エセ現実主義者と仮面魔王女

第2話 エセ現実主義者と仮面魔王女

 彼――高田直樹は無職の分際で、行き付けのパチンコ店からルンルン気分で自宅アパートに帰っていた。

 大通りから一本入り、小さな街灯が照らす雑多な裏路地には、近所の鰻屋が食欲をそそる香りを凶悪に放っている。

 季節は秋の暮れ、時刻にして午後八時過ぎ。場所は愛知県名古屋市の千種区。三重県伊勢市出身の二十歳の青年。

 胸と耳に十字架のネックレスとイヤリングが光る黒のカットソー、その上から羽織ったカーキ色のカジュアルなジャケット。そしてシンプルな黒のズボンで、飾り過ぎず人並みのファッションをしている。

 そんな服の上に乗っかる顔は、どこか憂いを帯びた切れ長の目、筋の通った鼻と長過ぎず爽やかな茶髪。眉は綺麗に整えられ、髭も丁寧に剃られている――という、女性受けしそうな今時の若者。

「ふぃー、やっぱバイト辞めて正解だったな。秋華賞でゲットした三百万がさらに増えちまった。これでしばらくは遊べるぜ」

 尻ポケットに突っ込んだブランド物の財布は万札で膨らみ、先月競馬で獲得した大金を思い出してダラシなくニヤつく。すれ違ったサラリーマンの怪訝な顔も、彼の眼中に入らない。


 ――それもそのはず。『とある事情』により実家を――地元を離れ早二年。目標も金もなくバイト生活を送っていた彼は、ビギナーズラックで一点大穴狙いを的中させ、目先の金を手に入れた。その吹けば飛ぶような三百万に満足した結果、居酒屋のバイトを辞め、束の間の悠々自適生活を送っていた。


「けどこれからどうすっかな。現実的に考えたら三百万なんてすぐ溶けちまうだろうし、金があるうちに風俗でも…………いや、やっぱ無理……んな度胸ねえや」

 見た目だけは取り繕っている直樹だが女性経験はない。もちろん異性と付き合ったことも、それどころか女性の目を見てまともに話せもしない童貞である。それも『とある事情』に起因するが、彼はその過去を胸にしまっていた。

(っと、いつまで独り言喋ってんだ俺。腹減ったし帰ってなんか作るか)

 街灯がチカチカと不気味に点滅する通りに足を踏み入れる直樹。ここ最近、何故かこの一帯は昼でも暗く、路地には葉の先っぽが紫に変色した雑草や、不細工に捻れた草が生え始めているが直樹にはどうでも良い。

(お? まーた変な輩がいるな。目を合わせないように……)

 オマケに直樹と歳の近い若者たちが、まるで肝試しのようにライトとスマホを構えてキョロキョロしている。直樹にとっては迷惑でしかないが、それを注意する度胸なんてない。

 そうして直樹が辿り着いたのは家賃三万という、名古屋市内では超破格のボロアパート『マミムメゾン』。2LDKで風呂トイレ別。壁は薄いが住人は直樹含め四人しかおらず、しかも直樹以外は一階の部屋を借りている。実質二階は直樹の貸し切り状態という、不自然なまでの優良物件。

 ベニヤ板の外壁は、誰かの手形と血のような汚れが目立ち、二階に上がる階段と手すりはサビだらけでボロボロ。

「よし、今日も異常なし!」

 アパートの敷地に踏み入る直樹を、輩たちが悲鳴を押し殺した顔で見つめる。彼らに何が見えているのかは知らないが、やはり直樹にとっては良い気分ではない。現実主義を自称する彼にとって、ここは救いの城なのだ。

「……ほんとあいつらなんなんだ。肝試しならよそでやれよ。――――ん?」

 直樹の視界が見慣れない色を捉えた。部屋に続く唯一の階段に、鮮やかな赤と月明かりのような銀色が見える。

(なんだ? アニメキャラのドールか? デカいし普通に邪魔だな)

 ここまで来て引き下がれない。その現実では派手過ぎる髪色、角、翼からドールだと判断した直樹は、スルーを決め込み階段の端に寄った。

 その時――。

 ぐううう……と、膝を抱えていたドールから不気味な音が鳴り響いた。しかもそのドールは、突然バッと可愛らしい顔を上げ、直樹とバッチリ目を合わせてきた。

「うおっ⁉︎ 人間⁉︎ ……じゃなくて、早く帰るか。何食うかな」

 認識をドールから人間に変更。一瞬しか顔を見てないが、トンデモないロリ美少女。だがコスプレ趣味のイタイ奴。関わったらロクなことがないと直樹は判断した。

 だがコスプレ少女――突然名古屋に召喚され、アテもなく彷徨い続けたロレルは、直樹の服に纏わり付いた鰻の匂いに立ち上がった。

「ま、待てお前! 私は魔王ラリルの一人娘ロレル・リラ! ……何か食い物を分けてくれぬか?」

「え、すみません。見知らぬ人と関わるなって婆ちゃんの遺言なんで。それじゃ」

 魔王女としての誇りを脱ぎ捨て、勇気を振り絞ったロレルの懇願に、直樹は逃げるように階段に足をかけた。

「………………え? ちょっと待って」

(待つわけねーだろ。なんだこの子、見た目だけじゃなくて口調までなんかのアニメキャラをリスペクトかよ。てか関わったら誘拐扱いされて人生終わる)

 どこまでも現実的で保身的。ギャンブル以外では夢を見ない、現代っ子とカス夢追い人のハイブリッドの決意は固い。驚くロレルをその場に残し階段を駆け上がる。

「ま、待って! ほんとにもう動けないの! お願いだから無視しないで!」

「無視はしてない! だけど無理! 早くママの所へ帰れロリ娘!」

 強がり口調をする暇もなく助けを求めるロレル。薄情にも彼女の勇気を踏み躙った直樹は、知らないうちに彼女の地雷を踏み抜いていた。

「ママのところ……」

 ロレルが肩を震わせ、唇をギュッと噛む。足元に視線を落とし、直樹の言葉に目を潤ませた。

(ふぅ……なんか分かんねーけど今のうちに……)

 そのまま二階の角部屋。自分の部屋を目指した直樹は、次の瞬間ギクリと震えた。

「……ひっく……もうやだ、帰りたい……なんでこんな目に合わないといけないの? 人間って、こんな冷たい生き物なの? ……ぐすっ……うわあああん!」

 ロレルは絶望し、ついに泣き出した。最初は戸惑いながらも、たくさんの人間の姿に喜んだ。しかし誰に話しかけても相手にされず、唯一話しかけてきた男は、下品な顔で彼女を車に連れ込もうとした。男を突き飛ばし逃げたロレルは、最終的に懐かしい空気を感じるこのアパートに辿り着き――そして途方に暮れていたのだ。

 一方の直樹は呆れと混乱の中にいた。見知らぬ少女に話しかけられ、『逮捕』の二文字がチラついた。だが少女はその可憐で、正直直樹のどストレートの見た目に相応しい声と口調で泣きじゃくっている。

 直樹の足が止まる。自分に『これは罠だ、犯罪者を取り締まる警察の囮捜査だ』と言い聞かせながらも、錆びた階段をギシギシと降りていく。


 そして――――。


「……あー……ずっと一人で飯食ってたし……通報しないって約束するなら、うち来るか?」

「……うんっ!」


 互いを求めた二人は、その事実に気付かぬまま手を繋いでいた――――。

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