3章-第1話
ミヤビが机に向かって書き物をしていると、部屋の窓が突然、軽やかな音とともに開いた。
「おっと、失礼」
つむぐがにやりと笑いながら、部屋の中へと入り込んできた。
「つ、つむぐ!? なんで突然ここに……!」
ミヤビは驚きと、かすかな警戒の混じった表情で彼を見つめた。
「まあまあ、そんなに怖がらないでよ。今日はいい話を持ってきたんだ」
「変な話なら聞かないよ」
ミヤビは警戒心を露わにする。
つむぐは軽く肩をすくめ、楽しそうに目を輝かせた。
「聞いてよ。りんたろうさんの動きについて」
「りんたろうの……?」
ミヤビは昨晩のことを思い出していた。彼はなぜあんなところにいたのだろうか。
思惑通り食いついてきたと、つむぐは嬉しそうに言葉を続ける。
「ある程度の情報を手に入れたんだ。でもね、それを教えるには条件がある」
ミヤビは身構えながらも、興味深そうに眉を上げる。
「条件?」
つむぐは少し間を置いて、微笑を深めた。
「うん。俺と一日、デートしてくれない? って話」
ミヤビは思わず吹き出しそうになったが、すぐに顔を引き締める。
「デートって……それって冗談?」
「いや、俺は本気だぜ」
つむぐは軽くウインクし、続けた。
「ただの情報屋と依頼人の関係じゃ面白くないでしょ? たまには違う形で交流してみようよ」
ミヤビは一瞬戸惑ったが、内心では「つむぐらしいな」と思い、少しだけ笑みを浮かべた。
「わかったわ。じゃあ、その代わり、りんたろうのこと教えてね」
「もちろん! じゃ、行こうか、お姫様?」
つむぐが手を差し伸べてくる。
ミヤビは一瞬ためらったが、すぐにその手を取った。
部屋を出ると、つむぐは軽やかな身のこなしで窓から外に出る。
ミヤビもそれに続きながら、胸の中で少しだけ緊張と期待が混ざった感情が湧いていた。
「で、どこに行くの? 情報は本当にあるの?」
つむぐは振り返ってにやりと笑った。
「もちろんあるさ。まずはお茶でもしながら話そうよ。あんたが好きそうな場所、ちゃんと調べておいたんだ」
ミヤビは驚いたように目を見開いた。
「そうなの? つむぐがそんな気遣いを?」
「へへ、たまにはな。でも約束は約束だ。情報はちゃんと渡すから、しっかり聞いてよ」
二人は街の静かなカフェへと足を運んだ。
窓際の席に座り、つむぐは大きなパンケーキとコーヒーを注文する。ミヤビも同じものを頼んだ。
「んで、情報なんだけど。どうやらりんたろうさんは禁術に手を出そうとしてる」
つむぐの言葉に、ミヤビの表情が一気に硬くなる。
「禁術……?」
つむぐはコーヒーを一口飲んでから、静かに続けた。
「そ。りんたろうさんは、かけるさんを殺すために命を落とす覚悟で、その力を手に入れようとしてるっぽい」
ミヤビは息を呑んだ。かけるを殺すために? そんな恐ろしいことが本当に起きているのか。
「どうしてそんなことを……?」
「詳しい動機はまだわからない。でも、その禁術は代償が大きすぎて、普通の冒険者なら到底手を出せないものだ。りんたろうさんは何か、相当追い詰められているはずだぜ」
ミヤビは怒りと悲しみが入り混じった複雑な感情に襲われる。
「放っておけない……」
つむぐは力強く頷いた。
「だからこそ、あんたと協力して、その動きを阻止しなきゃならない。情報だけじゃなく、実際に動くときは俺も力になる」
ミヤビは決意を新たに、静かに目を見開いた。
「わかった。かけるを守るために、全力を尽くす」
二人の覚悟が、その午後の空気をさらに引き締めた。
ミヤビはしばし沈黙した後、カップを両手で包み込むように持ち上げ、つむぐをまっすぐ見つめた。
「……どうして、そこまでしてくれるの?」
