三話 過去への手がかり

晴朗はるあきは昨晩見たという夢、深夜の海岸近くの森で、着物姿の女性に追いかけられた。という夢を、保憲やすのりに話した。


「なるほど……。その女性に心当たりは?」

「多分ない」

「ふうん……、だったら、誰かの負の念を無意識に受け取ってしまっただけか、あるいは……」

「でも、あまりいい印象じゃなかったから、久々に『夢違ゆめたがえ』しといた」

吉備真備きびのまきびが詠んだ和歌だったか。そういえばそんなのもあったな」


 悪夢を見た時に唱えるおまじない『夢違え』


 あらちをの かるやのさきに たつしかも 

 ちがへをすれば ちがふとぞきく


 その和歌を吉備真備きびのまきびが詠んだとされる。奈良時代に実在し、他人の夢を盗んで大出世を果たしたという逸話も残る学者だ。


「……まぁ、“昔”ならまだしも、そこまで過敏にならなくてもいいんじゃないか?」

「うん……。そう、なんだが……」

「他にも何か、気になるところでもあるのか?」

「……夢の中で……」


 二人の会話の途中、再び研究室の扉が開かれた。

 同時に視線を向けると、片側に一人、反対側に二人、計三人の若い女学生を連れた男性が入ってきた。


 40代前半に見える風貌。息子と同じ髪色に長身、若々しい印象を与える顔立ちをしている。グレーのスーツを華麗に着こなし、紳士的で穏やかな印象は、実年齢よりもずっと若く見せている。


 しかしその穏やかそうな顔は、焦りと困惑の表情に歪んでしまっている。


「ただゆぴっぴの部屋到着〜!」

「ねぇただゆぴっぴ〜、また怖い話聞かせて!」

「……ただゆぴっぴ……??」


 女学生が言った、その男性のあだ名らしき珍妙な単語に、晴朗はるあき保憲やすのりのひどく困惑したセリフが重なった。


 『ただゆぴっぴ』と呼ばれたその男性。

 名を『賀茂忠行かもただゆき』この研究室の主であり、保憲の父親である。


「うちらで頑張ってデコった兎の看板も飾ってくれたんだ! ありがとう〜!」

「わかった、わかったから、離れなさい」


 遠慮なく腕を組んでくる女学生に、極力触れないよう腕を浮かせているが、あまり意味を為していない。

 たじろいでいる忠行が保憲と晴朗の存在に気づくと、ホッとしたような、それでいて助けを求めるような目線を二人に向けた。


「あぁ、お前たち。来ていたのか」

「お、疲れさまで、ございます……先生……」

「保憲、課題はどうだ」

「は、はい。先ほど、メールをお送りしました」

「そうか、後で確認しよう」


 三人が会話している最中、腕を組みながらも不機嫌そうに、むすっとした顔をしている女学生の刺すような視線が、晴朗と保憲を襲う。


「あ〜……、俺たちはそろそろ行くか」

「ま、お、お前たち……!」

「……先生。お先に失礼いたします」


 居た堪れなくなった二人がいそいそと帰り支度をすると、「置いていくな」と言わんばかりに忠行は焦っている。しかし二人は見て見ぬふりをして、足早に研究室を後にした。


 晴朗が後ろ手で扉を閉めると、二人は揃って片手で顔を覆いながら、肩を震わせ声を押し殺しながら笑った。


「ただゆぴっぴ……」

「あの賀茂忠行に向かって……ただゆぴっぴ、とは……」

「“昔”の父上じゃあ……ふ……考えられないな……」


 扉を隔てた向こう側では、楽しく談笑する女学生の笑い声が聞こえてくる。

 二人はひとしきり笑った後、帰路に着くため旧館を後にした。


「この後どうする?」

「……図書館に行く。どうにも昨晩見た夢が気になる」

「心当たりはないんだろ?」

「”現在いま“はな。……ただ……」

「“過去”は、まだ分からない。……ってことか」

「そう。それともう一つ……」


 正門へと続くメインストリートに差し掛かったところで、晴朗の足は正門ではなく、図書館へと向いた。


「夢の中で、俺は『白い狩衣』を着ていた」


 夢で晴朗は、必死に森の中を走っていた。その時にチラチラと視界の隅に見え隠れしていた腕には、括り紐が通されている袖口も一緒に見えていた。

 平安時代などで主に狩猟をするときに着用されていたとされる『狩衣』を、晴朗は身につけていたのだという。


「……なるほど。よし、分かった。俺も付き合おう」

「付き合うって……、家庭教師のバイトはいいのか?」

「今日は無いから問題ない。それに俺と違って、お前のは探すの大変だろ?」

「……お付き合いどうも」


 こうして二人は図書館に向かった。

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