2章-第3話

星祭の喧騒が収まった翌朝、ミヤビは宮廷の中庭を歩いていた。

ゴシック様式の尖塔と鳥居が共存する庭園は、朝霧に包まれ、静謐な空気が漂う。

石畳に沿って並ぶ提灯の残骸が、昨夜の華やかさを思い出させた。


ミヤビの心には、祭りの夜の出来事が焼きついていた。かけるが聖教の刺客を一瞬で薙ぎ倒した姿と、彼がかつて聖教に捕まり、見せしめにされていた弱々しい姿のギャップ。


「やあ、ミヤビさん。こんな朝早くに宮廷の庭をうろつくなんて、物思いにふける乙女の気分かな?」


軽やかな声が響き、ミヤビは振り返った。

中庭の桜の木の下に、つづるが立っていた。和服に洋風のマントを羽織り、扇子をくるくると回す、世界日報の特派員だ。

狐のような笑みを浮かべた顔は、どこか人を食ったような魅力に満ちていた。


「つづる……!」


ミヤビは胸を押さえ、軽く睨んだ。


「こんなところで何してるの? また怪しい噂集め?」

「ハハ、さすが鋭いですね。噂は世界を動かす燃料ですから」


つづるは扇子を閉じ、ミヤビに一歩近づいた。

朝霧が彼のマントの裾を濡らし、どこか神秘的な雰囲気を漂わせる。


「でも、今日は特別な話があるんだ。特ダネですよ」

「特ダネ?」


ミヤビは眉をひそめた。世界日報の「特ダネ」は、真実と偽りが混じる危ういものだと知っていた。だが、つづるの目に宿る真剣な光に、彼女は身構えた。

つづるは周囲を見回し、中庭に衛兵がいないことを確認してから声を落とした。


「風間翔のことだ。あの男、聖教の聖徒を手にかけたって話、知ってる?」


ミヤビは思わず顔を上げた。


「聖徒を……? それって、かけるが聖教に捕まった理由?」

「その通り」


つづるは扇子で軽く自分の顎を叩き、ミヤビを値踏みするように見た。


「聖徒——それも、ただの信者じゃなく、トップに近い高位の者さ。かけるがどういう経緯でやったのか、詳細はうちの情報網でも掴みきれていない。だが、聖教はそれを理由に見せしめにしたがってる。報復ってわけだ」


