、僕にとってもいいきっかけだったの。2年も同じところにいたのは初めてだったしさ。本当よかったよ。

夏生:そう。……やっぱ転勤族は大変なんだな。

蛍:まあね。でも、おかげで日本の色んな場所を見れた。海岸とか山の中とかで、お父さんが難しい言葉で楽しそうにしゃべってるのを聞くの、好きだったんだ。お母さんはいつも僕たちを遠くからにこにこ見ててさ。今思えば、確かにすごく恵まれてたね。

夏生:ははっ、いいなあそれ。幸せな光景すぎる。

蛍:――あ、そうだ、僕も夏生くんに泣かされたことあるよ。

夏生:ええ? いつ?

蛍:高校入学前。さすがにもう転々とするわけにもいかないし、お父さんの実家に戻ったの。お祖母ちゃんを頼って、そこでふたりで生活することになった。

夏生:……あのサバサバしたばーちゃん?

蛍:うん。その時、僕、色んな不安で頭がいっぱいで。だけど、入学資料見たら、同じ理数科クラスに見たことある名前があった。……「黒鉄くろがね夏生」って。

夏生:……。

蛍:どんなに仲良くなっても、お別れしたらもうそれきりだって思ってたから。僕にとっては奇跡だったよ。……ぼろぼろ泣いて、お祖母ちゃん心配させちゃった。見たことないくらいおろおろしてた。

夏生:あのばーちゃん、そんな風になるのか。

蛍:なるよ。言い方はちょっと強いけど、まっすぐなだけで、優しいんだから。

夏生:……知ってるよ。お前が来る前から、時々声かけてくれてたもん。……小学校じゃ「オニババ」とか言われて有名だったし、最初はすげー怖かったけど。でも、無理やり飴持たされて「踏ん張んなさい」って、大概それだけなのが、遠回しな言葉で気の毒そうに気遣われるより、ずっと、あったかかった。

蛍:……そうだったんだ。それ、大学受験の時、僕もいっぱい言われたなあ。「踏ん張んなさい」とか「今が踏ん張り時だよ」とか、……きっと、昔、背中を押された言葉だったんだね。

夏生:かもな。

(間)

夏生:……日が傾いて来たな。

蛍:ほんとだ。……夕暮れのオーロラも、すごく幻想的だね。きれい……。

夏生:……だな。……日が落ちきる前に、準備しよう。

蛍:……そうだね。

夏生:蛍はシンク下から段ボール持ってきて、中身出して。炭だけじゃなく箱も使うから。

蛍:例のパンドラの匣だね? 了解。

夏生:俺は七輪と着火に必要なもの引っ張り出してくる。

蛍:あ、2年生の時に富良野のキャンプ場で使ったやつ?

夏生:そう。進学の時、どさくさに紛れて実家からくすねてきたやつ。

蛍:ははっ、そうだったんだ。大丈夫だったの?

夏生:埃かぶってたし、今まで何も言われてないから、大丈夫だろ。

蛍:ならよかったよ。じゃ、取ってくるね。

夏生:ん、よろしく。

(間)

夏生:――父さんも昔は、アウトドアとかよく行ってたな……。

(間)

蛍:(大笑い)何これ! 外までめっちゃ禍々しいじゃん! やば! なんか色々びっしり書いてあるんだけど!

夏生:あいつうるさ。

蛍:えーとこれは、コズミック・ウェーブ・シェルド? ……あ、もしかしてこれ、シールドって書きたかったやつ? 宇宙線防護ってこと? (再度大笑い) ひー、すごい色々間違ってるー! (笑い止まらず)

夏生:……ほたるー! うるさい!

蛍:だってえ……ひひっ……。やば、スペルミスがじわじわくる……ふふっ……。(笑いすぎてむせる)

夏生:まったく……。

(間)

蛍:……んしょ。なんか思ったより重いね。

夏生:おつかれ。でかいのもあるからな。……水が入ってた時はもっとひどかった。

蛍:あ、波動水? ……そういえば僕たち、あれ飲んだのかな?

夏生:さあ。ラベル剥がして他の似たようなやつと一緒だったから。シュレディンガーの波動水だな。

蛍:(噴き出し)飲んだ僕たちと飲んでない僕たちが同時に存在してるの?

