3章-第2話

デートを終えたその日の夜。

ミヤビはつむぐとともに、自室の窓からそっと中へ入り込む。

二人が体を滑り込ませたその時、部屋の中に人影が見えた。


「やっと帰ってきたか」


そこには宮廷騎士のとうまが立っていた。大変ご立腹な様子で仁王立ちしている。

つむぐが一歩下がり、軽く手を上げて挨拶した。


「初めまして。闇市で情報屋をしてます、つむぐと言います」

「またお前か」

「あっはっは、ご覧の通り育ちが悪いんでね、お姫様を誘拐させて頂きました。悪かったね」


とうまは厳しい目でつむぐを見据えた。


「宮廷内に許可なく出入りする者を見逃すわけにはいかない。その身柄を確保させてもらう」


ミヤビが慌てて間に入る。


「とうま、これは……」

「あなたは黙っていろ」


とうまは冷たい声でミヤビを牽制する。

つむぐは肩をすくめて笑った。


「物騒なこと言わないでよ。俺たちただのデート帰りだぜ?」

「私の知り合いで、情報を色々教えて貰ってたんだ。だから悪い人じゃないよ」


とうまの表情がわずかに和らぐ。


「デートか……だが、勝手に外出するのは許されない。規律は守れ」


ミヤビは小さく頷く。


「本当に申し訳ありません。今後は必ず許可を取ります」

「まぁ、こんな夜に窓から忍び込もうとする奴なんてそうそういないだろうし、勘弁してやってくれよ」


つむぐが軽口をたたく。

とうまは目をつむり、大きく息を吐いた。


「……わかった。だが次は絶対に許可を取れ。いいな」


強張っていたとうまの表情がようやく和らぎ、ミヤビは胸をなでおろすように小さく微笑んだ。


「はい、約束します」

「よろしい」


とうまが満足気に頷いた、その直後だった。

部屋の外で、何かが倒れるような大きな物音がしたかと思うと、扉が勢いよく開かれた。

驚いて振り返ると、そこには息を切らしたみちるが立っていた。


「みちる!? どうしたの!?」

「ゆっくりしてるところごめんなさいね。今すぐこっちに避難してくれる?」

「……聖教か?」


とうまの言葉にみちるは大きく頷いた。

後ろにはりんたろうとかけるの姿もあった。


「ご明察。彼らがここに襲撃してきたの」


ミヤビは青ざめさせ、目を見開いた。とうまが鋭い声で問いかける。


「敵の人数と、城内の状況は?」


みちるは切らした息を整えながら答える。


「……多すぎてわからない。ただ、相当ヤバい奴らなのは確かだわ」


みちるの言葉から伝わるのは、言い知れぬ緊張感と焦燥感だった。

ミヤビは冷たくなった指を握りしめる。


(聖教がもう……ホント、なんでこんな過激で積極的に動いてんの……?)


