6章-第2話
ミヤビは、城中市場で買った粘土を地下牢にいるりんたろうのもとへ持っていった。冷たい石の床に座り、何もすることのない彼が、少しでも気を紛らわせられるように、とミヤビは思った。
鉄格子の向こうから、りんたろうはいつものように静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
粘土を渡すと、りんたろうはそれを両手で受け取り、丁寧にこね始めた。驚くほど器用な指先が、粘土をみるみるうちに美しい花の形へと変えていく。
「何を作っているの?」
ミヤビが尋ねると、りんたろうは静かに答えた。
「あなたのための、お守りです」
やがて完成したのは、小さな花飾りがついたブレスレットだった。りんたろうはそれをミヤビに差し出す。
「お受け取りください。これは、ただの飾りではありません」
ミヤビがブレスレットを受け取ると、りんたろうは続けた。
「私が魔法を込めました。これを身につけている間、強い攻撃を受けると、1度だけ自動的にシールドを張ります」
ミヤビは驚いてブレスレットを見つめた。ただの粘土細工だと思っていたものが、まさか魔法具だったとは。
「どうして……?」
りんたろうは少し悲しげに目を伏せた。
「あなたが、あまりにも無茶をするからです。あなたは『みやび様』と違って自分を顧みず戦う。それが、私にはとても心配なのです」
「ありがとう……」
ミヤビはブレスレットを受け取った。
まじまじとそれを見ていたが、不意に顔を上げた。
「待って、『みやび様』と違ってって言った?」
「はい」
言葉の端に覚えた違和感が確信に変わり、ミヤビは思わず問いかけた。りんたろうは静かに頷く。
「ええ。あなたと、もう一人……」
りんたろうはどこか遠い目をして、ゆっくりと語り始めた。
「私はずっと、違和感を覚えておりました。そのお姿を見た時、そしてかける様の身を案じて私を遠ざけたその時から、ずっと。私は、自分が聖教の出身である過去も、その関わりがあることも話したことはありません。でもあなたはそれを知っているかのような動きをしていた」
りんたろうは俯いたまま話し続ける。
「そしてあの禁術のあった地下でお話した時、疑念が確信に変わりました。なぜかあなたは私の全てを知っていると。そして、私が敬愛する『みやび様』ではないということも」
彼はミヤビの腕のブレスレットをそっと指差した。
「それは、私の命を救ってくださったあなたへのお礼です。私は心配なのです。あなたの勇敢さは素晴らしいですが……もっと、人を頼った方が良いのではないかと」
ミヤビの胸は締め付けられるような痛みを感じた。もう一人の自分の存在を知りながら、ずっと自分に寄り添ってくれていた。
「なぜ、それを黙っていたの?」
りんたろうは優しく微笑んだ。
「あなたが、私にそれを話してくださるまで、待つつもりでした。それに……あなたが一人で抱えている苦しみを、これ以上増やしたくなかったのです」
りんたろうは、ただ静かにミヤビを見つめていた。鉄格子の向こうから、言葉なく、ただ優しく見守ってくれるその姿が、ミヤビにとって何よりも心強かった。
「でも何で急にその話を?」
「お使いを頼む前に、つづる様とその話をしたのです。言っていましたでしょう? 『みやびについて確認していた』……と」
「なるほどね」
ただ、りんたろうの優しさが、胸の奥でじんわりと広がるのを感じる。立ち去ろうと背を向けた、その時だった。
「異端の魔女様」
りんたろうの声が、静かに背中に投げかけられる。
「戦いは、日に日に激しくなっています。どうか、お気をつけて」
ミヤビが振り返ると、りんたろうはいつものように穏やかな微笑みを浮かべていた。しかし、その瞳の奥には、ミヤビの身を案じる深い憂いが宿っている。
「……うん」
「それから、かける様があなたを探しておりましたよ」
「わかった」
ミヤビはそれだけを言い残し、地下牢を後にした。その静けさが、廊下へ出た途端にふっと途切れた。
ーーーー
夜更け、廊下を満たすのは、遠くの見張りの足音と、窓から忍び込む夜風のざわめきだけだった。
背後から名前を呼ばれ、ミヤビは振り返る。そこには、月明かりに照らされたかけるが立っていた。
「……部屋で話そう」
短い言葉に促され、彼の背中を追って歩く。部屋の中は蝋燭の灯りがひとつ揺れ、柔らかな橙が二人を包み込んでいた。しばし沈黙のあと、かけるがぽつりと口を開く。
「俺さ、この戦いが終わったら……また冒険に出たいんだ」
彼の瞳は、過去に語ってくれた旅の思い出を映すように、遠くを見ていた。
「そろそろギルドに戻らねぇと、仲間に心配かけたままだし。まだまだ行ってねぇ場所は沢山あるしさ。何せ小さい場所だから、闇市のヤツらに狙われて潰されてねぇか心配だ」
不意に彼が疑問をなげかける。
「お前はどうするんだ?」
その問いに、ミヤビの心臓が一瞬だけ跳ねる。
本当は、この戦いが終わったら元の世界に帰るつもりだ。そう決めていたはずなのに、その言葉は喉の奥で絡まり、声にならない。
沈黙が流れ、蝋燭の火が小さく揺れた。やがて、かけるが低く問う。
「……消えるのか?」
その声音は責めるでも泣きつくでもなく、ただ真実を確かめようとするものだった。ミヤビは視線を逸らし、指先で服の裾を握りしめる。
「まぁ……そうなるかな」
かけるは短く「そうか」とだけ返す。その声に非難も、慰めもない。ただ事実を受け止める響き。
