「花火みたいな今日を、月とかに」

にのまえ(旧:八木沼アイ)

「花火みたいな今日を、月とかに」

 花火みたいな今日を、月とかに告げ口したい。

 缶ビールを片手に、右の傍目で行われている、弾け出した光彩を眺めていた。目の前には川があり、左隣には女が座っていた。文豪の心中前は、このような感覚なのだろうか。



 午後の二時に、一件のメールが私の目に留まった。それは同じサークルの先輩からだった。「ねぇ暇? 夜から何人かと○○するんだけど行かない?」

 その内容がなんだったか思い出せそうにない。それは別にいい。どっちかといえば、嬉しさとめんどくささに駆られていた。夏の暑さに自室で蒸されながら、無駄に時間を消費しているところなのだから行けばいいものを、私はこの誘いに乗るのを渋っていた。だが、あらぬ妄想を企てながら軽くシャワーを浴び、支度をはじめ、玄関で意気揚々と親に「帰りは遅くなる」と言ったのは、かくもその先輩の誘いが嬉しかった、が勝ったからに他ならない。ペダルは私が踏んだ分だけ伝わる。今日はいつにも増して風が強く感じた。

 八月の夜。夜といってもまだ日が上がっている、約束の十八時。夏の風物詩であるそれをしようと、我々は駅前に集まった。

 既に三人の先輩方がいた。一人は、川にもういて、一人は遅れてくると言っていた気がする。気がするというのは、ただ楽しみでしょうがなかった。道中のコンビニで買った飲み物がというより、それを先輩と交わすのが。先輩のおごりに、気持ちよく感謝を言うと微笑み返してくれた。後輩なのだからこれぐらいはしなくてはいけない。

 先輩の誘導を頼りに、目的の川に着いた。人は少なく、犬の散歩をしているご老人や、遠くでクラブにいるような騒ぎ方をしている連中がいた。私たちはそれらとできるだけ距離を取った位置に向かって、そこで待つことにした。待ち時間はゲームをしたり、ただただうざったい蚊柱を手で追い払ったり、対岸までを阻むように佇む川を眺めたりして時間をつぶして、待っていた。私はその時間も楽しかった。



 先輩に手招きされ、川の前に座ると不思議と笑いが止まらなかった。ほんとうに、死ぬ前の予感がして。ただ、そこに残酷さや悲壮感はなく、可笑しさとそこに座る者にだけがわかる共感があった。このまま死んだら似合いすぎるな、と思った。それに浸りながら喉を潤し、上を見上げると、先ほど飛んでいた無数の蚊柱は暗さで見えなくなってしまっていた。目の前の川が現実の光を歪ませて、また反射した現実を揺らいでいる。異世界への扉のようなもので、きっとそこには我々と似た世界があり、同じように暮らす生き物がいるのではないかと思わせられた。先ほどの日が上がっていた頃の川には見えない、日が沈んでからその魅力に気づかされた。飛び込んでしまいたい、腰が上がらないのは、理性がまだ生きているからだった。

 隣で色鮮やかに鳴く光を眺めながら、私は独り言のように、死ぬときはこれでいいなと言った。心の底から思った言葉がぽろっとこぼれた。すると横に座っていた先輩が軽く笑って、「それな、これでいいよね」と言った。私は笑ってしまった。なんだか、聞いたことがあった。過去にも同じようなことを言って、同じことを言われた記憶がある。なぜだろう、思い出せてしまう、思い出さなくてもいいのにと思った直後にはフィルムが回っていた。



 同じ八月だった。学生のカップルでやりがちな寝落ち通話というものだ。彼女は言った。もし私が死ぬときは一緒に死んでくれる、と。足りえない人生経験に頼り、生と死についてよく考える年ごろにありがちな発言だ。だが、当時の私は自傷気味な彼女からのその言葉には噓がないような気がした。かくいう私も恋愛に盲目で、彼女のことを想う気持ちをなんとか伝えようと「もちろん、君のためなら何度でも」なんてクサいセリフを吐いた気がする。ネットで何回か見聞きした味のしないガムのようなセリフを。そのあとの記憶は砂嵐がかかったかのように思い出せない。フィルムは焼き切れてしまっている。

 そんな檸檬を嚙み締めた記憶を不意に想起したものだから、私は口直しにもう一回喉に通した。

 


 もう一度見上げた空に、やはり月は浮かんでいなかった。もちろん星も。こんな夜に星と月を見たかった。死ぬ前でも同じことを思うのだろうか。

「私は脚本を書く時、アルコールを入れてから書いてるよ」と先輩は川を眺めながら言った。私は、あぁ、とだけ返事した。数秒後に言葉の意味を理解した私は似合ってるなと思った。ただ今は、ずり落ちてきた長袖を引っ張って半袖にしながら、流して聞いていたため、うまく返事できなかった。

