第2話「男の手料理と、不器用な優しさ」

休日。吉田は朝から妙にソワソワしていた。今日は土曜日。沙優は休みで、リビングで漫画を読んでいる。この平和な光景こそが、自分の求めていた日常そのものだ。


「……よし」


吉田は意を決したように立ち上がると、台所へ向かう。沙優は漫画から顔を上げて、不思議そうな表情でその背中を見つめた。


「どうしたんですか、吉田さん?」


「いや、たまには俺が作ってやるかと思ってな」


「え、ご飯ですか?」


沙優の顔に、驚きと少しの戸惑いが浮かぶ。吉田は「ああ」と頷くと、エプロンを引っ張り出して身につける。なんだか、いつもより腕まくりに力が入っている気がする。


「今日は男のロマンを詰め込んだ料理だ。楽しみにしてろ」


「男のロマン……」


沙優は、どこか遠い目をして呟いた。吉田はそんな沙優の様子に気づくことなく、まな板と包丁を手に取り、料理本を開く。今日のメニューは、男の手料理の定番、カレーライスだ。


「よし、まずは玉ねぎとニンジンを切るか」


吉田は料理本を真剣な顔で読み込む。沙優はそんな吉田の姿を、少し離れた場所から見守っていた。料理本に書いてある通り、玉ねぎをみじん切りにし、ニンジンを乱切りにする。ここまでは順調だった。


しかし、次第に吉田の料理は、吉田イズムとでも呼ぶべき独自の進化を遂げていく。料理本には「炒める」と書いてあるのに、彼は「強火で一気に仕上げるぜ!」と意気込み、玉ねぎを真っ黒焦げにしそうになる。調味料を計量スプーンで計るはずが、「まあ、こんなもんだろう」と目分量でドバドバと入れる。


沙優は、そんな吉田の独創的な調理風景を、最初は微笑ましく見ていた。だが、次第にその顔から笑顔が消えていく。


(なんか……料理の匂いが、いつもと違う気がする)


スパイスの香ばしい匂いではなく、なんだか焦げたような、ツンとした匂いがする。沙優は「吉田さん、大丈夫ですか?」と声をかけようとするが、吉田の真剣な表情を見て、言葉を飲み込んだ。


吉田は、男のロマンを追求することに夢中で、沙優の不安な視線に全く気づいていない。そして、いよいよカレーが完成に近づいてきた。


「どうだ沙優!美味そうだろう!」


吉田が自信満々に鍋の蓋を開ける。沙優は、恐る恐る鍋の中を覗き込む。そこには、茶色い液体の中に、なぜか真っ黒になった玉ねぎと、やたらと大きなニンジンの塊がゴロゴロと浮いている物体があった。


「……あの、吉田さん」


沙優は、吉田のプライドを傷つけないように、精一杯言葉を選んで言った。


「カレーって、煮込むんじゃなかったんですか?」


「え?ああ、強火で一気に煮込んだぜ!時短だ!」


「時短……」


沙優は、思わず頭を抱えた。その様子を見て、吉田は「なんだよ、文句あるのか?」と少し不機嫌そうに言う。


「も、もちろん!吉田さんの作ってくれたカレー、絶対美味しいと思います!でも……」


沙優は、料理本を指さす。そこには「弱火でじっくり煮込む」と、大きく書かれていた。吉田はそれを見て、「あ……」と声を漏らし、途端に気まずそうな顔になる。


「……すまん。ちょっと、張り切りすぎた」


「……はい」


沙優は、小さく頷く。吉田の顔には、申し訳なさそうな表情が浮かんでいる。


「あの……私、手伝ってもいいですか?」


沙優は、そう言って台所へ入っていく。吉田は「いや、せっかく俺が作ったのに悪いから」と遠慮するが、沙優は構わず調理器具を手に取った。


「いいんです!だって、このままじゃ吉田さんが作ったカレー、美味しくないままじゃないですか!」


沙優は、そう言って手際よく調味料を足したり、ルーを溶かしたりと、料理を立て直していく。吉田は、そんな沙優の横顔を、ただ黙って見つめていた。


数分後、沙優の手によって、カレーは劇的に美味そうな香りを放ち始めた。


「はい、これで完璧です!」


沙優は、満足そうな笑顔で吉田に鍋を差し出す。吉田は、恐る恐る一口味見をする。


「……美味いな」


その言葉に、沙優は満面の笑みを浮かべる。


「でしょ?やっぱり料理は、ゆっくりじっくりが基本なんですよ」


食卓に並んだのは、吉田が作ったはずの、だが沙優の手直しによって生まれ変わったカレーライスだった。


「なあ沙優」


「はい?」


「お前がいると、助かるな」


吉田は、そう言ってカレーを一口食べる。沙優は少し照れながらも、嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見て、吉田は思う。このカレーは、俺が一人で作ったカレーよりも、ずっとずっと美味い。


男のロマンは、一人で完成させるものじゃない。誰かと分かち合ってこそ、最高のスパイスになるのだと、吉田は今、心からそう感じていた。

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