4章-第4話
翌晩。
聖教本部の大広間。高い天井から吊られたシャンデリアの下、信徒たちが一斉にひざまずく。
壇上には枢機卿、その背後には無表情のつむぐとつづるがいた。
「さあ、新たな信徒を迎え入れよう」
星核が放つまばゆい光は、大広間を白く塗りつぶしていく――はずだった。
だが、ミヤビの手に握られた水晶が、突如として別の輝きを放った。
その光は、星核の波動と共鳴し、逆流するように壇上へ押し返される。
「な……っ!?」
枢機卿の声がかすれる。
星核の光が一瞬歪み、その波はつむぐとつづるだけでなく、周囲の信徒たちにも広がった。
次々と、目の焦点を失っていた者たちが瞬きをし、混乱した表情を浮かべる。
「……ここは……」
「私……どうして跪いて……?」
「まさか、これは……」
記憶が戻った者たちの間にざわめきが広がる。
壇上のつづるが眉をひそめ、つむぐが小さく名を呼んだ。
枢機卿は、混乱を抑えようと声を張り上げる。
「惑わされるなッ! それは異端の幻術だ!」
しかし、焦りが隠しきれない。星核の光はまだ乱れ、制御が利かないままだ。
その間にも信者間で困惑が広がっていく。
「ふざけるな! 」
星核から溢れ出す光と闇が、大広間を引き裂くように渦を巻いた。
みやびは星核の光に正面から向き合い、水晶を胸に押し当てる。
「もう……誰も奪わせない!」
術式が走り、逆流の光が再び星核へ叩き込まれた。
枢機卿の体がビクリと震え、仮面に亀裂が走る。
「やめろ……やめろォォォッ!」
光と闇がせめぎ合う渦の中、枢機卿の仮面が粉々に砕け散った。
その下から現れたのは――みやびと瓜二つの少女。
だが、みやびは瞬きすらせず、その瞳をまっすぐに捉えていた。
(……やっぱり)
胸の奥で、ずっと否定しきれなかった予感が形を取った。
少女は氷のような声で告げる。
「あなたは私を拒み、全てを投げ出した……」
少女の周辺に再び赤黒い光が走る。
「許さんぞ……異端の魔女……」
「待って! 話を聞いて!」
ミヤビの声も聞かず、少女の身体は黒い光と吸い込まれ、瞬きの間に消えた。
光が爆ぜ、大広間が静寂に包まれる。
だが――沈黙を破ったのは、とうまの苦鳴だった。
「……っぐ……はぁ……!」
その胸元から、黒い痣が全身へ広がっていく。
呼吸は浅く、瞳から光が消えかけていた。
「とうま! ダメ……このままじゃ……!」
みやびは彼に手を伸ばすが、すぐに躊躇した。
(この力を使えば助けられる。だが、一般人が多すぎる……!)
編者――本来ない出来事を、なかったことにする力。
ミヤビはずっと、この力を大勢の人前で使うことだけは避けてきた。前回のように、大勢の人々を消してしまう可能性もあったからだ。
しかし、とうまの呼吸はもう限界だ。数分もすれば死んでしまうだろう。
(迷ってる時間はない)
ミヤビは彼の胸に手を置き、瞳を閉じた。
唇が、目に見えぬ文字を紡ぐ。
「書き換える。死ぬ未来を無かったことに……!」
世界が、軋む。
床も壁も、色と形を失って文字の断片に変わっていく。
とうまの体に絡みついていた黒い痣が、まるで煙のように剥がれ落ち、文字の海に沈んだ。
だが、それを見ていた信徒たちの表情は恐怖に歪んだ。
「……見たか……!」
「あれは……星核と同じ……!」
「異端の魔女だ! 枢機卿が言っていたのはこの女だ!」
罵声と足音が広間に響く。
正気を取り戻したはずの者たちですら、その力を目の当たりにして動揺し、距離を取っていく。
ミヤビは立ち上がり、冷ややかに信徒たちを見回した。
「……そう。あなたたちの言う通り、私は異端の魔女」
その声には怒りも悲しみもなく、ただ覚悟だけがあった。
その背後で、とうまが目を開き、かすれた声で名を呼ぶ。
「……みやび……」
信徒たちの罵声が大広間を満たし、誰かが石を投げようと腕を振り上げた、その時――
「そこまでだ」
澄んだがよく通る声が、ざわめきを切り裂いた。
入口に立つのは、深い群青色の外套を羽織った男性――宮廷の賢者、みちる。
その姿を見て、何人かの信徒が息を呑み、跪く者さえいた。
「……賢者殿……!」
「宮廷が、ここに……」
みちるは歩みを進めながら、冷静な視線で聖教の幹部たちを一人ずつ見据える。
「聖教は行き過ぎた。幹部は戦犯として、正式に裁判にかける。抵抗は許さない」
幹部たちが顔を引きつらせるが、護衛の騎士たちがすでに出入口を固めている。
逃げ場はない。そして、群衆に向き直る。
「信徒たちには告げる――大人しく従うならば、宮廷が保護する。今日の出来事の罪は、指導者のものとする。あなたたちの居場所も生活も、奪わせはしない」
その言葉に、ざわついていた空気が少しずつ落ち着きを取り戻す。
