第6章(4)「魔法少女ミナ」


 仮面を外したミナとランプは、改めてフォグシーと対峙する。

 ミナの意志は固かったが、お世辞にも優位な状況とは言えない。

 ティアラビイ戦で消費した魔力は、自然に回復するものではあるものの、決して今すぐに現実的なラインまで回復するわけではなかった。

 もちろんティアラビイから受けた攻撃のダメージも残っている。魔力の枯渇も含めて、立っているのがやっとという状況だ。


「ミナ、手を出しな」


 真剣そうな表情のランプが、ミナに対してそう告げる。


「ランプさんの魔力を吸え。多くはないが、二人に分散したほうが楽だろ」


「……うん、ありがとう」


 言われるがまま手を出すミナ。ランプはその手をがしっと掴む。

 二人の手元がほんのりと赤く光った。決してその量は多い訳では無いが、ミナの体にエネルギーのようなものが満ちていくのが分かった。

 ランプから魔力を受けとり、ミナはフォグシーへ改めて目線を向ける。

 赤子の姿をした彼の背後からは、鋭く磨かれた剣のような腕が、二人の命を狙っていた。

 一度はやられた相手だ。決して怖くないわけではなかった。

 それでもミナは自分の戦いが配信されている事を思い出し、瞳を閉じて、すうと息を吐き、冷静さを取り戻そうとする。

 今の自分には、みんながついているのだ。ランプ、リョウ、コガるん、視聴者のみんな――それに、ナヒロも。

 自分を応援してくれている、自分に願いを託してくれた様々な人達に、希望を与えたい。

 ミナは目を開き、目の前の怪物を睨みつける。


「――いくよ」


「ああ!」


 ミナとランプは一斉にフォグシーの方へと駆け出した。

 フォグシーは後ろ腕の剣を使って、二人をまとめて薙ぎ払おうとする。

 斬撃が横向きに入る中、ランプは下に滑り込む形で、ミナは上に飛び上がる形でそれを回避した。

 そのままランプはミナとちょうど真っ直ぐに先行し、炎の魔法を解き放つ。

 二人が近付くよりも少しだけ早く、炎がフォグシーの方へ向かっていく。

 しかしフォグシーの左腕が振り払い、ランプの魔法は防がれた。

 呆気なく散ってしまった火炎球だったが、ランプはにやりとした笑みを崩さない。


「ランプさんの魔法は、ランプさんが一番よく知ってるからな!」


 後方に構えていたミナが、更に大きい火炎球を解き放つ。

 前に出ていた火炎球が作り出した光は、ランプの後ろに漆黒の影を作った。

 ランプの裏で彼女の魔力を持ったミナが魔法を準備すれば、暗闇の中でより効果の上がるランプの火炎は激しいものになる。魔力を渡して同じ魔法を使うことができるミナだからこそできる、特別な連携技だ。


