5章-第1話

薄暗い宮廷の執務室。大理石の床に反射する蝋燭の炎が、揺らめきながら壁を照らしている。

みちるは重い書類の束に目を落とし、背中に一日分の疲労がずっしりと乗っているのを感じていた。


突然、背後から冷たい風が室内に吹き込む。

みちるが顔を上げると、窓がわずかに開いているのに気づく。だが外は無風のはずだった。

その時、不意に部屋の隅から黒い影が伸び、みちるの背中に絡みつく。


「ぐっ……!」


呪いの霊体は、彼の背中を切り裂き侵入する。

冷たい刃で切り裂かれた様な痛みが走り、椅子から崩れ落ちる。

みちるの瞳は瞬時に赤く染まり、荒れ狂う魔力が室内を震わせる。胸の奥で誰かが囁いているような声がする。

直後、執務室の扉が破られ、数人の騎士が駆け込む。


「みちるさん! しっかりしてください!」


だが、駆けつけた騎士たちが目にしたのは、もはや自我を失い、暴れ狂うみちるの姿だった。

呪いの力に操られた彼は、制御不能なまま騎士たちに襲いかかる。


騎士たちの剣が一斉に抜かれる。しかし、その刃先を易々と弾き飛ばし、みちるはまるで獣のように唸り声を上げた。

魔力の奔流が床石をひび割れさせ、壁の燭台を次々と吹き飛ばす。

赤い瞳が一人一人を射抜くたび、全身が冷たい鎖で縛られるような圧が走った。


「やめろ!みちる!」

「みちる! 急にどうしちゃったの!?」


ミヤビととうま、かけるが駆けつける。

散乱した部屋の中で、みちるは真っ赤な瞳をこちらに向けてきた。


「これは……呪いだ。星核の……」


とうまは部屋の中の騎士たちを制止した。

だが、呪いの影響は深く、みちるの身体は次第に弱り始めていた。

その時、みちるの目に一瞬、理性の光が戻った。


「私を……助けなくていい」


その声は祈りのように掠れていた。

ミヤビは嫌な予感がして、決死の思いで叫んだ。


「みちる!待って!」


しかしみちるは振り返らず、冷たい夜風が吹き込む外へ飛び出した。

ミヤビは窓際まで駆け寄ったが、もうその姿は見えなかった


「みちるを追わなきゃ!」


ミヤビが焦りを滲ませて叫ぶ。しかし、かけるは冷静に首を横に振った。


「今は冷静になれ、みやび。呪いの影響でまともに話はできないはずだ」

「じゃあどうするの!?」


焦るみやびに、とうまは鋭い視線を向けた。


「呪いのことを知る必要がある。この国で一番情報を持つ場所……世界日報だ」

「でもあの呪いは星核の力でこの世界には無いんじゃ……」

「違う。その星核の近くにいたやつがいただろう。彼なら、何か知ってるかもしれない」


ーーーー


三人は息を切らしながら、離れの塔へ向かう。

奥の部屋で待っていたのは、以前彼らが救出した青年、つづるだった。つづるはただならぬ様子を察し、冷静に尋ねた。


「どうしました?」


みやびは、執務室で起きたことを簡潔に説明した。


「枢機卿の呪い……ですか。それはおそらく、星核の残骸に取り憑かれた人物が、個人的な恨みでかけたものでしょう。以前、洗脳されていた時に聞いた話ですが……」

「星核の残骸?」

「ええ、どうやら星核は呪いで人を攻撃する際に、自身の魔力を封じ込めた微細な結晶のようなものを使用しているらしいのです。その欠片がある限り、何度でも対象に干渉できるのだとか」


つづるは淡々と答える。


「じゃあ、欠片を破壊しないとダメ?」


みやびが前のめりになって尋ねた。


「ええ。そうですね。ただ、呪いの根は、みちるさんの身体に刻まれた傷を治せば簡単に解除できるはずです」


三人の顔に、一瞬希望の色が戻る。しかし、つづるは静かに言葉を続けた。


「ただし、一つ問題があります。その呪いは、みちるさんの膨大な知識欲を巧みに利用しています。呪いを剥がせば、彼女が呪いで得た知識も消えてしまうでしょう」

「それが何だって言うんだ?」


かけるが不思議そうに首を傾げる。

つづるは懐かしむような、少し小馬鹿にするような、複雑な笑みを浮かべた。


「みちるさんにとって、知ることこそが生きる意味そのもの。彼女が『助けるな』と言った理由はそこにあるでしょうね」

「全部知りてぇから死んでもいいってか?」

「ええ、おそらく」

「なんだそれ」


かけるは理解出来ないと言ったふうに笑う。

ミヤビは苦悶に満ちた表情で呟く。


「それでも、みちるの命には代えられない。必ず助け出そう」


三人は互いにうなずき合った。必ず彼を取り戻す。

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