窓と君と夏と

石崎あずさ

窓と君と春を

第1話 - 窓と視線と朝と

春の朝、けやき台の住宅街はまだ静かで、空気には冷たさとやわらかい光が混ざっていた。

俺は、いつものように寝ぼけ眼でカーテンを引く。すると、向かいの家の二階の窓に天城あまぎ莉音りねが立っていた。


黒髪をきっちりまとめ、無表情でこちらを見つめる。

でも返事はない。

代わりに、彼女は眉を少しひそめ、カーテンを閉めた。


――無愛想すぎる。

けれど、妙に気になる。窓越しのその存在は、日常の景色の中に溶け込みながらも、どこか異質だった。



学校に向かう途中、偶然同じ通学路で彼女とすれ違う。

凛とした歩き方、周囲の声に動じない雰囲気――誰も近づけないオーラをまとっている。


「向かいの家の一年生、天城莉音って知ってる?」

俺が久賀に聞くと、

「知ってるぞ。ツンツン後輩だろ? 話しかけても無視されるぞ」

なるほど、クラスでも噂の存在らしい。


俺は苦笑する。

近づけば近づくほど距離を感じる。でも、逆にそれが妙に気になるんだ。



数日後、下校中に雨が降ってきた。

天城は傘を手にしていたが、骨が曲がって壊れている。


「おい、その傘壊れてるぞ」

声をかけると、彼女は一瞬こちらを見た。無表情だけど、少し困っている顔だ。


「これ、使え」

俺は自分の傘を差し出す。

「……要らない。」

「濡れるぞ。走って帰るよりマシだろ」


少しの沈黙のあと、天城は小さな声で「……ありがとう」と返した。

あの声は、窓越しに見た冷たさとは違って柔らかく、胸にじんわり染みる。



家に帰り、いつものように窓を開ける。

向かいの窓も開いていて、天城はちらりとこちらを見て、かすかに会釈した。

すぐにカーテンを閉める。でも、その一瞬で、なんだか胸が温かくなる。


窓と窓の距離――まだ遠く、まだ触れられない。

それでも、確かに何かが動き始めた気がした。


翌朝、けやき台の住宅街は昨日の雨で少ししっとりしていたが、空は晴れていた。

俺、佐伯直哉は寝ぼけ眼でカーテンを開ける。

向かいの二階の窓――天城がいる。昨日の傘のことを思い出しているのか、窓際でじっとこちらを見つめる。


「……おはよう」

つい声をかけたが、返事はなく、天城は視線をすぐにそらしカーテンを閉めた。

あの無表情が余計に気になる。昨日の「……ありがとう」の声が、今でも心に残っているのに。



登校のため自転車に乗ると、天城は校門の方に歩いていた。

同じ高校でも学年が違うため、普段は顔を合わせることはほとんどない。

でも、今日も彼女は無表情で、まるで何もないかのように道を進んでいる。


思わず呼びかけたくなる。

「おはよう、天城」

――反応はわずか。肩越しにちらりと俺を見ただけで、すぐに視線を前に戻す。


それでも、俺にはわかる。昨日の傘のやり取りが、ほんの少しだけ彼女の中に残っていることを。



放課後、家に帰る途中でふと思った。

向かいの窓から、今日も天城はこちらを見ているだろうか。

俺は自転車を止めて、少しだけ手を振る。

反応はない。でも、カーテンの隙間が昨日より少しだけ開いているように見えた。


距離はまだ遠い。

言葉は少ない。

でも、昨日の小さな出来事で、確かに俺と天城の間には微かな「繋がり」が生まれた。


窓と窓。沈黙と視線。

そして、先輩と後輩。

まだ触れられない距離が、少しずつ変わり始めている――そんな予感を胸に、俺は家に入った



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