第8話「元同級生と、隠された嘘」

その日の夕方、沙優は買い物に出かけていた。吉田から頼まれた醤油を買いに行くついでに、ちょっとした散歩だ。最近は、外に出るのが楽しくて仕方がない。この家に来たばかりの頃は、外に出るのが怖かったのに。


「……あれ?沙優?」


突然、後ろから声をかけられた。沙優が振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。中学時代の同級生だ。


「え……ひさしぶり……」


沙優は、思わず声を詰まらせる。彼女は、中学時代、沙優と仲が良かった友達の一人だった。


「沙優!久しぶりじゃん!元気だった?」


同級生は、満面の笑顔で沙優に駆け寄る。沙優は、その笑顔に、どう答えればいいのかわからなかった。


「あ、うん……まあね」


「よかった!沙優、中学卒業してから、全然連絡取れなくて、心配してたんだよ!」


「ごめん……ちょっと色々あって」


「そっか。ねえ、今何してんの?どこの学校に行ってるの?」


同級生の無邪気な質問に、沙優は言葉を詰まらせる。正直に「家出して、知らないおじさんの家にいる」なんて、言えるはずがない。


(どうしよう……)


沙優の頭の中で、思考が暴走を始める。


(嘘をつくしかない。でも、どんな嘘をつけばいい?親戚の家で暮らしてる?それとも、もう一人暮らしを始めてるって言う?いや、そんなの、信じてもらえるかな……)


「えっと……今、親戚の家に住んでて。学校は、バイトしながら、通信制の学校に通ってるんだ」


沙優は、咄嗟に嘘をついた。嘘をつくことに、少しだけ胸が痛む。


「へえ!すごいじゃん!相変わらず頑張り屋なんだね!」


同級生は、沙優の言葉を疑うことなく、笑顔で褒めてくれる。その笑顔が、沙優の心をさらに締め付ける。


「じゃあ、また連絡するね!今度、みんなでご飯でも行こうよ!」


そう言って、同級生は沙優に別れを告げた。沙優は、その場に立ち尽くし、何も言えなかった。


家に帰り、沙優はリビングのソファに座り込んだ。いつもなら、吉田に「ただいま!」と元気に挨拶するところだが、今日はその気になれない。


(なんで、嘘をついちゃったんだろう……)


吉田との生活を、正直に話すのが怖かった。吉田に迷惑をかけるかもしれない、そう思ったからだ。


「ただいまー」


吉田が帰宅し、沙優の様子を見て、少しだけ眉をひそめた。


「沙優、どうしたんだ?顔色が悪いぞ」


吉田の優しい声に、沙優は何も答えられなかった。


「なんか、あったのか?」


吉田は、沙優の隣に座り、優しく声をかける。沙優は、躊躇しながらも、同級生と再会したこと、そして、吉田との生活を隠してしまったことを、ポツリポツリと話し始めた。


「……私、吉田さんのこと、親戚だって嘘ついちゃいました」


沙優は、そう言って俯いてしまう。その瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。


「……そうか」


吉田は、何も言わずに、沙優の話を黙って聞いていた。


「ごめんなさい……吉田さんとの生活が、誰かに知られるのが怖くて。でも、吉田さんは、何も悪いことしてないのに……」


沙優は、嗚咽を漏らしながら、吉田に謝る。


吉田は、そんな沙優の頭を、優しく撫でた。


「別に、謝る必要はないだろ。お前がそうしたかったなら、それでいいんだ」


「え……?」


沙優は、驚いたように顔を上げる。


「無理に、俺との生活を話す必要はない。お前が、誰かに話したいって思うまで、俺は待つから。だから、もう泣くな」


吉田の言葉に、沙優は、再び涙を流す。だが、今度は、安堵の涙だった。


「……はい」


沙優は、そう言って、吉田の胸に顔を埋めた。


その夜、吉田は、沙優の温かい寝顔を見ながら、改めて思う。沙優が、この家での生活に、少しずつ、確かな居場所を見つけてくれている。そして、その居場所を、必死に守ろうとしている。


(いつか、沙優が、この生活を、嘘じゃなく、本当だと言える日が来るといいな)


吉田は、そう願いながら、静かに目を閉じた。

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