作者の私がハイスペックなイケメンたちに溺愛される不遇少女に転生したのにそれどころじゃない。
秋空月
プロローグ
『冷たい石畳の広場の中央、巨大な磔台に、見慣れた紅い髪が力なく垂れていた。
ミヤビは息を呑む。こんな展開、書いた覚えはない。
数日前まで一緒に冗談を言い合っていた仲間が、無残に磔にされている。体には無数の裂傷、乾ききった血の黒い筋。
広場を囲むのは、聖教の白い法衣を纏った信徒たち。握りしめた聖典から低い声で祈りを紡ぎ、冷たい視線をミヤビに突き刺してくる。
「かける!」
叫びは祈祷にかき消されそうだった。磔の彼は朦朧としながら顔を上げるが、焦点の合わぬ瞳は宙を彷徨うばかり。
足元には血に染まった羊皮紙。拾い上げた瞬間、胸の奥で嫌な予感が膨らむ。
『魔女に従い、星の導きに背く者は処刑されるべし。
星核の秩序を乱す者は、必ず滅びる』
読むや否や、ミヤビの背筋に冷たい刃が走った。
星核ってなんだ? 星の導きって何? どうしてただの異世界風恋愛小説が、こんな悲惨な状況を作ってるんだ?
(勝手に……勝手に設定を足すなよ! 作者の私すら知らない展開なんて、許されるか!)
怒りは恐怖と混じり、胸の奥で燃え上がる。
自分はこの世界の作者だ。自分の物語である限り、書き換えられるはずだ。
「逃げろ……」
かけるが掠れた声で告げた瞬間、聖教の一人が前に出る。
不気味な瞳孔がミヤビを射抜き、感情の欠片もない声で告げる。
その瞬間、遠くから甲冑の擦れる音が響き、慌ただしい足音が広場に近づいてくる。
「広場で騒ぎを起こすとは何事だ!」
厳つい声が響き渡り、宮廷の紋章が入った鎧を纏った男たちがミヤビと聖教の信徒たちの間に割って入った。
騎士団長らしき男が聖教の司祭と口論している。
互いに大声で罵り合い、聖教の信徒たちは祈りの声をさらに大きくし、騎士たちは剣の柄に手をかける。
彼らの声は、ただ騒がしいノイズとしてミヤビの耳に届く。その間も、磔台のかけるは意識を失ったまま、力なく頭を垂れている。誰も彼の苦痛を気に留めていない。
誰も、この物語の真の危機を理解していない。
目の前で繰り広げられる茶番に、ミヤビは吐き気がするほどの違和感を覚える。
(ふざけるな……私の世界だぞ。お前らの好き勝手にさせてたまるか……!)
羊皮紙が手の中で熱を帯びた。
燃え上がる炎が聖なる宣告を灰に変えると、信徒たちの列に動揺が走る。
「君、一体何を……?」
宮廷騎士の一人がミヤビへ声をかける。しかしミヤビはそれに答えない。
胸の奥で何かが書き換わる音がした。
——こんな場面、あっていいはずがない。
ミヤビは無意識に両手を広げる。白く暖かい光が指先から広がり、広場全体を飲み込む。
光に飲まれた信徒や宮廷騎士たちは一瞬で霧散し、残ったのは磔にされたかけるだけだった。
ミヤビは駆け寄り、かけるを抱き起こす。
「マジで死なないでよ……!? うちの子死ぬとかほんとありえないんだから……!」
背後に、夜空へ続く階段が現れる。非常口のように、淡い緑の光が縁を彩っていた。
躊躇なく彼を抱えて飛び込み、辿り着いたのは朽ちた図書館。
そこに立っていたのは、自分と瓜二つの女。深い蒼色の瞳を持つ存在。
「ようこそ、構成者の書庫へ、継ぎ手よ」
女は静かに告げる。
「……あなたは誰?」
ミヤビは、かけるの肩に手を添えたまま問いかけた。
女は静かに微笑む。
「私はアーキライター。構成者の書庫において、物語の継ぎ目を紡ぎ、崩れた秩序を織り直す者の案内役」
その声は紙をめくるように優しく、それでいて無慈悲な響きを帯びていた。
「あなたがこの世界に介入したとき、一つの矛盾が生まれた。書かれたものと、書かれなかったもの。記された未来と、記されなかった運命。その綻びが拡がり、物語は『自律』を始めたの」
ミヤビは唇を噛む。
「つまり、これは私が『書かなかったから』起きたってこと?」
「書かなかった。あるいは書けなかった。理由は問わない。だが、あなたが空白を残したことは事実。そして、その空白は利用され、歪み、あなたの物語を塗り潰している」
「……ふざけんな。私が作ったキャラクターを、勝手に殺していいなんて誰が言ったよ」
ミヤビの声は低く震えていた。怒りと悔しさ、そして妙な使命感が胸を満たしていく。
アーキライターは静かに首を振る。
「あなたがこの書庫に辿り着いたのは、偶然ではない。空白を修復できるのは、空白を生み出した者だけ。だが、覚えておきなさい。
『編者』は作者ではない。神でもない。あなたは物語の外から支配するのではなく、中に潜り込み、傷口を縫い合わせる者となる」
「……それが、編者?」
「そう。世界の異端。物語の罪を背負い、矛盾を裁き、断ち切れなかった運命の続きを紡ぐ者」
アーキライターは手を差し出した。その掌に、小さなまばゆい光が宿る。
「これは編者の力。存在しない展開の存在を『無かったこと』にする力。先程あなたが利用した力」
ミヤビは反射的にかけるを見た。
その顔は血の気が失せ、浅い呼吸を繰り返している。徐々に伝わる鼓動が弱くなり、体温が低くなってきている。
こんな状態で『物語の続き』なんてあってたまるか。
「……もっかい見せてよ、その力」
声は挑戦的だった。アーキライターはわずかに口角を上げ、光を彼に向けて放つ。
瞬間、かけるの全身が白い輝きに包まれた。深く刻まれた裂傷は音もなく閉じ、血は逆流するように傷口へ戻り、服さえも元通りになっていく。
苦しげだった呼吸が落ち着き、顔にわずかに色が戻った。
彼はまだ意識はないが、確かにもう死の淵にはいない。
「編者は奇跡を起こす者ではない。あくまで異物。物語の正しい形を、意志を持って選び取る者だ。あなたが望めば、この力を使える」
ミヤビは立ち上がり、アーキライターを真っ直ぐ見据えた。
「分かった。もう逃げない。読者でもなく、ただの作者でもなく、編者として。私が作ったキャラクターたちの人生を最後まで描き切ってやる」
アーキライターはゆっくりと頷き、本を差し出した。白紙だったページに、青白い文字がひとりでに書き込まれ始める。
「良い覚悟だ、継ぎ手。これからあなたは、壊れた物語を渡り歩き、断片を拾い集め、編み直す。その旅の中で、あなた自身も物語に試されることになる」
ミヤビは迷わず本を抱き締め、かけるのそばに膝をついた。
「……大丈夫。どんなにめちゃくちゃになってても、最後にはちゃんと『完』を打ってやる」
アーキライターの姿は、紙の破片のように静かに空気へと溶けていった。
その声だけが、残響のように響く。
「良い旅を」
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