「食らえッ――!」


 ミナの手から、先程よりも一回りも二回りも大きな火炎球が放たれる。それはランプから受け取った魔力すべてを込めた攻撃だ。

 その速度は先程のものよりもかなり速く、炎魔法を振り払ったフォグシーの左腕を貫こうとしていた。

 しかし左腕に直撃するはずだった魔法は、軌道を変えて側面の建物に当たる。突如魔法を当てられた建物は、白煙を上げて一部分だけ崩れ始めた。

 ミナの魔法を弾いたのは、魔法による障壁だ。

 ミナが一度フォグシーと戦った時も、この魔力による防御は存在していた。

 これはあらゆる魔法を弾く。グランダーの魔法を吸収したミナの、全身全霊の雷魔法でさえ、フォグシーは無傷だったのだ。

 建物の崩壊による白煙が晴れると、無傷のフォグシーが笑っていた。


「残念だったね、かすり傷一つ付けられてないよ。まさか前に戦ったことを忘れているのかい?」


 ミナとフォグシーが戦った時にも発動した魔法障壁は、もちろん今回も存在していた。

 ミナが前回フォグシーに敗れた一番の理由がこれだ。これがある限り、ミナたちはフォグシーにダメージを与えることが出来ない。

 フォグシーは笑い声を上げる。この魔力による障壁は、ちょっとやそっとでは崩れない。これを打ち破られでもしない限り、自分の敗北はありえないだろうと踏んでいたのだ。


「――なっ!?」


 しかしそのフォグシーの笑い声が、突如驚愕によって止められる。

 ミナがまだ笑みを浮かべながら、フォグシーに接近していたからだ。

 ミナはフォグシーの左腕の方へ跳躍し、火炎球が当たったちょうどの場所へ手を伸ばす。


「――砕けろッ!」


 そしてミナが全体重を障壁に乗せると、ぎしぎしと音が路地裏に響き渡った。それは紛れもなく、障壁が壊れつつある音だ。


「はあああァァァァァッッッッッ!!!」


 ミナが普段出さないような大きな叫びを上げると同時に、障壁は粉々に砕け散った。

 フォグシーは思いもよらぬ結果に驚愕の表情を浮かべる。そしてミナの口元が笑っていたのを、見逃さなかった。


(こいつ、さっきの魔法でヒビを入れて、無理やりこじ開けたのか!?)


 フォグシーの推察通り、魔法障壁にはミナの魔法でヒビが入っていた。魔法少女であるミナがしっかりと力を込めれば砕けるほど大きなヒビが。


「こっちも忘れんなよ!」


 そして攻撃はそれだけで止まらない。

 ランプが既に手元へ発動させていた火炎球を、左腕の障壁が剥がれた部分へ思いっきりぶつける。


「ぐ、ああああッッッッ!!」


 炎が直撃した腕は、為すすべもなく焼かれていく。

 ミナが地面へと着地し、ランプと共に少し後退する。

 それと同時に、魔法が直撃した腕は焼け焦げて、地面に崩れ落ちてしまった。


「……くそったれ共がァ!!」


 フォグシーは後ろ腕の剣を再び力一杯に振り下ろす。

 その刃は魔力の障壁を壊したミナの方へと向かっていた。

 しかしミナは避けるでもなく、むしろ剣に向かって飛び上がった。その表情には先程までになかった、余裕の色が見える。


(馬鹿な、自殺行為だ――!?)