ミヤビは息を呑んだ。祭りの夜、かけるが聖教の刺客を一瞬で倒した姿が脳裏に蘇る。

まるで鬼神のような動き。あんな力を持つ人が、なぜ聖教に簡単に捕まったのか。

つづるの言葉は、ミヤビの疑問に新たな影を投げかけた。


「でも……どうしてそんな話を私に?」


ミヤビはつづるを見た。


「世界日報って、情報を売るか、操作するかのどっちかでしょ?」


つづるはくすりと笑い、扇子を開いて顔の半分を隠した。


「ミヤビは相変わらず疑い深いですね。でもまあ、そういうところは嫌いじゃない」


彼は一歩近づき、声を低くして皮肉めいた口調で続けた。


「でも、君が保護してるその男、相当危険ですよ。

聖徒を殺めるような男に、こんな可愛い子が近づくなんて、危なっかしくてとても見てられない。君が彼から離れた方がいいんじゃないですか?」

「よく言うよ」


ミヤビは苦笑いを浮かべる。


「かけるはそんな人じゃない」

「そうですか」


つづるは笑いながら扇子を振ったが、目には一瞬、本気の心配が浮かんだ。


「冗談はさておき、忠告しておきますよ。かけるは聖教の標的だ。いくら異端の魔女様とはいえ、数が多すぎる」


ミヤビは言葉に詰まり、つづるの真剣な視線に胸がざわついた。

彼の軽薄な態度と、時折見せる真摯な表情のギャップに、ミヤビはどう反応していいかわからなかった。


「もし、かけるのことで何か知りたくなったら、僕を頼ってください。世界日報は噂を流すだけじゃない。真実の鍵も握ってる」


つづるはそう言うと、扇子を一振りし、桜の木の影に消えた。

ミヤビは立ち尽くし、つづるの言葉とかけるへの疑問が混ざり合うのを感じた。確かめるには、かける本人に聞くしかない。

ミヤビは決意を固め、宮廷の廊下を抜けてかけるの部屋へと向かった。


ーーーー


ミヤビは勇気を出してかけるの部屋を訪れた。

豪華だが整然とした部屋の中で、かけるは窓際に立っていた。つづるの言葉——聖教の神官を殺したという噂が、ミヤビの頭を離れなかった。


「どうしたんだ? こんな時間に」


振り向いたかけるの表情は、いつもより硬かった。祭りの夜、聖教の刺客を圧倒した姿と、聖教に捕まっていた時の無力な姿。

そのギャップが、つづるの話と重なり、ミヤビの胸をざわつかせた。


「昨日のこと……ちょっと気になって」


ミヤビは慎重に言葉を選びながら近づいた。

かけるが小さく息を吐いた。


「何が気になる?」

「だって……祭りの時のあのかけるの強さと、聖教に捕まった時の状況、ぜんぜん違うじゃん?」


ミヤビはつづるの言葉を思い出し、続ける。


「それに……噂を聞いちゃって」

「噂?」

「聖教の聖徒を殺したって噂、本当なの?」


一瞬の沈黙。かけるの瞳に暗い影が落ちた。

ミヤビは自分の言葉が彼を傷つけたかもしれないと後悔したが、引き下がれなかった。


「単なる偶然だろ」


かけるの声は冷たく、ミヤビの心を突き刺した。


「偶然なんかじゃない!」


ミヤビは一歩踏み出し、声を強めた。


「かける、聖教に捕まったのだって、ただじゃなかったんでしょ? 何か隠してるよね?」


かけるは窓の外へと視線を向けたまま、静かに息を吐き出す。

その背中からは、いつも明るい彼からは想像できない、重苦しい空気が漂っていた。ミヤビの心臓が、不安と期待で激しく脈打つ。


「……ミヤビ」


ようやく発せられた声は、凍りついたように冷たく、聞き慣れないものだった。


「お前には関係ないことだ」


突き放すような言葉に、ミヤビは思わず息を呑んだ。

彼の声には、まるで自分に近づくなと警告するような、明確な拒絶の響きがあった。


「そんなことない」


ミヤビはそれでも、引き下がれなかった。


「だって、私たち仲間でしょ? 仲間が困っているなら、知りたいし、力になりたい。昨日の夜みたいに、急に襲われるかもしれないし……」


ミヤビの言葉が途切れる。かけるがゆっくりと振り返り、その瞳がミヤビを射抜いた。

いつもの柔らかな光はなく、感情の読めない、深い闇を湛えている。


「俺は、俺の都合で動いている。お前らを巻き込むわけにはいかない」

「もう巻き込まれてる!」


ミヤビは感情を抑えきれず、叫んだ。


「この話が本当なら、あなたは聖教に狙われている。私たちもいつ、その報復に巻き込まれるかわからない。そんな状況で、何も知らないままなんて、嫌だ!」