その時、廊下の奥から何かが倒れるような大きな音が響いた。一同はハッとして目を合わせる。


「とにかく、今は逃げなきゃ!」


みちるが叫ぶように言って、すぐに三人を促した。


「地下通路があって、そこから離宮まで抜けられるわ! 急いで!」


りんたろうは先頭に立ち、手早く壁の隠し扉を開ける。

かけるとミヤビが続いて中に入ると、背後から怒号と剣戟の音が響き渡った。


「すっげぇ、もうバレてる……」


つむぐが感心したように、苦々しく呟く。

薄暗い通路の中を進みながら、ミヤビは胸を締めつけられるような感覚に襲われた。

前を行くりんたろうの背中を追うように、三人は必死に走った。

やがて出口と思われる光が見えてきた時。


「そこまでだ」


冷たい声が前方から響いた。

通路の出口には聖教の信者たちが立ち塞がっていた。武器を持ち、殺気立っている。


「……っ!」


ミヤビは思わず息を呑む。

かけるが無意識に前に出ようとしたその時。


「下がって!」


みちるが叫ぶと同時に、彼の足元に魔法陣が現れ、鎖が数本飛んでいく。

とうまもそれに続き、剣を抜く。


「ごめんね、あなたたちは先に行って」

「りんたろう、彼女たちを頼んだ」

「畏まりました」


かけるはみちるを助けようとレイピアに手を伸ばすが、つむぐがそれを制する。


「二人に任せましょ」

「だが……」

「行って! 必ず後から追うから待ってて!」


みちるが放った一撃が信者の一人を吹き飛ばすと同時に、りんたろうがかけるを引っ張った。


「早く!」


みやびは迷ったが、つむぐに手を引かれて駆け出した。

振り返れば、みちるは次々と敵を薙ぎ払いながら時間を稼いでいる。

外に出た三人は、りんたろうと共に息を切らしながら周囲を見回した。


「ここならひとまずは安全です」


りんたろうが言ったその瞬間、ミヤビの中で疑問が溢れる。

かけるは、歯を食いしばりながら壁を殴りつけた。聖教への怒り、そして自分たちが何もできなかったことへの無力感が、拳を震わせた。


「くそっ! よりによって聖教の奴らが……!」


りんたろうは何も言わずに空を見上げている。

その静かな態度が妙に気にかかり、ミヤビは問いかけた。


「りんたろうさん……? どうかした?」


りんたろうはゆっくりと振り返り、どこか寂しそうな瞳を向けてきた。それは己の無力感を切実に感じているような、絶望に近い瞳だった。


「私が……もう一度、信じてもらいたがったばっかりに」

「何言って……?」

「申し訳ございません」


物陰から数人の人間が出てきた。ローブを纏った聖教の信者たちだ。

数え切れないほどの信徒たちが、地下通路の出口を塞いでいた。薄暗い光の中で、彼らの剣と槍が冷たく光る。

ミヤビの心臓は激しく鼓動し、逃げ道を探して視線を走らる。

かけるは腰のレイピアに手をやり、戦う構えを見せた。つむぐもそれに続き、短剣を手に取る。


「やっぱり、てめぇ聖教のスパイだったか」

「私は……」


かけるの鋭い声に、りんたろうはわずかに身を震わせた。言葉の続きはない。

信者たちの背後から、黒いフードを深くかぶった男が進み出てきた。顔はうかがえないが、その威圧感は周囲の信者たちとは一線を画していた。

男は静かに、しかし有無を言わさぬ声で命じる。


「連れていけ。抵抗するならば、手足の一本や二本切り落としても構わん」


信者の一人が、まっすぐミヤビに向かって歩み寄ってきた。無表情のまま、その手には鈍く光る剣が握られている。

かけるが前に出ようとしたその時、りんたろうが叫んだ。


「来るな!」


その叫び声が、信者の動きをわずかに止める。その隙に、りんたろうはミヤビの前に立ちはだかり、信者とみやびの間に入り込んだ。


「りんたろう!」


ミヤビの声が響く。戸惑い、そして困惑の表情を浮かべた彼女に、りんたろうは振り返る。

彼の瞳は揺れていた。迷い、葛藤、そして深い悲しみがその奥に宿っている。


「私は……もう命令に従いたくはない。聖教は変わってしまった。あなたたちも分かってるだろ!?」


信者が再び動き出す。りんたろうの言葉を聞いていた男が、苛立ちをあらわにした。


「何を迷っている。これは聖なる教えのためだ」

「何が聖なる教えだ! 星核が来てから聖教はおかしくなった! 今の聖教ははっきり言って異常だ!」

「星核の教えは絶対だ!」


男の言葉に、信者の剣が振り下ろされた。狙うは、りんたろうの背後にいるミヤビ。


「させるか!」


つむぐが叫び、短剣を投げつける。短剣は信者の剣に弾かれ、火花を散らす。

しかしもう一人の信者が、別の角度から剣を突き出す。

ミヤビを庇おうと、りんたろうは身を捩る。剣先は彼の左肩を深く抉った。


「っ……!」


激痛に呻きながらも、彼はミヤビを守るように倒れ込む。彼の傷口から鮮血が流れ出し、地面を赤く染めていった。


「りんたろう!」


ミヤビが駆け寄ろうとするが、つむぐが彼女の腕を掴んで制止する。


「動くな! あいつらに捕まるぞ!」


かけるの表情は怒りに満ちていた。


「てめぇら……よくも……!」


叫びと共に、かけるはレイピアを持ち直し、信者たちに突っ込んでいく。その動きは素早く、獰猛な獣のようだった。

一人の信者が剣を構えるが、かけるはそれを躱し、腹部をレイピアで切り裂く。別の信者が迫るが、かけるは返り討ちにするかのように、その喉元にレイピアの柄を突き立てた。

その時、背後から新たな声が響く。


「遅れてごめんなさいね!」


