3章-第3話
「……で、改めてあなたはどちら様?」
夜の聖教襲撃事件から夜が明けた朝食時、宮廷の食堂には、朝食を運ぶ給仕たちの足音だけが響き、張り詰めた空気が漂っていた。
つむぐは目の前の卵料理をフォークでつつきながら、みちるやかけるたちの厳しい視線を一身に浴びていた。
つむぐはフォークを皿に置くと、軽く頭を下げて挨拶した。
「情報屋をしています、紡三織と申します。以後お見知りおきを」
みちるが冷ややかな目で、紅茶のカップをソーサーに戻す。
カチャリ、と鳴るその小さな音が、食堂の静けさを一層際立たせた。
「情報屋……つまり闇市の人間ね。あなたが今回、ミヤビと共に動いていたのはどういうつもり?」
つむぐは口元に微かな笑みを浮かべ、手に持ったティーカップを口元に運ぶ。
「単純な話、護衛役ですよ。……まあ、りんたろうさんに関する情報を仕入れていたので、その共有も兼ねてって感じですかね」
みちるの挑戦的な視線を受け止めながらも、つむぐは少しも動じることなく紅茶を一口すすった。
かけるがコップに入った水を一気に飲み干した後、真剣な表情で尋ねた。
「それで聖教に襲撃された件について何か知ってんのか?」
彼の問いかけには、ただならぬ緊迫感が含まれていた。
みちるはさらに眉をひそめて尋ねる。
「夜に殺せなかったから、翌日に襲撃があった。あまりにも動きが早すぎるわ。これは最初から計画されていたことなの?」
彼はテーブルに両肘をつき、指を組んで、じっとつむぐを見つめていた。
つむぐは言葉を選ぶように、ゆっくりと箸を手に取る。
「ですね。襲撃は元から仕組まれていた。夜の出来事はその一部に過ぎず、奴らはより大きな動きを狙っていたんだ」
その言葉は、全員の背筋を凍らせるには十分だった。
ミヤビが息を呑み、フォークを持つ手が微かに震えた。彼女はつむぐに視線を向けたまま、か細い声で呟く。
「そんなに……聖教の動きは想像以上に早くて危険なんだ」
みちるはその視線を一転させて、みやびに向き直った。
「そういえば、つむぐとデートしていたって聞いたけど? 外に出る時は必ず、イケメンを二人は侍らせなさい。分かった?」
彼の厳しい口調には、ミヤビへの深い心配と、つむぐへの牽制がにじみ出ていた。
ミヤビは一瞬、驚いて目を丸くしたが、すぐに苦笑混じりに頷いた。
「まぁ、その、デートっていうか……」
つむぐがその言葉をさえぎるように、軽口をたたく。
「俺たちが護衛なら文句ないだろ?」
とうまが目を細めて、ニヤリと笑った。
「次は俺ともデートだな。規律は守れ」
彼の表情は、一見和やかだが、その眼差しは真剣だった。
みちるはそんな二人のやり取りを一瞥すると、再びみやびに向き直り、厳しい口調で念を押す。
「分かったわね?」
ミヤビは苦笑混じりに頷いた。
「はい……次からはちゃんと許可を取って、イケメンも二人確保します」
その言葉に、食堂の緊張が少しだけ和らいだ。
みちるが話を戻す。
「で、本題よ。聖教の襲撃は単なる強硬派の暴走じゃない。もっと大きな意図が見え隠れしている。詳しく話しなさい」
彼女の鋭い視線が、再びつむぐに向けられる。
つむぐは箸を置き、真剣な眼差しでみちるを見返した。
「聖教の闇は深い。表向きの教義とは違い、禁忌や裏の取引が数多くある。今回の襲撃も、内部にスパイがいることも含めて、計画的な動きだ」
その重い言葉に、かけるの拳がテーブルの下で強く握りしめられた。ミヤビも静かに、両手をそっと膝の上に置いた。
「りんたろうのことも関係しているの?」
その問いかけに、つむぐは深く頷いた。
「間違いない。彼が関わった禁術も、その一端だ。これからは情報を共有しあって、連携して動くしかない」
ミヤビはテーブルの上のコップを割る勢いで拳を握りしめた。
「なら、徹底的に調べ上げて、聖教の闇を暴き出そう」
彼女の決意に満ちた声が、食堂に響き渡った。
みちるも静かに頷く。
「紡三織、協力を頼むわよ」
彼女の言葉には、警戒心がありながらも、確かな信頼が込められていた。
つむぐは軽く笑みを浮かべ、テーブルの上の茶を再び一口すすった。
「もちろん、任せてくださいよ。それなりの対価は貰うけどね」
「構わないわ。後で請求してちょうだい」
つむぐが冗談めかして茶を口に運ぶと、食堂の空気が再び静まり返った。
ただ、さっきまでの刺すような緊張とは違う。
それは、次の行動へと向かうための沈黙だった。
「……で、まずは何から手をつけるんだ?」
かけるが前のめりになり、低い声で問う。
つむぐはテーブルに肘をつき、視線を全員にゆっくりと巡らせた。
