2章-第2話
大陸の最後に文明が花開いた国、和国アストラル。
そこは、ヨーロッパのゴシック建築と日本の伝統的な町家が共存し、提灯の明かりが石畳を照らす、和洋折衷の美が息づく世界だった。
尖塔のそびえる宮殿の隣には鳥居が立ち、和太鼓の響きがフルートの旋律と溶け合う。着物に洋風のコートを羽織る人々が行き交い、魔法と蒸気技術が日常を彩る。
魔力を宿し、陰陽道と錬金術が交錯するこの国は、伝統と革新が織りなす独特の魅力に満ちている。
だが、その華やかな表層の下には、複雑な勢力争いが渦巻いている。アストラルの政治は宮廷が担う。
聖教は、ヨーロッパの一神教に似た厳格な教義を持ち、聖堂のステンドグラスには日本の神々の意匠が刻まれる。
この聖教を背景に、宮廷は国政を司るが、現在は内部で激しい対立が続いている。貴族派と騎士団、それぞれが国の未来を巡り火花を散らし、宮廷は一触即発の緊張状態にある。
一方、都の外縁には、秩序の及ばないスラム街が広がる。ここでは、闇市が第三の勢力として暗躍する。
何でもありの無法地帯では、魔法の禁制品や蒸気機械の闇取引が横行し、金さえあればどんな望みも叶う。闇市は宮廷の統制を嫌い、独自のルールで動き、時に宮廷すら脅かす力を秘めている。
そして、もう一つの影の勢力「世界日報」。和の宗教組織に端を発するこの団体は、情報統制を武器にアストラルの裏側を操る。
神道と陰陽道の伝統を背景に、噂や偽情報を巧みに流し、民衆の意識を誘導する。その影響力は宮廷や闇市にも及び、誰もがその動向を警戒する存在だ。
世界日報の名は、囁かれるだけで人々の表情を曇らせ、街の空気を一変させる。
そんなアストラルの混沌をよそに、城下町では今日、年に一度の『星祭』が盛大に開かれている。
提灯とランタンが夜空を彩り、和太鼓とオーケストラが響き合う。屋台からは焼きそばやリンゴ飴の香りが漂い、子供たちが花火を手に笑いながら走り回る。
宮廷の重苦しい空気も、聖教の過激な祈祷も、今日だけは遠い世界の話だ。
ミヤビは人混みに疲れ、少し離れたところで休んでいた。
隣には、いつも通り寡黙な護衛のとうまが、無言で周囲を警戒しながら立っている。
提灯の明かりが石畳に揺れ、遠くの花火の音が夜空を彩っていた。
「人混み、苦手か?」
とうまが低い声で尋ねる。視線はミヤビから外れ、路地の暗がりを鋭く見据えている。
「うん、ちょっとね。……でも、とうまは平気なの? 疲れない?」
ミヤビは少し拗ねたように首を傾げ、彼を見上げた。
「俺の役目はあなたたちを守ることだ。疲れる暇はない」
淡々とした言葉。だが、そのまっすぐな視線に、ミヤビは胸の奥がほのかに温まるのを感じた。
言葉は少なくても、彼の存在はいつも彼女に安心を与えてくれる。
その時、路地の奥から軽やかな足音が近づいてきた。月色の瞳がきらめく青年――闇市の情報屋、つむぐだ。
「やぁ、姫。こんな静かな場所で一人なんて、珍しいね」
つむぐは悪戯っぽい笑みを浮かべ、ミヤビに近づく。
その瞬間、とうまの体がわずかに硬直し、鋭い視線でつむぐを睨みつけた。
「一人じゃない。護衛付きだ」
とうまの声には明らかな警戒が滲んでいた。
つむぐはそんなとうまを面白そうに見つめ、挑発するように笑った。
「なんだ、いたんだ? まぁ、いいや」
そう言うと、つむぐはひらりとミヤビの手元に小さな紙片を滑り込ませた。
「知りたければ、俺を追いかけておいで」
とうまが紙片を奪おうと手を伸ばすが、つむぐはまるで風のように身を翻し、動きをかわした。
「なにこれ……」
ミヤビが困惑して顔を上げる。
夜空に色とりどりの花火が咲き乱れ、その光と音の隙をついて、つむぐは闇に紛れて姿を消した。
「……何だ、あいつ」
とうまが苛立ちを隠さず呟き、ミヤビの手から紙片をそっと取り上げた。紙に書かれた文字を一瞥し、眉をひそめる。
「これは……」
「何? 何て書いてあるの?」
ミヤビは不安げに尋ね、とうまから紙片を受け取った。