 すると、「ねぇ、ちゃんと聞いてる」と、先輩が首を傾げながらこっちを向いて話した。この人とやっと目が合った気がする。私は再び現実を歪める川を眺めた。

傲慢だが、私はこの人と付き合ったらどうなるんだろうと考えた。顔は整っているし、どちらかというと、これまで付き合ってきた彼女と同じタイプではある。だからこそとまではいかないだが、同じ轍は踏みたくないなとも思った。

 これまで付き合ってきた女は八方美人でみんなから好かれたいという、まぁなんともありがちな性格だった。そんな性格なため、よく嫌われちゃったらどうしようと相談を何回もされた。もう懲り懲りなのだ。

 思春期特有の自意識過剰さ、自らを悲劇の主人王に昇華し、さもみんなはこんな苦労してなくていいよね、私はこんなに頑張っているのに、を隠せない感情が。何時間寝てない、課題を出さない、悪びれるのが何かのステータスと考える思考回路が。俯瞰できているようで一つのきっかけで感情論が優先されるガバガバな達観が。それら気持ちの悪いのぶつけ合いが許容され、なんなら個性、かっこいいとまで序列性が確立されてしまう時期が。

 逆仮面ライダーみたいな「そういう」。私の前でも演じていてほしいものである。普通、誰も着ぐるみの中身なんて見たくもないし見ようともしないだろう。なんなら、その相談をして、喋っている方が気持ちよくなっているのだ。ポジショントークで優越さに浸っているのなら、その気力をどこかに使ってほしい。しかし、私もその時期に甘んじていた。だから付き合っていたのだから。それに、どの女も才に溢れていた。音楽だったりダンスだったり絵だったり、様々だ。だからこそ、私のことを想う彼女らも物好きだったなと思う。

 同じ轍を踏みたくないとは思ったものの、甘い蜜を知ったら抜け出せなくなるのもまた事実であろう。だから、この私欲の捌け口を、文に落とすと決めたのだ。この川に流せないドロドロの廃棄物の行方を文に貼っている。家でYouTubeを見ているとき、安心して他人の危険な何かを見ていられる時の感情に似せているのだ。それをすることで、私ですら処理しきれない触れたくもない感情が、文字によって瞬間的に切り取られ、コラージュのようなカラフルな作品になる。

 私の右側、関節視野では暗闇の中、田舎にある電灯のように、信頼するには少し欠けている明るさで光っている。あれと一緒だ、名前はそう、花火だった気がする。誘われた文言に入る単語はこれだった。ふとバケツに萎れる花火だったものたちを見てみると、かなりの数が刺さっていた。

 川は淀まず、淡々と時間を梳いている。ずっと、こうしてきたのだろうか。ただ、流れてきたのだ。花火も一緒だ。火がついて、元気いっぱいに騒いだら、シュンっと、八月の紫陽花のように萎れてしまう。その一瞬性と一過性に人は魅力を感じる。また人はそれを儚いと形容する。私はそうは思わず、むしろ醜いと思う。

 私にしてみれば、花火はでしゃばるお調子者のような不快感。昼休みの教室にて身内ノリで騒ぐ、目立ちたがりの野球部のそれと、なんら変わらない。それなら、まだ川の方が慎み深い。この川の魅力は、少し早めに学校に来て教室のドアを開けたとき、背筋を伸ばして本を読んでいる学級委員が目に入り、彼女のかける眼鏡の奥にある透き通った目と自分の目が合った時のような、そんな趣がある。

 人は気に入ったものを脚色し過ぎるぐらいが丁度いいのだ。右の花火然り、目の前の川然り、左の女然り、人はこねくり回した理論より、孤独に悩んで自分の中から溢れ出した衝動を言語化するべきなのだ。

 夜の静寂を、隣のオーケストラが光と音の演奏で邪魔している。それだからか、頭の中でいつも流れている音楽が、途切れ途切れになって思い出せない。いや、ただ単に緊張していると思いたくない言い訳に過ぎないかもしれない。ある意味、この夜の静寂を聞けないのは孤独ではない証明でもある。賑やかさからして、終盤だろうか。

 私は再度、この状況に高揚していると自覚する。数年前、文豪へ向けていた感情が想起させられ、今、私たちは、その文豪らの行動を真似しているようで、幼少期のヒーローごっこに似たワクワク感があった。関係値すら無いわけで、その他の条件は満たしているように思えた。今なら文豪の着ぐるみ中身を想像できるかもしれない。だから今も、ここで死ぬには似合いすぎている、と思っていて、それにカッコよさを感じているのは、少し罹りすぎているのか、この雰囲気に吞まれているかだ。彼女は缶を握りつぶし言った。

「あ、もう私帰らなきゃ」

「え、この後何かあるんですか?」

「うん、ちょっと、彼氏が迎えに来るって」

「あぁ、そうなんですね」

 私は、もう一度川を見つめた。その川に月がどんぶらこ、どんぶらこと流れてくることはなかった。神様は物語すら始めさせてくれない。乾いた風があざ笑うように頬に当たる。寒くなってきたので、袖を降ろした。時間は、何時だろう。

 『あっ』

 あっちで行われている最後の線香花火が落ちた頃だった。


 飛び込んでしまおうか。

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