夏生:分子組成は一緒だし変わらなそうだけど。多元宇宙論的にはそこで分岐した二つの宇宙もあるかも。

蛍:こんなことでパラレルワールドってなんかやだな。

夏生:こら、その言い方はSF。多元宇宙と言いなさい。

蛍:はーい、先生。

夏生:ほら、さっさと炭出す。

蛍:はいはい。……あ、この袋だね。はい。

夏生:さんきゅ。火つけてるから、段ボール空にしといて。

蛍:はーい。(ぶつぶつと)……天然水晶、って書いてあるけど、ガラスじゃんこれ。あ、例の日焼け止め。あれぜったい案件なのにマジで買う人いるんだな。……あとなんか変なサプリ。で、最後に、でかい岩塩ごろごろの袋……。よいしょっと。おもー! (岩塩を眺め)……んー、ピンクだしヒマラヤ産かな。……あ。(顔を上げ)ねー、夏生くん。

夏生:(準備中、視線は動かさず)ん?

蛍:この岩塩のうたい文句、僕、わかるかも。

夏生:おー。どうぞ。

蛍:ピンクで透明度が高め、層状模様の特徴的にも、これはヒマラヤ高地の岩塩だ。となると……「高地の清浄な空気と大地のエネルギーを溜め込んで、有害物質から保護する強い力を持つ」……とか?

夏生:当たり。すげーなお前。

蛍:わあ、当たるもんだね。こういうのはね、事実を織り交ぜつつ大胆に嘘をつくのがいいって聞いたことあったから。

夏生:母親から聞いたまんまだったわ。蛍が善良な人間でよかったよ。……お、火、安定してきたっぽいな。箱くれ。

蛍:はい。

夏生:さんきゅ。んで、ここをこう折って、被せて……。……準備完了。

蛍:おー……。

夏生:あとは少し待てば、一酸化炭素が充満っと。(蛍の顔色を見て)……怖いか?

蛍:……ううん。

夏生:やせ我慢。顔に出てる。

蛍:えへへ……。ばれちゃった。

夏生:……。

蛍:やっぱり、いざってなるとちょっと怖いね。

夏生:……。……先、座って待っとけ。

蛍:ん? うん。(特等席に移動)

夏生:(デスクへと向かい)……ここはやっぱ、これかな(小声)。蛍!

蛍:んえ?

夏生:うまいことキャッチしろよ、ほら。(下投げ)

蛍:え待って! わっ! ……ん? ちょっとお! 蛍石じゃん! モース硬度4なんだよ! 割れたらどうすんの!

夏生:だからうまいことキャッチしろって言った。

蛍:そもそも投げないでよ! 繊細な鉱物なんだからさ!

夏生:はいはい、それは悪うございました。

蛍:もー。

(間)

蛍:……これ、オーストラリアで夏生くんにおすそわけしたやつだ。……とっといてくれたんだね。

夏生:捨てないだろ普通。……きれいで、デスクに置いとくと落ち着く色味だったし。目を休めたい時とかにたまに見てた。

蛍:天然石の神聖なパワーを感じて癒されてた?

夏生:ばーか、色彩効果。青緑はスペクトル的にちょうど中間の波長で、目への負担が少ない。

蛍:情緒のない言い方。

夏生:物理的事実。

蛍:……それ好きだねえ。

(間)

夏生:(蛍の横に座り)……よっと。……あー、やっぱいい眺めだわ。角度がいい。我ながらいいセッティング。……いつの間にか空、だいぶ暗くなったな。

蛍:ね。オーロラがすごいくっきり見える。小さなゆらめきまで全部。……仕組みはわかってるはずなのに、何度見ても不思議な気分になる……。へんなの……。

夏生:わかるよ。なんでだろうな。これが終末の光景とか、心の底ではどこかしっくりこないよな。あまりにもきれいすぎて。

蛍:うん……。――あ、そうだ、夏生くん、ここに手のせて。

夏生:ん? こう?

蛍:うん。そのまま、僕の手握っててね。(溜めて)――バルス!

夏生:(噴き出し)今さら滅びの呪文かよ。

蛍:いやー、人生で一度はやってみたくない? これ飛行石っぽい色だし。今しかないって思っちゃった。

夏生:よかったな、最後の最後に叶って。

蛍:ほんとだねえ……。ほんのり石が冷たくて、気持ちいや。夏生くんの手は大きくて、少しあったかい。

夏生:そうかい。

(間)

蛍:この石さ、夏生くんぽいなって思ったの。色の感じが、静かな海みたいだなって。

夏生:……そう。だからくれたわけ?

