第16話
「すっごく素敵なお話でしたね!! 思い出しただけで泣いちゃいそうで……」
映画鑑賞も終わり、適当に入った喫茶店でひとしきり感情を爆発させる化野の姿がそこにあった。
内容としてはよくあるような話だったけど、演出や音楽、俳優の演技も相まって確かに、彼女のように心を震わせる人もいるだろうと思えるし、映画としての出来は非常に良かった。
「白鳥くんは、どうでした?」
純粋無垢な微笑を向けられて、あれこれと考えていたことが霧散する。正直な感想としては、僕の好みではない。
それでも、言葉にするのはそんな本心じゃない。
「意外と良かったよ。化野が選んでくれたおかげだ、ありがとうな」
そう伝える、別の本音。
映画の内容云々はこの際どうだっていい。一人では到底観なかったであろう選択を提示してくれたこと。その隣で感情豊かにスクリーンを見つめる彼女。
そういった経験をもたらしてくれたことへの感謝を述べると、彼女はほっとしたように眉尻を下げた。
「白鳥くんが楽しんでくれたなら良かったです」
「僕のことなんて気にせず楽しめばいいのに」
「そんなことできません!! 私一人の時間じゃ、ありませんから」
彼女の声が少し沈んだけど、すぐに慌てた調子で苦笑いに切り替わる。
「あ、すみません!! それじゃあ今後の予定を立てましょう!! 私、ゲームセンターに行きたくて」
「ゲーセン? 化野ってゲームとかやるんだ」
「いえ、ゲームはまったくです。そっちよりプリを撮りたくて……」
「プリ、ってプリクラか? ……いいよ、じゃあゲーセン行こうか」
また彼女は僕が経験したことのない未知の領域に連れ歩こうとしている。最早恥も外聞もないけど、僕自身がその文化に疎いから、つい及び腰になってしまうのは許してほしい。
「はい!! それじゃあ――」
そう言って、立ち上がろうとした彼女の言葉が、途中で止まった。
「化野?」
返答らしい返答はない。
何事かと見てみると、化野はある場所へ視線を向けたまま固まってしまっている。僕もまたそちらへと振り返ってみると、今しがた会計を終えた一人の女性がそこにいた。
黒のパンツスタイルと白いシャツ。目を惹く茶色い髪は後ろでまとめられていて、街を行き交うオフィスカジュアル姿の女性たちと遜色ない出で立ちだ。
見たところ二十代前半といった相貌で、気の強そうな見た目のその人物は、支払いを終えるとさっさと退店していってしまった。
彼女がどうかしたのだろうか。疑問に思いながら視線を戻すと、化野と目が合った。
気まずそうな、少し陰りのある瞳には何を映しているか、僕にはわからない。それを聞けば、きっと彼女は教えてくれるはずだ。彼女の優しさにつけこむようで申し訳ないけど、化野の性格なら想像に容易い。
でも、どうしてか。
今の僕は、それを尋ねたくなかった。理由はわからないけど、その話題から距離を置いておきたかったのだ。
「……じゃあ行こうか」
「え?」
「ゲーセン。プリクラ撮るんだろ?」
そう、どこかぼうっとしている化野を引き戻させて、店を後にした僕たちはその足でゲームセンターへと向かう。
訪れたその場所は音ゲーや対戦ゲームなど様々なフロアに別れていて、プリクラが置いてあるフロアは最上階。エスカレーターを昇りきった先に広がっていたのは、多くの女性で賑わう、僕一人だと到底そぐわない空間だった。
「これにしましょう!!」
そんな中を化野は慣れた様子で先導して、一つの機械の前で立ち止まる。見たところ全部同じに見えるのだけど、何か違いはあるのだろうか。
女性たちの視線や次々と浮かぶ疑問を何もかもかなぐり捨てて、僕は化野とプリクラの機器の前に立つ。不慣れながらも、化野の指示の下それを操作し撮影コーナーに入ると、ようやく撮影が始まった。
と言っても、そこにいるのは僕一人なわけで。
印刷された写真には、言うまでもなく化野の姿は映っておらず、ただ不気味なほど美白な冴えない男子学生が所在なさげにピースをしているだけ。
これはさすがに何をしているんだろうと、我ながら思わなくもない。自分の行いについて自問自答してしまうけどこれ以上自分を傷つけたくなくて、そんな自我を僕は心の奥底にしまい込む。都合の悪いことに対しては、見ないふりをして乗り切ることにして、そのイベントの幕を閉ざすことにした。
そうして彼女と過ごしていると時間が過ぎるのはあっという間で、気がつけばあれだけ高かった太陽はすっかり傾いていた。
◆
人が彩る街を橙色に上塗りしていて、落ちる夕陽は幻想的だ。それが放つ熱気は日中ほどの暑さは影を潜めているものの、歩いていると汗をかくほどの気温は漂っている。僕たちはそれを掻き分けるように歩きながら伸びる影を追いかけ、駅へと向かう。
「今日は、ありがとうございました」
隣からそんな落ち着いた声が揺らめいた。人混みにぶつからないよう、立ち止まると彼女もまた歩みを止めて僕の方を覗き込む。
「色々わがままに付き合わせちゃって、すみません」
「いいよ。言ったと思うけど、ちょうど暇してたし。寧ろ、僕も楽しかった」
それに良い体験ができた。一人だと確実に行かないような場所へと赴いているのは、間違いなく化野のおかげだろう。
「そう言ってくれると、嬉しいです」
帰路に就く人やこれから遊びに行く人。様々な目的で形成される街のひと隅で、化野はあどけなく笑った。
夕焼けのせいか、その顔が朱に染まったように見える。ガラス細工のように繊細で、儚く映る蜃気楼。
夏が魅せるその姿に一瞬変な勘違いをしてしまいそうになるけど、いつも通りの彼女であることを再確認して、振り払う。
「……私は、幸せですね」
「え?」
聞き間違いかと思う、それほどに小さく紡がれた声。雑踏に掻き消されてしまいそうな音を落とした張本人は、手を後ろに回してくしゃりと困り顔をしてみせた。
「だって、死んでいるのに、のうのうとこうして遊んで……。世界に溶け込もうとしてるんですから」
彼女の声が妖しくくゆる。しっかりと聞こえたはずなのに、彼女自身が否定したがっているのか、ヒビが入っていくような錯覚を覚える。
たまに吹く風に、揺られる彼女の存在は、不安定で。
そこにいるのに、届かない。
「……明日はどうするんだ?」
「へ?」
時折見せる少し大人びた彼女から目を逸らしながら、続く道を無理やり作る。彼女のために。
あるいは、僕自身のために。
「やりたいこと、もうないのか?」
そもそも彼女の中にあるであろう心残りを探すという意図があったはずだ。ただ、遊んでいるだけじゃない。のうのうと生きているなんて、そんなはずはない。
と言っても、僕からそれを提案したというのが意外だったのか、化野はその綺麗な瞳を丸くして、瞬きと共に喜びを満面に浮かべた。
「あ、あのっ!! それじゃあ明日は――」
遠足を待ち望む子どものように、次の日もその次の日の予定も話していく様子は微笑ましくもあり、つい僕もつられてしまう。
訪れる未来へと導くように、太陽が時を進める。そんな移ろう街に溶けないように、視えなくならないように、僕は彼女の意志を聞いて、必死に伝えようとしてくれている姿を視認して。
その光景を心に刻んで、記憶へと残す。
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