第19話
毎年、七月末の金曜日に、地域で大規模な祭りが催されている。大規模、とは言ったものの他所の地域から参加するような規模ではなくて、あくまでも地域に根付いた知る人ぞ知るといった祭りにすぎない。
それでも地元に暮らす人々にとっては一大イベントであることに変わりはない。夜には花火も上がるし、毎年この時期になると俄かに街全体が活気づく。
そして、祭りの日当日ともなれば、日中から路上に屋台が立ち並び、皆一様にその雰囲気を楽しむ。
陽が落ちて、セミの声が鳴りを潜めていく時間帯に差し掛かると、さらに活気が増して薄暮の街を彩る。
僕はその渦中で、一人の人物と待ち合わせていた。
通り過ぎていく人々が、全員祭りの会場へと向かう様子を見届けていると、それらの集団に紛れて制服姿の小さな女性がこちらに駆け寄ってくるのが目に映った。
「すまない、白鳥。道が混んでいて遅れてしまった……」
「大丈夫ですよ。僕も、さっき来たところですから」
やってきた彼女、坂月先輩は申し訳なさそうにしながら僕の隣で膝に手をついて、呼吸を整えている。別にそこまで急がなくてもいいのではないかと思わなくもないものの、逆の立場なら同じことをしているはずだから口には出さない。
と、そこでうっすら汗をかく先輩の姿に違和感を覚えた。
「先輩、髪切りました?」
「え? いや、ええと……、よくわかったね?」
慌てたようにすぐにその身を正して、ちょいちょいと僅かに乱れた髪を直す。あまり特徴的な変化はなかったけど、確かに昨日よりも髪の長さは少し変わっているし、何ならちょっとウェーブがかっている。気付かない方が難しいだろう。
「昨日会ったんですから気づきますよ。似合ってますね」
「……ほら、白鳥。混む前に会場に向かうよ」
「あ、はい」
夕焼けが眩しく先輩の顔を染め、それに照らされる中、僕たちは歩き始める。待ち合わせ場所から祭りの会場はそれほど離れておらず、近づくにつれて人の数と賑わいが増し始める。
「先輩とこうして出掛けるの、久しぶりな気がします」
「そうだったかな。前回、春ごろに喫茶店巡りをした時以来か」
「そうですね。付き合ってもらって、助かりました」
「気にしないでくれ。困っている後輩に寄り添うのも先輩としての務めだからね」
「色々と助けてもらってばっかりで。何か、お返しできることがあればいいんですけど……」
先輩には貰いすぎているほどに力を借りっぱなしで、最早返済も不可能なほどに膨れ上がっているその恩を果たして一括払いできるのだろうか。一気に恩を返すというのは無理でも、コツコツと彼女の役に立てればとは思うものの、その方法も思い浮かばない。
腕を組みながら歩き、悩む。そうしていると隣で一つ、風に搔き消されてしまいそうな声が零れた。
「――もう、十分に貰っているよ」
「ん……、どうしたんですか、先輩?」
「……なんでもないよ!! そんなことより、せっかくの夏祭りなんだから。らしいことをしようじゃないか」
無理やりに笑顔を作ったような先輩の顔は赤らんでいるように見えて、でもそれはきっと落ちていく夕陽が差しているからに違いなく。
僕と坂月先輩は、並ぶ屋台を思い思いに楽しんで回る。
電燈に煌めくカップに入った氷の結晶。風鈴が涼し気な声を鳴らして唄い、通り過ぎていく子どもたちは水ヨーヨーを手で跳ねさせながら駆けていく。
ソースの焦げた香りやカラメル系の甘い匂いが鼻孔をくすぐって誘惑してくる。あれもこれもと手を出したくなるものの、生憎ここ最近出費が嵩んでいるのである程度食べたいものを絞るしかない。
結局、僕は焼きそばを、坂月先輩はりんご飴を買って、ベンチに腰掛ける。
「人が多すぎて疲れちゃいますね」
笑いながら言うと、先輩もそれに深く頷いてくれる。
「本当にそうだね。もう少し、人が少なければいいんだけど」
元来、二人ともアウトドアに向いているとは言えない性格をしている。それに比例して体力もないものだから、精力的に出かけるという行為をあまりしない。
「……そういえば、どうして今日は誘ってくれたんですか?」
「え――っ!?」
その驚きと共に先輩が齧りついていたりんご飴が凄い音を立てた。思わず歯の心配をしてしまうけど、特に問題なさそうに咀嚼している様子を見て安心する。一頻り嚙み砕いて飲み込んだ後、彼女は落ち着いた調子で首を傾げた。
「どうして、って……」
「あ、別に誘われたことがイヤだったとかじゃないですよ。ただ、意外というか、こういう賑やかなところは先輩、苦手じゃないですか」
僕と一緒で、と。そう締め括る。図書館とか、人気の少ない自然の多い公園とか、そういう場所を先輩は好む。過去に出掛けた時、そうした街中よりも物静かな場所を訪れることが多かった。
だから、今日こうしてわざわざ人気の多いところに出向いているのが、不思議でならない。
どういう風の吹き回しだろう、と。先輩を見つめていると、ふいと目を逸らされてしまった。
「……一度は高校時代に、誰かと夏祭りを過ごすということを経験してみたかったんだ。こういう経験も、小説のネタになるからね」
そう言い放つ坂月先輩はいつも通り、凛とした顔つきで涼しそうにしている。
「たしかに、実体験が小説にリアリティを生み出しますからね。さすが先輩です」
「うん……、いや、はあ……」
「……どうかしました?」
煮え切らない声にそう尋ねるものの、先輩はゆるゆると首を横に振った。
「どうもしないよ。ただ、自分の意気地のなさに辟易してしまってね……」
「先輩らしくないじゃないですか。僕と先輩の仲なんですから、なんでも言ってください」
見上げてくる坂月先輩に、僕は笑いかける。これまで散々後輩として世話をしてもらってきたのだ。この人の力になれるのなら、なんだってする。
先輩は眼を潤ませて、こちらを覗いている。綺麗な瞳には夜空の星々が降りているように煌びやかに反射して、その美しさにドキリとしてしまう。
あれ、何か空気が変じゃないか?
いつもしているような、他愛もない返事を期待していたけど、いつまで経ってもそれは訪れない。
「……白鳥、私は――」
先輩のか細い声は、突如鳴り響いた騒音で掻き消された。
同時に、昼のように明るい発光が夜空を拭い、それから遅れて観客たちの歓声が上がった。
花火が打ち上がったのだ。その一発を皮切りに、雲一つない暗幕に無数の弾幕が光を放ち始める。
「――良い眺めだね、白鳥」
「え? ……はい。そうですね」
隣で花火を見上げる先輩は空を染める色を浴びて、とりどりの色彩を纏う。そんな横顔を眩しく眺めて、僕もまた同様に視線を見上げた。
咲いては消えて、儚く溶けていく。夜を彩るそれらが見せるのは、一夜の幻のようなもので、目に沁みる。
花開くのは一瞬。そこに留まり続けるものはなく、この場全員の目を奪って消えていく。
それらはこの空間の主役であるように存在を主張して、やがて誰からも見えなくなる。
そこにいるのに、そこにいない。淡く咲き誇る花々はすぐに闇へと消えていき、間もなくして花火大会は幕を閉じた。
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