「聖教の拠点は王都だけじゃない。地下の連絡路や、信徒しか知らない集会所もある。今回の襲撃は、そのうち一つを使った可能性が高いよね」
「信徒しか知らない集会所……」
ミヤビは思わず眉をひそめる。
「その場所を突き止めるには、内部の人間から情報を引き出すしかない」
つむぐの声は落ち着いていたが、その瞳は鋭く光っていた。
とうまが腕を組み、冷静に言う。
「……幸い、昨夜の襲撃で一人、生き残りが捕まってるはずだ」
「捕虜を尋問するってことか?」
かけるが半ば呆れたように鼻で笑う。
「それは聖教と同じ手を使うってことだぞ」
みちるがカップをそっと置き、低い声で割って入った。
「方法は選ぶわ。でも情報は必ず手に入れる」
「じゃあ、俺がやるよ」
つむぐはさらりと言って、椅子の背にもたれた。
「情報屋の尋問は、騎士様の尋問とはちょっと違うからね。多分俺がやった方が早いぜ?」
その言葉に、とうまとみちるの視線が一瞬交差する。
互いに警戒と同意が入り混じった目だった。
「……分かったわ。ただし、私も立ち会う」
みちるが条件を突きつける。
「もちろん。俺だって、あなた方の信頼を得たいし、いい機会だね」
つむぐは口元に笑みを浮かべたが、その笑みの奥には計算が透けていた。
みちるは小さく息を吐き、立ち上がった。
「じゃあ、決まり。今日は捕虜から情報を引き出す」
⸻
捕虜の収監場所は、城の地下深くにある石造りの牢だった。
冷たい空気と湿った土の匂いが、階段を下るごとに濃くなっていく。
松明の揺れる炎が、石壁にゆらめく影を作った。
「ここよ」
みちるが立ち止まり、鉄格子の向こうを指さした。
そこには鎖で手足を縛られた男が、うつろな目で壁にもたれていた。
昨夜の襲撃で捕らえられた聖教の信徒だ。
顔には打撲の痕があり、衣服も血と泥にまみれている。
つむぐは静かに一歩前に出て、牢の前に立った。
その表情には、食堂で見せていた軽さは一切なく、鋭い観察の眼光だけが宿っていた。
「おはようさん。昨夜はよく眠れたか?」
低く、どこか皮肉を含んだ声。
捕虜の男は反応しない。視線すら合わせようとしない。
「……答える気はないらしいわね」
みちるが冷ややかに呟くと、つむぐは小さく手を上げた。
「いいんですよ。最初から答える奴なんていないから」
彼は腰のポーチから、小さな金属製のケースを取り出した。
パチンと開くと、中には奇妙な形の針や、小瓶に入った透明な液体が並んでいる。
「何をするつもり?」
みちるが目を細める。
つむぐは針を一本取り上げ、指先で軽く回しながら口元に笑みを浮かべた。
「尋問ってのは、痛みよりも『想像』が効くんだなぁ、これが」
「……」
捕虜の男の喉が、ごくりと鳴ったのを、ミヤビは見逃さなかった。
声は発していないのに、わずかな恐怖の色が瞳に宿る。
つむぐは牢の鍵を受け取り、中へと入る。
足音をゆっくりと響かせ、男の前でしゃがみ込む。
そして針先を、わざと男の視界ぎりぎりで揺らした。
「さて……集会所の入り口はどこにある?」
男は唇を固く結んだまま、何も言わない。
つむぐはわざと肩をすくめて見せた。
「いいんだよ。黙ってても。
俺は一晩中、こうして『話し相手』になるつもりだから」
針先が、ゆっくりと男の頬のすぐ近くをなぞる。
その動きに合わせて、男の呼吸が速くなる。
みちるは鉄格子越しに、その様子をじっと見つめていた。
冷静さを保っているが、彼女の指先はわずかに強張っている。
これはただの情報収集ではない――倫理の境界線を踏み越えようとしている瞬間だった。
「……や、やめろ……」
ついに男の口から、低く震える声が漏れた。
つむぐは針を止め、にやりと笑った。
「じゃあ、話そうか」
男はしばらく目を閉じ、唇を噛んだあと、かすれた声で呟く。
「……北翼の書庫……奥だ……鍵は……信徒しか……」
「なるほど」
つむぐは即座に立ち上がり、みちるに目で合図を送った。
彼の手際の良さは、これが初めてではないことを物語っていた。
みちるは小さく頷き、捕虜を見下ろす。
「……今の言葉が嘘だったら、その時は容赦しないわ」
彼の声に、男は怯えたように目を伏せた。
階段を上る途中、ミヤビが小声でつむぐに問いかけた。
「……あの針、本当に刺すつもりだったの?」
つむぐは前を向いたまま、口元だけで笑った。
「さあね。ただ、相手がそう思えばそれで十分だ」
その言葉に、ミヤビは複雑な表情を浮かべた。
彼をあんまり怒らせないようにしよう、と心の底からそう思った。
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