緋色の執行者と月の天使 〜元傭兵のお姉さんが少女と暮らすことになりました〜

西秋くらげ

第一章 月明かり

森の中の出会い

 私がルナと出会ったのは秋の夕暮、森の中だった。

 仕事を終え、村へと戻る途中のことだ。

 夕陽は木々の隙間からこぼれ落ち、森の中に薄いカーテンをかけていた。

 オレンジ色の光が髪を照らし、私の緋色の髪は、きっといつもよりも赤く染まって見えただろう。

 微かな風が吹き、長い髪がふわりと揺れる。

 この季節の風は心地よい。

 肌をなで、余計な熱を奪いながら、どこからか淡い花の香りを運んでくる。

 ……けれど、その甘い匂いの奥に、ほんのかすかに鉄のような匂いが混じっていた。

 鼻を突く、生臭さ。

 私は小さく息を吐き、うんざりしたように意識を切り替える。

 腰に提げた剣の柄に手をやり、魔力防壁を全身に張り巡らせた。


 私は舗装された道を外れ、森の影に身を潜めた。

 木々を盾にしながらゆっくりと現場に近づく。

 幸い、風は向かい風だ。血と火薬の匂いがさらに強くなる。

 心臓の鼓動がわずかに速まるのを感じた。


 少し進んだところで、それは目に入った。

 横倒しになった荷車。

 脇には血にまみれた行商人が倒れている。

 ばらばらになった銃が火薬の嫌な匂いをあたりに撒き散らしていた。

 荷車を引いていた馬は腹をえぐられ、肉を食いちぎられている。

 背を丸め肉を喰らっているのは、人の背丈をゆうに超える体高を持つ巨大な狼――ワーグだった。


 ――分析。個体数は1体。行商人はすでに死亡済み。こちらにはまだ気づいていない。このまま何もせず、やり過ごすか?

 だが荷車の中から別の気配。

 わずかだが気配を感じ取れる。

 何かがいる。


 その瞬間、荷車の中から小さな人影が飛び出した。

 年端も行かない少女だ。彼女は森の奥へと駆け出す。

 まずい――。

 私は直感する。

 案の定ワーグは顔を上げ少女の方に振り向いた。

 次の瞬間、ワーグは地面を蹴り走り出す。

 私は剣の柄を握り、ワーグめがけて疾走した。


 瞬時に間を詰め、横合いから剣の柄の先端をワーグの顎に叩きつける。

 鈍い衝撃音。

 ワーグは巨体をよろめかせている。

 私は少女の前に立ち上がり、ワーグに向き合う。

 今度は剣を抜き、構える。

 ワーグは数歩後ずさり、低く唸ったあと、踵を返し森の奥へと去っていった。


 静寂が再び森を満たす。

 振り返ると、少女の瞳がまっすぐと私を見上げていた。


 「私には何もないよ」


 突然の言葉に、思わず眉をひそめる。意味を図りかねた。

 しかし、続いた言葉で得心した。


 「だから私は、きっと高く売れない」


 淡々と無表情で彼女はそう言った。

 どうやら私を人さらいのたぐいだと思っているらしい。

 胸の奥が締め付けられる。

 それでも私はあえて軽口を返した。


 「いいや。こんなに可愛いお姫様は、それはそれは高値で売れるだろうね」


 少女は瞬きもせず、ただじっと私を見ている。


 「冗談だ」


 私は剣を鞘に収め、視線を外さずに続けた。


 「私は君を、どこにも売ったりしない」


 その言葉を聞いても少女の表情は変わらなかった。

 だが、ほんの一瞬だけ、肩の力が抜けたように見えた。


「君、どこか行くあてはあるのかい?」


 少女は短い沈黙のあと小さく答えた。


「ない」


 終始無表情だった少女の顔が曇るのを見て、私はまた胸の奥が痛むのを覚えた。


「なら、近くの村まで私と一緒に来ないか?この森は、女の子が一人で歩くには危険だ。こう見えても結構強いんだよ」


「私はアルテシア。君の名前は?」


 今度はためらいがちに、少女は口を開き――


「ルナ」


 淡々とした声は、森の静寂に溶けて消えた。表情に光はなかった。

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