その問いに、つむぐは一瞬だけ視線を逸らし、コーヒーの表面をじっと見つめた。
普段は冗談や皮肉を軽く投げてくる彼が、ほんの少しだけ口を噤む。
「……独りって、寂しいじゃん?」
ぽつりと落ちた言葉は、カフェの静かな空気に溶け込むように響いた。
ミヤビは思わず瞬きをした。
つむぐは小さく笑い、しかしその笑みはいつもの軽薄なそれではなかった。
「俺さ、小さい頃に親に捨てられてさ。気がついたら、闇市の片隅で、物盗んだり騙したりしながら生き延びてた」
「……」
「生きるのに必死で、誰も信用できなくて。それでも、夜になると……どうしても、あの真っ暗な孤独が、胸ん中に残るんだ」
つむぐの指が、無意識にマグカップの取っ手をなぞっていた。
その仕草は、彼が言葉にする以上の過去の重みを物語っている。
「りんたろうさんも、俺と似た匂いがする。あいつは今、自分を壊す方に突っ走ってる。……放っとけるわけないじゃん」
その声は、強がりの裏にある真っ直ぐさを隠しきれない響きを帯びていた。
ミヤビは胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
「……ありがとう、つむぐ」
「礼なんていいって。俺は俺で、勝手に動いてるだけさ」
そう言いながらも、つむぐは照れ隠しのように視線を窓の外に向けた。
その横顔に、ほんのわずかな優しさと寂しさが同居しているのを、ミヤビは見逃さなかった。
ーーー
「……で、次はどこへ連れて行くつもりなの?」
カフェを出て、並んで歩きながらミヤビが尋ねると、つむぐは口元を悪戯っぽく歪めた。
「ふふ、今日はちょっと刺激的な場所だぜ。姫には少し似合わないかもな」
「刺激的って……また危ないことじゃないでしょうね」
「ま、行ってからのお楽しみだ」
軽口を叩きながら、つむぐは街の表通りから外れ、路地裏へと足を向ける。
石畳は次第にひび割れ、行き交う人々の顔つきも変わっていく。
どこか鋭い目をした者、外套で全身を覆い隠した者、ふとした瞬間に姿を消す者——。
ミヤビは周囲を見回し、小さく息を呑んだ。
「……ここ、まさか」
「そ。闇市」
曲がり角を抜けると、そこは薄暗い空間にぎっしりと露店が立ち並ぶ場所だった。
布の天幕が乱雑に張られ、香辛料や煙草の匂いが入り混じった空気が鼻をつく。
武器、防具、怪しげな薬草、そして誰が作ったのかわからない魔道具——合法も違法もごちゃ混ぜに並んでいる。
つむぐはまるでホームグラウンドに帰ってきたかのように軽快な足取りで歩き、顔見知りらしい店主と軽く手を上げて挨拶する。
「久しぶりだな、つむぐ。……おや、その嬢ちゃんは?」
「俺の特別ゲストさ。今日は見せたいもんがある」
ミヤビは、少し視線を落としながらも、並ぶ品々に目を奪われていた。
「これ……全部、本物なの?」
「本物もあれば偽物もある。でも見分けられるかどうかが、この場所での生き残り方だ」
つむぐは一軒の露店の前で足を止め、古びた木箱から小さな銀細工を取り出した。
それは精巧な花の形をしたブローチで、中央には淡く光る石が埋め込まれている。
「これは……?」
「魔力を持つ護符だ。持ち主の心拍が乱れると、微弱な防御結界を張ってくれる。……まあ、俺の知り合いが造ったもんだけどな」
そう言って、つむぐはブローチをミヤビの手のひらに乗せた。
「プレゼント。……デートだからな、こういうのも悪くないだろ?」
ミヤビは一瞬言葉を失い、少し頬を赤らめた。
「……こういう時だけ、妙に格好つけるんだから」
「はは、格好つけるチャンスなんて、そうそうないからね」