蛍:うん。手放すの、惜しかったけどね。鉱石って一点ものだしさ。……だから、こうして二人で持ってられるの、なんか嬉しい。

夏生:文字通りだな。

蛍:物理的事実ってやつだよ。夏生くんの好きなやつ。

夏生:そうですか。

(間)

蛍:……夏生くん、『有心論』って歌、わかる?

夏生:名前だけ。ラッドだっけ?

蛍:うん。その歌にね、「誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう」って歌詞があって。

夏生:ああ、聞いたことあるかも。有名だよな。

蛍:うん。……でもさ、地球はでこぼこだらけで完全な球じゃない。だから僕は、むしろ、地球はどこにいても端っこだと思うんだ。

夏生:……なるほど?

蛍:……小さいときから引っ越しばかりで、いつも寂しくて。夏生くんといる時間は忘れられてても、それは絶対に消えてくれなくて、僕はひとりぼっちだって感覚が、心の奥の方に、ずーっと、ずーっとあったの。恋人と呼ばれる関係の人といても僕の心はずっとひとりで、つらさは減るどころかどんどん増えて、最後には、手をかけて……。

夏生:……言っただろ。あれは正当防衛。

蛍:ひとりの人間の命を奪ったことは事実だよ。

夏生:どのみちタッチの差で死んでたよ。浸水と放射線と地球環境の大変動で、すぐに跡形もなくなる。

蛍:うん。……でも、そうなるのは僕だったかもしれなかったんだよね。もしかしたら、そういう宇宙もあるのかな。

夏生:……。さあ、観測不可能だから知りようがないな。

蛍:だよね。……だけど、あの時あの子を殺していなかったら、僕はここに来れなかった。夏生くんと一緒にオーロラも見れなかった。

夏生:……。

蛍:この宇宙では希望がないことが唯一の希望だったなんて、皮肉だね。

夏生:蛍……。

蛍:(曖昧に微笑し)……部屋、あったかくなってきたね。

夏生:……そうだな。

蛍:僕、幸せだったよ。夏生くんと出会えた宇宙で、最後にこうやって一緒にいられて、こんな天体ショーが拝めるなんて、奇跡そのものだ。

夏生:天体ショーねえ。(笑いつつ)確かに、最後の眺めとしては最高だな。それこそ天文学的確率だ。

蛍:ははっ、ほんとだね。

夏生:……天文学的確率で形成された銀河系の、その端の惑星で、天文学的確率で生まれた生命が、天文学的確率で滅びる。これも皮肉だな。

蛍:でも、すごくきれいだよ。こんなに。

夏生:……ああ。間違いない。

(間)

蛍:あぁ……ふわふわしてきた。……またふたりで旅行いきたかったな。

夏生:……なあ、行けるとしたらどこがいい?

蛍:んー、まずアイスランドでしょ。正常な範囲でのオーロラを見たいよね。

夏生:ははっ、間違いない。

蛍:(眠たげに)あ、……でも、こんなすごいのは無理か。

夏生:いいんだよ、別宇宙の俺たちはこんなの知らないんだから。

蛍:ふふ、そうだね……。……あと、チリのアタカマ砂漠……。

夏生:最高だな。空も地面も宝の山。

蛍:(力なく笑い)あ、あとね……やっぱり、夏生くんとだったら、……(意識を失う)

夏生:(眠たげに)……ハワイか? 行きたかったなあ……。

(間)

夏生:(一瞬意識がとび、戻る)ん、……蛍?

(間)

夏生:……ああ。(微笑し)おやすみ。……また、別の宇宙でも、……――。(意識を失う)



ラジオ:(差し迫った口調で)こちらは緊急放送です。国際天文連合は、2時間以内に地球がガンマ線バースト直撃を受ける可能性が「ほぼ確実」と発表しました。到達前後には通信断絶と放射線被曝が予想されます。ただちに屋内に避難し、コンクリートなどの遮蔽物に隠れるか、窓から離れた場所で安全を確保してください。繰り返しま――

(途切れる)


(静寂)


(こと、と蛍石が落ちる音)

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