2章-第4話

夜の王宮は、昼間の喧騒を嘲るように静まり返っていた。

ランタンの揺れる炎が長い影を廊下に落とし、その影を踏みしめるように、りんたろうは一つの扉へと向かう。

彼の胸には宮廷騎士の紋章。だがその裏には、聖教の密偵という顔が隠されている。


衛兵が無言で扉を開けた先は、王宮の奥まった謁見室。

そこに座していたのは、聖教高位司祭グラーヴェ。だが、その背後に佇む人影が、りんたろうを思わず硬直させた。

漆黒の法衣をまとい、金糸で刺繍された星の紋章を胸に掲げる人物。仮面越しのその目は氷のように冷たい。

聖教の頂点に立つ存在、星核だ。


「……参上いたしました」


りんたろうは片膝をつく。

星核の声は低く、それでいて容赦のない力を帯びていた。


「紅き髪の冒険者——風間翔を、今すぐ殺せ」

「……今すぐ、でございますか」

「そうだ!」


声が雷のように響き、謁見室の空気が一瞬にして張り詰める。


「奴は我らの仲間を殺した。生かしておけば、さらなる災いを呼ぶ。どんな手を使ってでも、今夜中に始末しろ」


りんたろうは無意識に喉を鳴らしていた。


(……仲間を殺した? 大勢の信徒が消えた時は何も言及しなかったくせに……)


彼は心の奥底で、聖教の言葉すべてを信じ切れなくなっていた。

それでも、この場で異を唱えることは命を捨てるに等しい。


「承知……いたしました」


口にした言葉が、氷のように冷たく感じる。

星核はゆっくりと近づき、りんたろうの肩に手を置いた。


「お前ならできるはずだ、忠実な騎士よ。失敗は許されぬ」


その手の重みは、命令以上に彼の胸を締め付ける。

りんたろうは深く頭を垂れ、謁見室を後にした。

廊下を歩くたび、耳の奥で星核の声が反響する。

——どんな手を使ってでも、今夜中に。

りんたろうは駆け足で廊下を走り出した。


ーーーーー


王宮の回廊は、夜更けの静けさに包まれていた。

薄く灯るランタンが等間隔に並び、白い大理石の床に淡い光と影を織りなす。

りんたろうは足早に歩いていた。星核の命令が頭の奥で何度も反響する。


曲がり角に差し掛かったその時、足音と共に人影が現れた。

着物に羽織を重ねたミヤビが、廊下の向こうからこちらに歩いてくる。


「……あれ、りんたろうさん?」


彼女は少し意外そうに首をかしげ、すぐに笑みを浮かべた。


「こんな時間にお出かけ? かけるなら、たぶんもうぐっすり寝てるよ」


声色は軽く、探るというより冗談めかした調子だった。


「……彼のところへ行く訳じゃありませんよ」


りんたろうは短く返し、そのまま通り過ぎようとする。

しかしミヤビは半歩前に進み、自然な動きで彼の歩みを止めた。


「そう? でも、もし困ってることがあるなら、私に言ってくれてもいいんだよ?」


柔らかな笑顔のまま、ほんの少しだけ真剣な色を瞳に宿す。


「せっかく同じ屋根の下にいるし。頼られたら、ちゃんと力になるからさ」


りんたろうはしばらく黙って彼女を見た。

星核の命令と、目の前の少女の言葉が胸の奥でせめぎ合う。

まるで迷って揺れている心を見透かされているようだ。


「……あなたは、不思議な方ですね」

「褒め言葉として受け取っとく」


ミヤビは小さく笑い、少しだけ身を引いた。

りんたろうは視線を逸らし、低く「今夜は行きません」とだけ告げると、ミヤビの隣を通り過ぎた。

しかし、その足は廊下の闇に踏み出すのを躊躇うように、一瞬だけ止まる。彼の脳裏には、星核の冷たい命令と、ミヤビの柔らかな笑顔が交互に浮かんでいた。

その背をミヤビはじっと見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る