 ミナの奇行に敵ながら狼狽えるフォグシーだが、もう自らの腕は止まらない。

 だったら思い通りに殺してやろうじゃないか。フォグシーはミナに振り下ろす腕へ更に力を込めて、確実に叩き切ろうと加速させた。


「ミナ――!?」


 ミナの行動に動揺していたのは、何もフォグシーだけではない。共に戦っていたランプもミナの意図が掴めず、彼女の行動に目を見開いた。

 そして勢いのついたフォグシーの剣がミナを真っ二つに――


「――は?」


 ――しなかった。


 フォグシーは素っ頓狂な声を上げて、自らの振り下ろした腕の先を見やる。

 彼の腕はミナの体の部分を支点に、真っ二つにへし折れて、ちぎれていた。


「ぐ、ぎゃああああああああああ!!」


 その事実を認識した瞬間、フォグシーの体に声を上げずにはいられないほどの激痛が迸る。

 フォグシーの叫び声がこだまする中、ミナは無傷のまま地面に降り立つ。

 ようやく頭が麻痺してきて、痛みが薄れてくる中、フォグシーの眼はぎろりとミナの方を向いた。

 彼女は何事も無かったかのように飄々と、こちらを見つめている。


「な、なぜだ……どうして」


 フォグシーの動揺にミナは鼻で笑いながら、ゆっくりと口を開く。


「……あなたの魔力、いただいた」


 痛みが脳を刺激しながら、それでもフォグシーは勝利するために考えた。

 彼女の能力は、相手の魔力を吸収することだ。グランダー襲撃を目撃していたフォグシーは、彼女の魔法を知っている。

 しかし、魔力を抜き取る時には必ず相手の体に触れていなければいけないはず。フォグシーはその体をミナに触れられたはずはなかった。

 一体、どこで魔力を奪われたのか。彼女が一番フォグシーに迫ったのは――


「――まさか、障壁を壊すときに」


「正解。予想通り、ひび割れた部分なら吸収しやすかった」


 ミナは得意げに微笑む。その微笑みがフォグシーへの挑発になることを、ミナはよく分かっていた。

 フォグシーの怪物としての強さは色々とあるが、大きなものは魔力による障壁だろう。

 元来の怪物とは違い魔力を使いこなすフォグシーは、魔力を使いこなせない怪物を相手にしている、そんな魔法少女ごときに負けるはずがないと思っていた。

 だが目の前の魔法少女はむしろ、魔力を使っているフォグシーの方が、楽に倒せる相手である。なぜなら普通の怪物と違って、”魔力を吸収できる相手”だからだ。


「んで実際のところ、もう魔力は全快したのか?」


 ランプはミナに近づき、小声で話しかける。

 ミナは微笑みを崩さずに、ランプの方へ視線を向けた。


「さっきの防御で全部使った」


「……マジかよ」


「この剣を無力化できたなら上々」


 飄々と語りながらミナは、へし折れた腕の破片を拾い上げ、フォグシーへと向ける。

 少しフラフラだったのは、近くにいたランプにしか分からなかった。


「もう終わりだよ、フォグシー」


 フォグシーの腕を剣代わりに突きつけて、ミナは得意げに勝利宣言をした。


「そ、そんな馬鹿な、僕が負けるわけなんて、僕が、僕が負ける? 負ける??」


「な、なんだ!?」


 フォグシーの様子がおかしくなっていく、その光景にランプは動揺の声を上げた。

 フォグシーの体がぼこぼこにうねりだし、所々からは紫色の血が噴き出している。


「僕が負ける?? 僕が、僕が、ボクガ、ボクガアアアアアアアアああああああああああ!!!!」


 血潮を散らしながら、フォグシーは頭を右手で抱える。

 そのままその握力で頭を握りつぶし、剥きでた頭頂部からは赤く輝く宝石が現れた。


「おお、いかにも弱点ってや――」


 ランプが冷静にそう分析した刹那、空中に大量の魔法陣が現れる。

 それはグランダーとの戦いでもよく見られた、魔法少女たちが魔法を使う時に現れるものだ。

 それが数個、十数個、数十個と空中に増えていく。

 そしてその中心からランダムな方向にレーザーが出て、地面を抉り取った。

 偶然にも当たらない位置にいた二人だが、その異質さを秘めた暴力的な攻撃に、焦りを隠せない。


「おいおい、あいつ正気か!? このままだと周りにいる人間まで巻き添えをくらうぞ!」


「――っ、させないっ!」


 ミナが右手に剣を持ってフォグシーの方へと向かっていく。


(この町の人が巻き込まれないように、早く止めないと!)