怒鳴っていた者も、互いに視線を交わし、次第に声を失っていく。
だが一人の壮年の信徒が、ためらいながらも声を上げた。
「……ですが、あの女は……異端の魔女です。星核と同じ力を……」
みちるは彼を真っ直ぐ見据え、静かに告げた。
「異端の魔女の件は、宮廷が責任を持って対応する。あなたたちが手を出す必要はない」
低く、しかし揺るぎない声。
その威圧感に、信徒たちの怒りと恐怖は、潮が引くように収まっていった。
「今はただ、罰せられないことに感謝しなさい」
みちるの一言が、場を完全に沈黙させた。
後方でとうまがかすれた声で「助かったな……」と呟いた。
ミヤビはまだ視線を下げたまま、無言でその場に立っていた。
護衛騎士たちが次々と聖教幹部を拘束していく。
拘束具の鎖が鳴る音と、幹部たちの抗議の叫びだけが、大広間に響いていた。
信徒たちは互いに寄り添い、沈んだ視線でその光景を見守っている。
その人混みの端から、ふらつきながらつづるとつむぐが歩み出てきた。
彼らは先ほどまで星核の影響で正気を失っていたが、今は意識を取り戻し、額には汗が滲んでいる。
「……姫……」
つづるが安堵の息をつきながら彼女を見つめ、つむぐも深く頭を下げた。
「助けてくれて、本当に……ありがとう」
みやびは首を横に振る。
「感謝されるようなことじゃないよ。私、結局なんにも出来なかったから」
その会話に耳を傾けていたみちるが歩み寄ると、つづるとつむぐは視線を交わし、小さく息を整えてから口を開いた。
「……賢者さま。宮廷に連れて行くのは構いません。でも……」
つづるは一歩前に出て、みちるを真っ直ぐに見上げる。
「彼女に、酷いことはしないでください」
つむぐも頷く。
「彼女がいなければ、俺たちはここにいません。異端だろうと、命を救ったことは変わらないはずです」
みちるはその言葉を受け止めるように目を細め、ゆっくりと頷いた。
「……わかっている。だからこそ、彼女を宮廷が保護する。あなたたちが望むような扱いを約束できるとは限らないが……無用な迫害はさせない」
その返事に、つづるとつむぐはわずかに表情を緩めた。
やがて幹部たちは全員、鎖につながれて連れ出され、信徒たちも騎士の指示に従って広間を離れていく。
外ではまだ夜明け前の薄明が、灰色の光を地上に落としていた。
みちるは、誰もいなくなった広間を一瞥し、ミヤビととうまに言った。
「――では行きましょう。まだこの件は終わってないわ」
ミヤビはその言葉にわずかに眉を寄せたが、反論はしなかった。
背後で閉じられる扉の音が、静寂の中に重く響いた。
ーーーー
石造りの広間。
壁には重厚なタペストリーが掛けられ、中央には円卓と、それを囲む宮廷の高官たち。その面々は静かな威厳を纏い、鋭い視線をミヤビに注いでいた。
ミヤビは椅子に深く腰掛け、わずかに震える指を膝の上で組み合わせる。
だが、その瞳には迷いはなく、幾重にも張り巡らされた視線をひとつひとつ受け止めていた。
みちるは円卓の中央に座し、淡々と経過を記した書類をめくっている。
「……あなたが聖教に『異端の魔女』と呼ばれていたことは、すでに承知している」
一人の老臣が、重々しい声で切り出した。
彼の声は石壁に反響し、広間の静寂を一層際立たせた。
「だが、問題はそこではない。なぜ星核と同じ力を持っていたのか――その理由を説明してもらいたい」
みやびは一瞬まぶたを閉じ、胸の奥からゆっくりと息を吐き出した。
やがて静かに、円卓の上に置いた両の手を見つめながら、言葉を紡ぎ始める。
「……はい」
円卓の上に置いた自分の両手を見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私は――この物語の『作者』です」
ざわめきが一段と大きくなる。
ミヤビは意に介さず、言葉を続ける。
「そして……私に与えられた力は現実改変。本来の筋書きになかった事柄を、『無かったこと』にする力です」
誰かが息を呑む音が、広間の隅から聞こえた。
眉をひそめ、何人かが顔を見合わせている。
「どういうことだ?」
老臣が問い詰めるように言う。
ミヤビは視線を落とし、ゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「前に聖教の信徒と宮廷騎士が多数、同時に消滅した事件がありましたね」
何人かが頷く。
「あの出来事は、本来、この世界には『存在しなかった』はずなんです。だから……『私が消した』」
低いざわめきが室内を走った。
ミヤビは続ける。
「今回も同じです。本来、『武田冬真は死ぬ』という筋書きがありました。それを『なかったこと』にした」
彼女の瞳に、一瞬だけ光が揺らめく。