かけるは沈黙したまま、窓の向こうの庭園を見つめている。彼の肩が、微かに震えているように見えた。


「お願い……話してくれない?」


ミヤビは声を震わせながら、かけるの腕に手を伸ばした。

指先が彼の腕に触れた瞬間、かけるは反射的に体を強張らせ、一歩遠ざかる。


「……っ!」


かけるの行動に、ミヤビはショックを隠せない。

彼はミヤビの視線から逃れるように、背を向けたまま言葉を紡いだ。


「聖徒を手にかけたのは事実だ」


静かに、しかしはっきりと告げられた事実に、ミヤビは息を呑んだ。

かけるはそのまま、絞り出すような声で続ける。


「……そいつが、俺の命を狙ってきた時だ。俺の頭の中に、声が響いたんだ」

「声……?」


ミヤビは困惑しながら、かけるの背中に語りかける。


「ああ。『殺せ』って……その声に、力が制御できなくなった。あいつは……俺の力が暴走して、勢い余って……殺してしまった」


かけるの告白に、ミヤビは言葉を失った。

聖徒を手にかけたのは、かけるの本意ではなかった。

彼の中で何かが暴走し、その結果として、命が奪われたのだ。

恐らくは自律した物語の干渉だろう。

ミヤビが考え込んでいると、かけるが囁くように言った。


「俺は、お前らといる資格なんてないんだ」


その声には、ミヤビを遠ざけようとする拒絶と、それでもそばにいてほしいと願うような、矛盾した感情が混じっていた。

彼は、再び誰かを傷つけることを恐れている。その葛藤が、ミヤビには痛いほど伝わってきた。


「でも……かけるは、望んでやったんじゃないんでしょ?」


ミヤビの言葉に、かけるは力なく首を振った。


「望んでなくても、結果は同じだ。俺は、俺の力を制御できなかった。もし、あの時、俺が抵抗していれば……」


かけるの声はそこで途切れた。

その姿は、祭りの夜に見せた鬼神のような強さとはかけ離れた、ただただ深い後悔に苛まれる少年のようだった。


「だから、聖教に捕まった時、抵抗しなかったんだ。当然の報いだって、そう思ったから……」


彼の言葉に、ミヤビは彼の心の奥底にある痛みに触れた気がした。罪の意識。自責の念。

ミヤビは、かけるの過去に隠された本当の悲しみに触れた気がした。


「かける……」


ミヤビがそっとかけるの腕に触れると、彼は小さく身震いした。


「……離れてくれ」


彼の声はか細く、懇願するようだった。しかし、その声とは裏腹に、ミヤビの手を振り払おうとはしない。

彼女はかけるが自分を拒絶しているのではないことを理解していた。

ミヤビはかけるの腕に触れたまま、そっと自分の指先に力を込めた。

逃げようとする力は感じられない。ただ、彼の体が微かに震えている。


「……かける」


低く呼びかけると、かけるはゆっくりと顔を伏せた。

その横顔には、笑みでも怒りでもない、ただ弱さだけが滲んでいる。


「怖いのは……わかるよ」

「……何が」

「また誰かを傷つけること。でしょ?」


かけるは返事をしない。

ミヤビは迷うことなく一歩踏み込み、彼との距離を縮めた。


「でも、それを止められるのは、きっとあなたじゃない」

「……?」

「私だよ」


まっすぐな視線を向けられ、かけるは目を見開いた。

彼女の声は震えていない。

不思議なほど穏やかで、芯が通っていた。


「あなたが暴走しそうになったら、絶対に止める。私、逃げないから」


かけるは唇を開きかけ、しかし何も言えずに閉じた。

ミヤビの言葉は、理屈じゃなく心に突き刺さる。

その真剣さに、ふっと力が抜けたように肩が落ちる。


「……そんなこと、言って後悔するぞ」

「後悔しないよ。だって、私……かけるのこと、信じてるから」


静かな間。

やがて、かけるはふっと笑った。

それはいつもの軽口混じりの笑みとは違い、どこか照れくさそうで、弱々しい。


「……ほんと、変なやつ」

「よく言われる」


ミヤビも微笑んだ。

朝の光が窓から差し込み、二人の間の空気を柔らかく照らす。

かけるの緊張が、少しずつほどけていくのがわかった。


(大丈夫。絶対にハッピーエンドで終わらせてみせる)


ミヤビは心の中で静かに誓った。

その決意を胸に、ミヤビはかけるの手をそっと握る。

彼はわずかに驚いたが、拒むことなく、その手を受け入れた。

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