 魔力を思ったよりも使っていたため、ミナは目眩を感じていた。しかしランプの言葉を心に反芻させながら、なんとか目標へと焦点を合わせる。

 しかし無作為に打ち出されるレーザーがミナを襲い、なんとか回避に専念するも、衝撃で吹き飛ばされてしまう。

 壁に叩きつけられたミナの口からは、血が吐き出されていた。

 脳を揺さぶられ、意識がままならないミナ。それでも彼女は、フォグシーを止めなければいけない。

 その想いを糧に、ミナは耳に装着したワイヤレスイヤフォンを指でぎゅっと押す。

 そして血が混ざった唾液を垂らしながら、口をゆっくりと開いた。


「……リョウ、聞こえる? ごめん、負けそうかも」


 ミナは膝に手を付きながら立ち上がり、弱気な小声でそう呟く。

 その間にもミナの体を焼き尽くそうと、レーザーが襲いかかる。

 立ち止まった体に向かうレーザーが、ミナの左腕を、右足を掠め、火傷した瞬間の熱い痛みがミナの体を巡った。

 あの魔法を躱すのも、限界が近づいていた。


『くそっ、どうしたら良い!?』


 イヤフォン越しでも焦りを隠しきれていないリョウ。

 ミナは光を少しずつ失っていく瞳を俯かせながら、彼を諭すように、優しく語りかける。


「――元気が欲しいな」


『元気……?』


「そう、だね。元気。元気を貰えれば、まだ戦えると思う」


 イヤホンからリョウの声が聞こえなくなる。

 彼はやっぱり仕事が出来る人で、ミナが魔法少女になってからずっと付き合ってきた、最も信頼できる存在だ。

 リョウはミナの意図にすぐに気付いて、実行に移してくれているのだろう。

 その事実が分かっただけで、少し前を向くことが出来るようになった。

 ミナは光を失いつつある瞳で、フォグシーの方を見つめる。彼が繰り出す魔法陣は、今もなお増え続けていた。

 彼の潰された頭部には、宝石のように光る赤い結晶。確証はないが、あれを潰してしまえば、きっとこれを止められる。

 しかしその宝石へ攻撃を当てるには、あの無作為に撃たれる大量のレーザーを回避して、宝石へ近づかなければいけない。


 そのためにミナに必要なのは、”元気”だ。

 いつも魔法少女として活動する中で、挫けそうになるときがある。

 自分は一人でも多くの人に希望を与えようと頑張っているが、それでも上手くいかない時は、ミナは落ち込んでいた。

 なんて無力なんだろう。自分なんかが魔法少女であって良いのだろうか。自分は魔法少女を辞めたほうが良いのではないか。

 ミナの内に向いていく感情を、それでも支えてくれたのが、みんなから貰える元気だった。

 ミナは配信活動を通じて、人助けを通じて、みんなから元気を貰っていたのだ。

 彼女がフォグシーを止めるために必要なピース。それは、みんなのために戦うという勇気、みんなから貰える元気だった。

 そして――


『センパイ!諦めないで!!』


 イヤフォンから流れたそのメッセージがコガるんのものであることを、ミナはすぐに気がついた。

 でもそれはコガるんの声ではない。それは自動音声のような淡々とした声で、お世辞にも情熱の込もった声ではなかった。

 ミナはすぐに、リョウが何をしてくれているのか気づく。戦いの様子を配信している、そこに流れる幾つもの”コメント”を、自動音声が読み上げているのだ。

 だが――


『ミナちがんばれええええええ!!!!』


 その無機質な声はミナを立ち上がらせ。


『怪物なんかに負けるな!!!!!!』


 その無機質な声はミナに前を向かせ。


『俺の推しがこんなに弱いわけがない・・・!』


 その無機質な声はミナの心臓を動かして。


『自分涙良いっすか?』


 その無機質な声はミナの口角を上げさせ。


『ミナち愛してるよ!!』


 その無機質な声はミナの右足を前に進ませ。


『なんとかなれーッ!!』


 その無機質な声はミナの体を敵に飛ばして。


『がんばってミナちゃん!!!!!』


 その無機質な声はミナの体を魔法から遠ざけて。


『無言投げ銭ニキが二度も!?』


 その無機質な声はミナの体を跳び上がらせ。


『好きだあああああああああああああ!!!!!』


 その無機質な声はミナの剣を持った右手を振りかぶらせ。


 そして――


『ミナああああああ! 俺の一番の魔法少女っ! がんばれええええええ!!』


 その肉声は、ミナに最後の元気を与えた。


 ミナは、微笑んだ。そしてその微笑みと同時に、頬から一滴の涙が流れ落ちた。


(……ああ、私って光の魔法少女になれなかったな)


 自分が憧れていた光の魔法少女は、戦う時にはいつも孤独だった。

 それは応援する声が無くても、多くの人の希望になることが出来たからだ。

 それに比べて、自分はなんて無力なんだろう。みんなの力を得て、ようやく一人前の魔法少女になることが出来るのだ。


(まあ、でも……)


 ミナはくすっと笑い声を上げた。

 フォグシーの頭部にあった赤い宝石が目の前に近付く。


(――これが、私か)


 ミナの持っていた剣が、フォグシーの体を両断した。

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