『今夜、星の下で動くのは宮廷だけじゃない』
胸騒ぎを覚えたミヤビは、紙を握りしめ、急いで広場へと駆け出した。
「みちる! かける! どこ!?」
人混みをかき分け、ミヤビはようやく広場の隅で古書を手にゆったりと歩くみちるを見つけた。
「ミヤビ? とうまも? どうしたの、二人ともそんなに慌てて」
みちるは落ち着いた声で尋ね、片手に持った本を閉じる。ミヤビは息を切らしながら紙片を差し出した。
「つむぐが……えっと、情報屋がこれを渡してきたの」
紙片を見たみちるの表情が一瞬で険しくなる。
「なるほどね?」
「宮廷以外に動く勢力がある、ということか」
とうまが冷静に言葉を継ぐ。ミヤビは不安そうに周囲を見回した。
「それより、かけるは? どこに行ったの? さっきから見かけてないんだけど……」
「かけるなら、きっとくじ引きか何かで夢中になってるんじゃない?」
みちるが軽く笑って言うが、ミヤビの不安は消えない。その時、遠くの路地から物音と叫び声が響いた。
「あれ、かけるの声じゃない!?」
ミヤビが叫び、三人は顔を見合わせると、声のする方へ一斉に駆け出した。
路地裏に飛び込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。かけるは剣を抜くことなく、最小限の動きで襲撃者たちを翻弄していた。
彼の拳の一撃は、まるで人形を投げ飛ばすかのように軽々と敵を吹き飛ばし、次々と地面に転がしていく。
普段の楽天的な笑顔からは想像もつかない、冷たく研ぎ澄まされた動きだった。
まるで舞うように敵を翻弄する姿に、ミヤビは息を呑んだ。
「かける!」
ミヤビの叫びに、かけるがようやく振り返る。
その瞬間、冷たい光が瞳から消え、いつもの柔らかな笑顔が戻った。
「ミヤビ! とうま、みちるも! 心配かけてごめん、ちょっと道に迷っちゃってさ」
軽い口調で笑うかけるに、とうまが鋭い視線を向ける。
「道を迷って、こんな状況になるか? 説明しろ」
「はは、ほんとだよ! 祭りの人混みでうっかりな」
かけるは苦笑いしながら肩をすくめる。
とうまは倒れた襲撃者の一人に近づき、冷たく尋ねた。
「誰の命令だ?」
刺客は震える声で答えた。
「……言えない。俺は、俺は……!」
だが、言葉は最後まで続かなかった。刺客の首筋に刻まれた呪印が突然光り、彼は泡を吹いて倒れた。口封じの呪印――その存在に、とうまが舌打ちする。
「ちっ、こんなものまで用意してるのか…」
ミヤビはかけるにそっと近づき、ためらいながら尋ねた。
「ねぇ、かける。こんなに強いのに、なんで捕まったの? 前もそうだけど……本当に、ただの油断?」
かけるは困ったように笑い、頭を掻いた。
「ほんとだよ。祭りの雰囲気に浮かれて、ちょっと隙を見せちゃっただけだって」
その言葉に、ミヤビは納得できなかった。
かけるの瞳の奥に、ほんの一瞬、悲しげな影が揺れたように見えたからだ。
ミヤビはさらに問いかけようとしたが、それより先にみちるが静かに言った。
「さてと。とりあえずここを離れましょうか。宮殿に戻る前に、この辺りも調べておく必要がありそうだしね」
その言葉に全員が頷き、路地の奥へと歩き出す。
けれどミヤビは、まだ心の中に引っかかる違和感を抱えたままだった。
「かけるの本当の強さって……一体どんなものなの?」
ミヤビが心の中で問いかけたその時、ふと背後から冷たい視線を感じた気がした。
振り返ると、路地の角にぼんやりと光る影があった。
それはまるで祭りの提灯のような優しい光――いや違う。
もっと妖しく、そして不気味な輝き。まるで誰かの意思が宿っているかのようだった。
だが、それもすぐに消えてしまった。
「どうした?」
「……なんでもない。行こ」
ミヤビは小さく首を振り、一行と共に路地を後にした。
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