その後も、二人は露店を回り、珍しい香辛料や古地図、怪しげな占いまで楽しんだ。
闇市の喧騒の中で、ミヤビはいつの間にか緊張を忘れ、つむぐの横顔を何度も見てしまっていた。
彼がこの世界で生き抜いてきた証が、この空間には息づいている。
そして、その中に自分を迷いなく招き入れてくれた事実が、妙に胸を温かくした。
ーーー
静寂に包まれた夜の宮廷。
りんたろうは、禁忌の魔法具が眠る地下へと足を踏み入れていた。
星核の命令は彼の心を締め付け、抗うことは不可能だった。迷いは消え、その瞳には硬い決意が宿っている。
地下の扉を開け、りんたろうは迷うことなく奥へと進む。古の魔法陣が光を放ち、その中心に禍々しいオーラを放つ魔具が鎮座していた。それが求めるのは、生贄の命と魂。
「これでいい……」
魔具に手を伸ばしながら、彼は小さくつぶやく。その声は、悲しみと覚悟に満ちていた。
その時、背後から鋭い声が響いた。
「待って!」
ミヤビだった。彼女はつむぐを伴い、りんたろうの前に立ちはだかる。
「りんたろう、やめて! あなたの命をそんなものに捧げちゃだめ!」
ミヤビの切実な声に、りんたろうは振り返る。彼の顔には、驚きと、そして少しの怒りが浮かんでいた。
「なぜここに……! これは私の問題です。手出しないでください!」
「あなたの問題だけじゃない! かけるの命だってかかってんだから!」
ミヤビは一歩も引かず、りんたろうをまっすぐに見つめる。その瞳には、強い意志の光が宿っていた。
つむぐが冷静に口を開く。
「りんたろうさん、星核の命令が絶対だと思っているみたいだけど、本当にそうかなぁ?」
「どういうことですか……?」
「その禁術、命を削るだけじゃない。術者の記憶、そして感情までを喰らう。もしあんたがこの術を使えば、かけるを殺すという目的は達成されるかもしれない。
だが、ミヤビとの友情、宮廷で過ごした日々が全てが消える。それは、本当にあんたが望むことなのか?」
つむぐの言葉に、りんたろうは息を呑んだ。そんな代償があるとは知らなかった。星核は、彼から最も大切なものを奪おうとしていたのだ。
ミヤビがさらに言葉を続ける。
「もう一度、私たちと一緒に考えて。きっと、もっと良い方法があるはず。あなたの命も、かけるの命も、どちらも諦めたくない」
ミヤビの言葉が、りんたろうの心を激しく揺さぶる。禁術に手を伸ばそうとする彼の腕は、震え始めていた。
「ですが……私にはもう時間がない……!」
「ううん、まだあるよ」
ミヤビは静かに、しかし力強く言った。
「時間は自分で作るものじゃない? あきらめたら、そこで終わりになる。でも、あきらめなければ道は必ず見つかる」
りんたろうの震える手が徐々に下がり、その瞳には迷いの色が戻ってきた。
消えかける寸前の声量で、りんたろうは呟く。
「あなたたちは……本当に私のことを、まだ信じてくださるのですか……?」
つむぐがにやりと笑いながら答える。
「おいおい、信じてくれなきゃ困るぜ。俺たちは敵じゃないんだから」
ミヤビはその言葉にうなずき、少し微笑んだ。
「誰かを守るために戦うのは、ひとりじゃない。私たちがいる。あなたも私たちも、大切なものを守るために力を合わせよう」
りんたろうの胸の内にあった孤独の壁が、少しずつ崩れていくのをミヤビは感じた。
「……わかりました。もう一度、あなたたちと共に戦います」
その決断に、ミヤビは力強く手を差し伸べた。りんたろうも迷わずその手を取り、固く握り返す。
ミヤビは深く息をつき、窓の外に広がる夜空を見上げた。
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