CERES07-AAR-05 夜半の接触
仮設ベースキャンプが静まり返った夜半、センサーが低く唸るように警告音を発した。
警戒当番のダースが端末に目を落とし、眉をひそめる。
「……生体反応。南側外縁部、距離750メートル」
赤い警告灯が静かに回転し、テント内の影を慌ただしく揺らす。
マラリが腰の通信機を取り、短く命じた。
「カワチ、クロス、エッサーマン、ウエンナー。現地を確認をお願いします。報告は逐一行ってください」
「了解」カワチの声が無線に返る。
4人は素早く装備を整え、夜闇へ消えていった。
足音は乾いた地面に吸い込まれ、無線越しの短い呼吸だけが耳に残る。
道中でエッサーマンが呟く。「……動物の反応じゃないのか?」
「この環境で? 餌も水もないのに」クロスが淡々と返す。
ウエンナーが肩をすくめる。「じゃあ、また機械の誤作動ってオチだろ」
「だったら楽でいいがな」カワチは短く応じ、視線を前から逸らさなかった。
現場に到着したカワチは、ヘルメットのライトを通路に向けた。
反応はすでに消えている。
照明の切れた通路では、非常灯が息継ぎするように点滅し、壁の焦げ跡やひび割れを断続的に浮かび上がらせていた。
床には、何かが慌ただしく引きずられたような、幅の狭い擦過線が幾筋も走っていた。
「……一瞬だけ、反応がありました」
エッサーマンが携行センサーを覗き込み、足を止めた。表示はすぐ平坦に戻り、波形の棘は嘘のように消える。
「方角は?」カワチが問う。
「商業区画側です。座標深度は浅いですが、生命体かどうかは不明です」
無線からダースの声が割り込んだ。
「電波干渉、弱く再発。発信源は商業区画の中心部。地下からの可能性あり」
「急行してください」
マラリの短い指示が無線越しに届く。
現地班は足を速め、曲がり角を抜けた。通路は大きく崩れ、天井材と配管が斜めに落ち込み、瓦礫が山を成している。
クロスがライトを梁の根元に当て、崩れかけた瓦礫の隙間を覗き込む。
表面には工具ではつけられないような、五本の弧を描く浅い圧痕が残っていた。まるで巨大な手で握り締められたように、金属が一点から歪み、繊維を裂くようにねじられている。
「……これ、素手なのか……?」
その背後で、エッサーマンがわずかに息をのむ。
「こんな曲げ方、工具じゃ無理だ。まして梁ごと……」
言いかけた彼は、瓦礫の奥に何かを見つけたらしく、ライトを向けた。
カワチが目を細め、その視線を追う。崩落の影に、うずくまる人影――いや、それは既に動かぬ身体だった。
ライトの白い円が、埃を舞わせながら全体を舐める。
作業服の胸部は深く裂け、布地の下から覗く皮膚は、ところどころ灰色がかった硬質層へと変質している。境目は波打ち、焼け焦げや切創のような明確な原因は見えない。
腹部には細く滑らかな傷口があり、そこを薄い膜が覆っていた。角度を変えるたび、その膜は油膜のように鈍く光を返す。
呼吸を奪われるほどの異様さだった。
カワチはツールナイフの背で慎重に縁を押し広げ、中を覗き込む。空洞ではなく、乾きかけた粘性のものが糸を引くようにこびり付いている。
ウエンナーが遺体の右腕を持ち上げ、破れた手袋の奥を照らした。手の筋肉が異様に膨れ上がり、繊維の流れが不自然に浮かび上がっている。手袋はその膨張に押し負け裂けていた。
「……抜け殻、みたいだな」エッサーマンが低く漏らす。
「比喩は後だ。撮影を優先する」カワチが切り捨て、マラリへ無線で報告する。「少尉、こちら異常遺体を発見。映像を送ります」
――ヌチャ……ギギギ……ッ
クロスが背後に身をひねり、素早く告げた。
「カワチ、物音」
カワチは右手を上げ、全員の動きを止めさせた。
暗い通路の奥から、わずかに空気が押し出されるような微かな音が近づいてくる。
無線からマラリの声が飛ぶ。
「全員、位置を維持。状況を報告してください」
「距離はまだ不明、正面から接近中」エッサーマンが答える。
ウエンナーは遺体から目を離さず、手元のライトを一度消す。
反射光が途絶え、闇が一段と濃くなる。
「……足音じゃない」エッサーマンが息を潜めた。
その声に応じるように、通路の奥で何かが地面を這う物音が響く。
クロスが銃口をわずかに上げ、肉眼で暗がりを凝視する。
「距離50……40……」エッサーマンが低く数えるたび、全員の握る武器の手に力がこもった。
暗闇の奥から、湿った何かが床を擦る音が間欠的に響く。
空気が微かに震え、埃が落ちてきた。
全員が息を殺す中、通路の奥で非常灯が一度だけ点滅し、何かの輪郭を一瞬だけ浮かび上がらせる。
それは人の形をしていない――異様に長い腕と、地を這うような低い姿勢。
次の瞬間、灯りは消え、闇が全てを呑み込んだ。
「……動いた」クロスの声が極限まで細くなる。
カワチが手信号で左右に散開を指示。
全員が崩落の壁や配管の影に身を滑り込ませ、銃口を奥へ向けた。
耳の奥で自分の心臓の音が大きくなる。
――ギシャッ、ギシャッ。
硬質な衝撃音が二度響き、直後、影が跳ねるように距離を詰めてきた。
ヘルメットのライトを浴びたのは、光を嫌うかのように頭部を背け、節のある四肢を折りたたむ異形のシルエット。
その外殻は黒く濡れ、ところどころに鉱石のような光沢を帯びている。
カワチが息をのみ、無線に低く問いかけた。
「少尉、発砲許可を」
「発砲を許可します」マラリの声が即座に返る。
最初の銃声はクロスのライフルだった。
火花と共に弾丸が外殻を弾き、甲高い衝突音が通路に反響する。
続けてエッサーマンとウエンナーも射撃を重ねるが、相手は異様な速度で左右に跳ね、瓦礫を蹴って高く舞い上がった。
「頭上っ!」カワチの警告と同時に、黒い影が空から落下し、エッサーマンの目前に着地する。
咄嗟にバットストックで払いのけた彼の横で、鋭い前腕が壁を貫き、火花を散らした。
その一撃で配管が破裂し、白い蒸気が狭い通路を覆う。
蒸気の向こうで影が揺れる。
クロスが呼吸一つ置かずに三点バーストを叩き込み、強化された前腕部に火花が走った。
鈍い悲鳴のような低音が響き、影が後退する。
「追いますか?」ウエンナーが短く問う。
「否。ここで抑えろ」カワチが即答し、全員の銃口が煙の奥に集中する。
蒸気が薄れていく先で、硬質な足音が遠ざかる。
焦げた金属の匂いと、床に爪で刻まれた深い溝が残り、隊員たちは誰一人言葉を発せなかった。
耳に残るのは、心臓の鼓動と、闇に消えた音の余韻だけだった――
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