第五話:資料室の城
第五話:資料室の城
「あなたは、一体、何になるのかしら?」
鼓膜の奥にこびりついたその声は、男(刑事)の正義という名の骨組みを、内側から腐らせていた。
男は、地下の静寂に沈む「紙の墓場」へと籠城した。インクの腐臭と、数百年の眠りを妨げられた記録の塵が、彼の肺胞をじわじわと埋め尽くしていく。
ホワイトボードには、震える筆跡で記された死の相関図。その中心に穿たれた空白は、底の見えない深淵そのものだった。男は一週間、太陽を捨て、文字の海へと潜行した。網膜の裏には血の色をした残像が焼き付き、まばたきをするたびに角膜が軋むような痛みが走る。
「俺は、何に……」
自身の声さえも、堆積した紙に吸い取られ、消失する。その時、背後の闇が動いた。
「――やはり、ここにいたか。呪いに魅入られた亡者よ」
老いた男がそこに立っていた。知の番人を自称するその男は、渾沌としたホワイトボードの前に立つと、指先で一本の細い糸をなぞるように呟いた。
「『斬華』。その刃は砕かれ、愛しき者の髪を飾る華へと形を変えた。四百年の時を、ただ来世の血で喉を潤すためだけに、待ち続けたのだ」
老人の指先が、古文書の虫食い穴に吸い込まれていく。
「この白亜の墓標(病院)が建つ地。そこは、かつて斬華が己の喉を裂き、大地を赤く染めた廃寺の跡だ。因縁は、最初から足元に根を張っていた」
男(刑事)の喉が、異様なまでの渇きを訴え、痙攣した。
簪(かんざし)。あの少女の髪に、あるいは被害者の枕元に、幻影として咲いていた「鉄の華」。それは、かつて肉を裂き、魂を刈り取った「露時雨」という名の刃の、歪んだ転生だった。
「……戻らなければ。あの血の匂いが、満ちる場所へ」
男は資料室を飛び出した。背後で、老いた男が三日月のような微笑を浮かべたのを、彼は見なかった。
全ての始まり。そして、肉体が絶命を望む場所。
自身の鼓動が、四百年前の介錯を待つ者の呼吸と、完璧に同調し始めていた。
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