「……私が使ったのは、そのための力です」
高官たちは互いに視線を交わし、低く呟く。
「……それは、神の領域に等しい能力だ」
「だからこそ聖教は、異端の魔女と呼んだ」
ミヤビは小さく頷いた。
「私はこの力を使うことを避けてきました。誰にも見られたくなかったから……」
ただ、ミヤビの瞳だけが揺らぎなく、真っ直ぐに宮廷の者たちを見据えていた。
みちるが立ち上がり、冷静に告げる。
「当面、彼女は宮廷の保護下に置く。力の使用は厳重に制限し、監視をつける」
とうまは静かに立ち上がり、声を荒げることなく、しかし強い意志を込めて言った。
「監視を付けるのは理解できます。しかし、みやびは敵ではない。あの力で俺たちを救った仲間です。彼女の力そのものもを縛るのは不当だと考えます」
みちるは冷静なまま答える。
「味方かどうかの判断は、我々上層が下す。あなたの意見は重く受け止めるが、情だけでは決められない」
とうまは深く息をつき、落ち着いた口調で続ける。
「情ではありません。これまでの行動が証拠です。彼女の力は制御可能だと証明しました。
俺はその責任を持って同行し、力の暴走を防ぐ。彼女が信じられないのならば、俺を信じて欲しい」
その言葉に、みちるは一瞬視線を迷わせたが、やがて頷いた。
「条件付きで同行を許可する。ただし、もし何かあれば即座に対応する。あなたにも責任があることを忘れないでほしい」
とうまは静かに頷き、ミヤビの方を見つめた。
「……約束する。絶対に守る」
ミヤビはわずかに笑みを浮かべ、決意を秘めた眼差しで答えた。
ーーーー
広間の会議が終わり、ミヤビは長い石造りの廊下を歩いていた。
窓から差し込む夕陽が赤く壁を染め、足音だけが静かに響く。
「……お疲れですか?」
背後から、柔らかな声がかかった。
振り向くと、つづるが立っていた。手には、湯気の立つ小さなカップが握られていた。
「つづる……」
ミヤビは、わずかに微笑んで受け取った。
けれども、胸の奥はまだ冷たく、凍りついたままだった。
「信じてもらえないことは……やっぱり、心が痛むよね」
ミヤビはそっと廊下の窓辺へ歩み寄り、手すりに指を添えて外の景色を見やった。
夕暮れの淡いオレンジ色が、静かに空を染めていた。
「でもね、それ以上に耐えがたいのは……誰かが死んでしまうことだと思う」
つづるは黙って聞いていた。
ミヤビは言葉を紡ぎながらも、その瞳はどこか遠くを見ていた。
指先がカップの縁をなぞり、微かに震えているのに気づいたのは、つづるだけだったかもしれない。
「だから、私はみんなを守ってみせる。どんなふうに見られても、疑われても。それが私にできることだから」
つづるの目が細くなる。
その奥には、鋭いけれどもどこか哀しみを帯びた光が宿っている。
「……守る、ね。まあ、格好いいこと言うじゃないですか」
ミヤビは肩をすくめて苦笑した。
その笑みには、ほんのわずかな諦めが混ざっていた。
「皮肉?」
「半分は皮肉。だって、本気で守るつもりなら、まず自分の身ぐらい守れるようにならなきゃ」
彼は軽くカップを持ち上げ、口元に運んだ。
窓の外の夕焼けがガラス越しに揺れ、二人の影を長く引いている。
「それに……『守る』って言葉は便利ですから。失敗しても、『全力を尽くした』って逃げ道がありますし」
「……慰めてる? それとも突き落としてる?」
「両方です」
つづるは軽く肩をすくめて、平然と答えた。
「僕はね、昔上司に裏切られて、命を落としかけたことがあります。信じた人間に背中を刺されるなんて……笑えるくらい、寒い気持ちになりますよ」
その瞳はどこか遠くを見つめていて、少しの痛みと冷たさをたたえている。
「賢者部隊にいた頃の話です。信頼していた上司と、任務で敵地に潜入した。そこで僕たちは罠にかかって、僕は重傷を負った……その時、上司は僕を見捨てて、一人で逃げたんです」
ミヤビは言葉を飲み込み、目を伏せる。
彼女の胸に刺さる痛みが、表情に滲んでいた。
つづるはカップを軽く指差す。
「だから言いますけど――守るつもりなら、疑われる痛みに慣れといた方がいい。信じられなくても、信じたまま立っていられる奴だけが、本当に人を守れる」
ミヤビはその言葉をゆっくり飲み込み、温かい液体を口に含んだ。
「……あんまり優しい励ましじゃないね」
つづるは小さく笑う。
「優しい言葉が欲しいなら、他をあたってください。私はあなたを甘やかすつもりはありませんから」
それでも、その言葉の奥にあるものを、ミヤビははっきり感じ取っていた。
窓の外に広がる夕焼けは、さっきより少しだけ明るくみえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます