第2話「いやー、まいった。すんげーかわいいんだよ」



小説『ドワーフの初恋』

第二話:朴念仁、お近づきの印を考える


ガルドが恋に落ちてから三日。

『黒鉄のジョッキ』亭は、いつにも増して騒々しかった。原因は、カウンターの隅でうっとりと宙を見つめているガルドだ。


「いやー、まいった。すんげーかわいいんだよ」

「そのセリフ、もう五十回は聞いたぞ」


バルドはうんざりした顔で、黒パンをエールのジョッキに浸した。あの朴念仁が、「嘆きの洞窟」から生きて帰ってきただけでも驚きなのに、その日からずっとこの調子なのだ。


「んで、結局“虹の涙”は見つかったのかよ」

「ああ、見つかったとも!伝説以上の代物だった!」

ガルドは胸を張って答えた。

「黒曜石の瞳に、虹色の鱗を持つ髪…。あれこそが、俺が探し求めていた地上の至宝、“虹の涙”の化身だ!」

「そりゃ鉱石じゃなくて、メデューサの姉さんのことだろうが!」


バルドのツッコミも、今のガルドには心地よいBGMにしか聞こえない。彼は真剣な顔で顎ヒゲを撚りながら、バルドに相談を持ちかけた。


「なあ、バルド。お近づきの印に、何か贈り物をしたいんだが、何がいいと思う?」

「贈り物ぉ?やめとけやめとけ。下手に近づいたら、今度こそ本当にマッサージじゃ済まねえぞ」

「マッサージ?」

「いや、なんでもねえ。…つーか、相手はあのメデューサだぞ?欲しいもんなんてあるわけ…」


言いかけたバルドは、はたと気づいた。相手は、首だけの存在なのだ。服も、靴も、腕輪もいらない。一体、何を贈れば喜ぶというのか。


「そうなんだよ。姉さんは、何も持たねえ。だからこそ、俺が何かしてやりてえんだ」


ガルドの瞳は、真剣そのものだった。

「考えてみろ。あの人は、ずっとあの薄暗い洞窟で、たった一人だったんだ。俺が毎日通って、あの祭壇をピカピカに磨いてやろう。床だって、歩きやすいように平らにならしてやる。そうだ、風が冷てえだろうから、毛皮の襟巻きもいいな。髪の蛇たちも、きっと喜ぶぞ!」

「お前…本気なんだな…」


バルドは、親友の純粋すぎる情熱に、呆れを通り越して感心すら覚えていた。


その日から、ガルドの行動は早かった。

まず、彼は自分の工房にこもり、カンカンと昼夜を問わず槌を振るい始めた。鍛冶ギルドの親方も「あの朴念仁が、嫁入り道具でも作ってるのか?」と首を傾げるほどの熱中ぶりだ。


数日後、ガルドは一つの奇妙な道具を完成させた。

それは、最高級の樫の木を削り出して作った、頑丈な背負子(しょいこ)。しかし、人が乗るには小さく、荷物を載せるには妙に装飾が凝っている。荷台の部分は、柔らかな鹿のなめし革が何重にも敷かれ、側面にはガルドが彫ったドワーフ伝統の守護紋様がびっしりと刻まれていた。


「よし、できた!」


ガルドは満足げに頷くと、今度は食料品店へ向かい、猪肉の塊やら、蜂蜜やら、木の実やらを山のように買い込んだ。


「おいおいガルド、お前、駆け落ちでもする気か?」

バルドが声をかけると、ガルドはニカッと笑った。

「ピクニックに行くんだよ。姉さんと一緒に!」


ガルドは、完成したばかりの背負子と食料を担ぎ、意気揚々と「嘆きの洞窟」へ向かった。

最深部の祭壇では、メデューサが静かに彼を待っていた。ガルドの姿を認めると、彼女の脳内に戸惑いの声が響く。


『…また来たのか、物好きなドワーフよ。私の呪いは、お前には効かぬと分かった。もうここには、お前の求めるものはないぞ』

「あるさ!俺の求めるものは、あんただからな!」


ガルドはきっぱりと言い放ち、持ってきた荷物を手際よく広げ始めた。


「腹、減ってねえか?姉さんの分も持ってきたぜ!」

『…私は、食事など…』

「まあ、そう言うなよ。髪の蛇たちだって、腹くらい減るだろ?」


ガルドが燻製肉を小さくちぎって差し出すと、今まで警戒していた蛇の一匹が、おずおずと近づき、その肉をパクリと食べた。その瞬間、他の蛇たちも一斉にワラワラと集まり、ガルドの手から肉を奪い合うように食べ始めた。


『こら、お前たち、はしたない…!』


メデューサの慌てた声が響くが、蛇たちはお構いなしだ。

ガルドはそんな光景を、目を細めて見ていた。


「ははは、元気いいな!よしよし、蜂蜜もあるぞ!」


蛇たちが食事に夢中になっている隙に、ガルドはメデューサの前に、例の背負子をそっと置いた。


「姉さん、これが俺からのお近づきの印だ」

『…これは、何だ?』

「あんた専用の、玉座だ」


ガルドは、恭しくメデューサの首を両手でそっと持ち上げた。ひんやりとした肌の感触に、心臓が大きく脈打つ。彼は、壊れ物を扱うように、ゆっくりとメデュー-サを背負子の柔らかい台座の上に乗せた。サイズは、誂えたようにぴったりだった。


『な…何を…!』

「決まってるだろ。外の世界を見せてやるんだよ。お日様の光も、風の匂いも、森の緑も、全部あんたに見せてやりてえ。俺が、あんたの足になる」


ガルドはそう言うと、メデューサを乗せた背負子をひょいと背負った。ずっしりとした、愛おしい重み。背中から、驚きと戸惑いの念話が伝わってくる。


「さあ、行こうぜ、姉さん!まずは、一番見晴らしのいい丘まで競争だ!」


ガルドは力強く地面を蹴った。

初めて背負う「恋」の重さに、彼の足取りは、今までで一番軽やかだった。


『待て、ドワーフ!どこへ…!』


メデューサの慌てた声と、髪の蛇たちの嬉しそうな鳴き声が、洞窟の中に響き渡る。

ドワーフの朴念仁が始めた、前代未聞のデート。その一歩は、孤独だったメデューサの世界を、根底から覆す一歩となるのだった。

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