振り返ると、みちるが息を切らしながら立っていた。

その背後には、意識を失った信者たちが何人も倒れている。


「かける、そいつらまとめてぶっ飛ばしなさい!」

「ああ、任せろ!」


みちるの指示に、かけるは信者たちに向かって雄叫びを上げる。みちるは鎖を召喚し、信者に向かってそれらを放った。

二人は敵を次々と打ち倒していく。


「くそっ、こいつら、とんでもねぇ化け物だ……!」


黒いフードの男が後ずさり、残った信者たちに叫ぶ。


「退け! 一旦、引くぞ!」


男の号令と共に、信者たちは一斉に退却していった。

静寂が戻ってきた時、ミヤビは血だらけで倒れているりんたろうに駆け寄り、その傷口をハンカチで押さえつける。


「りんたろう、大丈夫? しっかりして……!」


りんたろうは苦しげに顔を歪めながら、かすれた声で呟いた。


「……私は、誰も傷つけたくなかっただけなんです」


彼の瞳には、涙が溢れていた。

そこに、とうまが合流する。かけるは激しい息づかいのまま、りんたろうを睨みつけた。


「りんたろう……てめぇ、スパイの分際で……」


かけるの声は震えていた。怒り、戸惑い、そして裏切られた悲しみが入り混じった声だった。

みちるは冷めた目で、りんたろうを見つめる。


「あなたがスパイだってことは、薄々気づいてたけどね。でも、まさか聖教側だったとは。どうして?」


りんたろうはただ黙って俯いている。

ミヤビのハンカチで押さえられた傷口から、血が溢れ続け、滴り落ちている。

ミヤビはかけるとみちるに訴えかけた。


「今はそんなこと話してる場合じゃないって! 早く手当をしないと、このままじゃ……」

「みやび、黙ってろ! こいつは俺たちを裏切ったんだぞ!」


しかし、かけるはミヤビの言葉を遮った。

みちるは静かに、そして鋭い声で言った。


「そうね。あなたの事情は知らないけど、私たちを危険に晒した事実は変わらない。あなたは、私たちに説明する義務があるわ」


彼女の言葉に、りんたろうは深く頭を垂れた。


「申し訳ございません……」


その謝罪の言葉は、傷ついた彼の心を表すように力なく響いた。

そんな二人を制するように、つむぐが明るい声で割って入った。


「今は、そんなことより治療が優先じゃない? このままだと、りんたろうさんの命が危ないよ」

「お願いします……命は助けてあげて」


ミヤビが懇願するように訴えかける。

彼女の言葉に、かけるは歯を食いしばり、みちるも眉をひそめた。

二人はしばらく顔を見合わせた後、小さなため息をつく。


「……まぁ、そうだな。こんなところで死なせるわけにはいかねぇか」

「そうね。話はそれからでも遅くないわ」


かけるが吐き捨てるように言い、みちるもそれに同意した。


ーーーー


りんたろうは宮廷の牢獄に連行された。傷の手当はされたが、彼にかけられた疑いは晴れていない。

そして数日後、ミヤビは一人、彼のいる近衛兵用の牢屋を訪れた。

薄暗く湿った牢獄の中で、りんたろうはぼんやりと天井を見つめていた。

ミヤビの気配に気づくと、彼はゆっくりと身を起こし、その顔にどこか寂しげな笑みを浮かべる。


「……来てくださったんですね」

「うん。顔が見たかったから」


ミヤビは格子越しにりんたろうを見つめる。

彼の肩には包帯が巻かれていたが、その顔色はまだ青白い。


「でもなんで、あんなことを……」


ミヤビが震える声で尋ねる。


「なぜ、私を庇ったの? あなたは、私たちの敵だったはずなのに」


りんたろうは静かに目を伏せる。


「私は……誰も傷つけたくなかったんです」


りんたろうは少しだけ俯きながら話を続ける。


「聖教は、僕に生きる意味を与えてくれました。ですが聖教は変わってしまいました。

目的のためなら手段を選ばない、教徒を選別して待遇を変える。そんな組織になってしまったんです」


りんたろうは深いため息をついた。


「……私は、ある禁術に手を出そうとしていました。かける様を殺すために……」


りんたろうは視線を上げ、真剣な眼差しで語った。


「聖教には、代償を払って、遠隔操作で相手の命を奪うことができる呪術があるのです。私はそれを使い、かける様を排除しようとしましたが、あなたと……つむぐ様に止められました」


りんたろうの声が震えた。


「それは許されないことでした。今晩中に命を奪えという命令に逆らった私を、聖教は……星核は許しませんでした。……それが、今回の襲撃の……原因です」


ミヤビは静かに彼を見やる。


「辛かったね。でも、話してくれてありがとう」


りんたろうは小さく首を横に振った。


「私は命令を破り、聖教から逃げ出そうとしました。それで……こうなってしまった」


りんたろうは俯いたまま、その瞳から涙を零した。

牢屋の外の鉄格子越しにしか面会できない今、彼に触れることは叶わない。


「りんたろうさん、あなたのことを信じたい。私たちが絶対に守るから、どうか諦めないで」


その言葉に、りんたろうはかすかな微笑みを返した。


「ありがとう……ございます」


扉の外、遠くで誰かが足音を立てて近づいてくる。


「おい、そろそろ時間だ。面会は終わりにしろ」


見回りの兵士の声に、ミヤビは名残惜しそうに身を引いた。


「また来るからね。必ず」


扉が閉まる音が響き、ミヤビはゆっくりと牢屋を離れた。

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