「いつから気づいたの?」
自分でも驚くほど静かな声が、口をついて出た。かけるは剣の柄に手をかけたまま、わずかに視線を落とす。
「最初から……違和感はあった。お前が持ってるあのレイピア、俺が贈ったものだ。お前が貰ったもん人に渡すはずないのに、お前は当たり前に渡してきた。……その時、お前は俺が愛したみやびじゃないかもしれないって……」
ミヤビは思わず手元のレイピアを見た。戦いの中でついた細かな傷が、何よりもこの武器が彼女と歩んだ時間を物語っている。それを他人に渡すことなど、自分なら絶対にしない。その言葉は、鋭さよりも重みを帯びていた。
「昔からカンが良くてな。それで生き延びてきたと言っても過言じゃないくらいには。だから分かったよ。聖教の信徒を殺したことを聞いてきた時も冷静だったし。……多分みやびなら、突き放した時点で泣いてる」
かけるはくく、と小さく笑った。そして真剣な眼差しを向ける。
「でもな、命を救ってくれたこと、それは変わらない事実だ」
ミヤビは一瞬だけまばたきをし、何も言わずに相手の顔を見つめ返す。彼は続けた。
「だから、どんな状況になっても……俺はお前に協力する。お前が望むなら、背中も預ける」
静かな沈黙が二人の間に落ちた。ミヤビは言葉を探し、やがて小さく微笑む。
「……ありがとう。そう言ってもらえるのは、何より心強い」
月明かりの中、彼は小さく頷き、肩の力を抜いた。ミヤビは深く息を吐き、重い気持ちのまま部屋を後にしようとした。手を伸ばした先で、扉がわずかに開いていることに気づく。
その隙間から廊下の空気が流れ込み、微かな靴音が耳に届いた。静かに扉を押し広げると、そこにはとうまが立っていた。いつも通りの無表情。だが、視線の奥には複雑な影が揺れている。
「……聞いてたんだね」
ミヤビが問うと、とうまは言葉を使わずに、ただ一度だけ頷いた。そして懐から、鎖が切れ、宝石部分がひび割れたペンダントを取り出す。その金属の冷たさを、ためらいなくミヤビの掌へと置いた。
「俺は、みやびの苦しみに気づかなかった」
低く押し殺した声が、廊下に沈む。ミヤビは胸の奥に重く沈むものを感じながら、手の中のペンダントを強く握りしめた。とうまは深く息を吐く。その視線は、まっすぐミヤビを射抜いている。
「……俺は、みやびを心から愛していた。けれど、その苦しみに……最後まで気づけなかった。一人で背負い込んでいたものに、気づこうともしなかった。同罪だ」
ミヤビは口を開きかけたが、言葉が喉に詰まり、何も言えなかった。とうまは微かに笑い、首を振る。
「だが……俺は今も、あなたも守りたいと思っている」
その声音には、一片の迷いもない。そして、背を向けながら言った。
「異端の魔女、最期まであなたを守り通す。その言葉に、嘘偽りはない」
とうまの足音が、長い廊下の奥へと吸い込まれていく。残された静寂がやけに耳に痛かった。
ーーーー
黒い羽が窓の外を横切り、カラスが軽く鳴いた。ミヤビは呼び出しの合図だと悟り、足早にみちるの部屋へ向かう。
扉を開けると、窓際に腰かけたつむぐが、片手をひらひら振った。
「やぁ、姫。相変わらず真面目に呼び出しに応じちゃうんだね」
「……つむぐ、また勝手にここに?」
「勝手じゃないよ、ちゃんとみちるさんの許可は得てるって」
いたずらっぽく片目をつぶる。ミヤビは一歩近づき、真剣な眼差しを向けた。
「……ちょうど良かった。買いたい情報があるの」
「ほぉ、珍しいね。何の情報?」
「『みやびの過去』について」
その言葉に、つむぐは一瞬だけ表情を動かし、すぐに口角を上げる。
「自分のことは、自分がいちばんよく知ってるでしょ?」
「……分かって聞いてるでしょ」
ミヤビは弱々しく笑って答える。
「今まで、一回も名前で呼んでないよね。私のこと。ずっと『姫』って呼んでる。初めて会った時からずっと」
「ふぅん? それがどうかしたの?」
つむぐは興味深そうに目を細めた。ミヤビは淡々と言葉を紡ぐ。
「多分一目見たときから、違和感があって、気づいたんだと思うんだ。みんなそう言ってるし。自分が愛したみやびとは、違うんだってこと。その証拠となる情報ぐらい、あなたなら簡単に集められるだろうし」
「はは、高く評価してくれて嬉しいよ」
つむぐは肩をすくめ、窓の外をちらりと見やった。
「でもねぇ、姫。証拠ってのは、刃物みたいなもんだ。持ち主を守ることもあれば、逆に傷つけることもある」
「それでも、知りたい」
ミヤビの声には迷いがなかった。つむぐはしばし沈黙し、細い指で髪の房を弄びながら笑みを深める。
「まぁ、予想はついてたけどね。本気で買うつもりなら、支払いは……そうだな、無条件で、俺のお願いを聞くってことでどう?」
「お願い……?」
「内容はその時にならないと分からない。もしかしたら命がけかもしれないし、もしかしたらただの悪戯かもしれない」
その言い方は軽いのに、瞳の奥には冗談ではない色が宿っていた。みやびはほんの少しだけ目を伏せ、息を吐く。
「分かった」
「即答か。まあ、姫が断るわけないって知ってたけど。……けど一応、儀式ってやつだ」
つむぐは笑いながら指を鳴らした。
「じゃあ契約成立。今はここまで。情報は近いうちに渡すよ。『本当のみやび』が辿った道をね」
そう言って、つむぐは軽く手を振った。その笑みは、どこか底知れぬ影を帯びていた。
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